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上級国民になりたければ、クラシックの音楽会に行きなさい

上級国民というのは、カネを持っているだけではない。

上級国民は、上級な「文化」を持っている。

そして通常、その文化も、財産のように子孫に受け継がれていく。

これを「文化資本」と言う。

文化資本の研究ではフランスの社会学者プルデューが有名だ。

私は最近、片岡珠美氏の「芸術文化消費と象徴資本の社会学ーープルデュー理論から見た日本文化の構造と特徴」という論文を読んだ。

私がこの論文に興味を覚えたのは、調査対象が、私の住む川崎市だったことによる。

そこに面白いことが書かれていた。

この論文によれば、日本はフランスなどと比べ、階級による文化の差が小さい。

・大衆文化(カラオケ、パチンコ、スポーツ新聞、女性週刊誌など)

・ハイカルチャー(クラシック音楽会や美術展覧会など)

の2つを分けると、確かに収入や学歴が高いほど、ハイカルチャー経験者が増えるが、垣根は低い。

そして、「ハイカルチャーだけ」の人はきわめて少ない(全体の2%弱)。

むしろ、高い階級の人も、低い階級の人も、多くの人が大衆文化を共通に経験している。そこに日本の特徴があるという。(そういえば、秋篠宮殿下もカラオケが好きだったらしい。一方、いまの天皇皇后のご趣味は2%に入りそうだが)

大衆文化を、知的エリートも経験する。この特徴から、日本で、世界に誇れる漫画やアニメの文化が花開いたのだろう(これは片岡氏が書いていることではなく、私の感想)。

大衆文化も、ハイカルチャーも、どちらも受容し批評できる力こそ、日本では文化エリートの条件となる(これは片岡氏も書いている)。

しかし、この文化の平等性は、現実の階級性を見えにくくしている面がある。

片岡氏も、こうした特徴が日本は平等という通説を強めそうだが、必ずしもそうではない、と言っている。

社会的に高い地位であることを示す、象徴的な文化行動(ステイタス・カルチャー)が日本にもある、と。

それが、「クラシックのコンサートに習慣的に行くこと」なのだ。それは、美術館に通うより、エリート性が高い。

都市部の専門管理職に代表されるような高地位者のうちに、(高学歴、高文化資本の保有者である)文化エリート集団が存在し、彼らの間ではクラシック音楽が地位文化として成立している可能性(がある)

クラシック音楽会というのは、美術館にくらべて差異化機能が強く、高地位者のステイタス・カルチャーもしくは社交文化のひとつとして機能していることは言えるだろう。

片岡:前掲

たしかにクラシックのコンサートに行くのは、庶民にはハードルが高い。

あの退屈な音楽を理解し、楽しめなければいけない、だけではない。

料金は高いし、緩やかなドレスコードがあるし、拘束時間は長いし、少し音でも立てようものなら周囲から睨まれるから窮屈だし、有名どころは早くチケットを押さえなければならない(ということは、そうとう先の予定まで自分で決められる立場であり、かつ、仮に無駄にしても痛くない余裕がなければいけない)。

クラシックのコンサートに行く層は、一般的なクラシック音楽ファンとも異なる。

ふだんはロックが好きな人も、グレン・グールドのバッハを聞いたりするかもしれない。しかし、その行為と、例えば、ヨーロッパから来た新人ピアニストのリサイタルに行くこととの間には、大きな距離がある。

3000円でCDを買う行為と、その10倍のお金で1回きりの体験を買う行為とは大きく違う。まして、それが「10倍」では効かず、5万円以上するオペラのチケットを買うとなれば、当然、階層が限られるだろう。

そして、それだけではない。

クラシック音楽会は、ハイソサエティの「社交場」でもあるのだ。

高い職業の人々との友人つきあいが多い人ほど、(他の変数を統制しても)クラシック音楽のコンサートに行く頻度が高まる

美術館は1人でも訪問しやすいが、クラシック音楽会は友人との社交を伴うと解釈することもできる。

片岡:前掲


クラシックの音楽会に行く人は、子供の頃に親に連れられて行ったような人が多い。つまり、家庭の上級文化を受け継いでいく「文化資本」性が高い。(相続文化資本)

クラシック音楽会ゴアーでは、とくに女性にこの傾向が強いという。

教養ある余暇活動消費者(ここでは美術館をよく訪問する人、クラシック音楽会へ行く経験をもつ人たち)の社会的特徴は、①女性であること、②高い学歴、そして③幼少時に家庭での芸術文化体験があること(相続文化資本)と、④最終学歴での文化体験があることであった。さらに、⑤年齢が高いということも共通していよう。

片岡:前掲

庶民の家庭では、親はなかなか子供をクラシックコンサートに連れていくことはないだろう。そうすると、子供も一生行かないかもしれない(ロックやアイドルのコンサートなら教えられなくても行くが)。

ちなみに、「大衆文化だけ」しか経験しない人も、日本に12%いる。(他に、ほとんど文化に触れない、あるいは、何かの事情で触れられない層もある)

うちの親はそういう人たちだったので、私も一度も連れていかれたことがない。(そもそも、そのためには、クラシックコンサートがあるような都市部に住んでないといけない)

ただ、バブルの頃に、企業のメセナで余ったチケットが私に流れてくることがあった。そのような機会に、私はカラヤンも、バーンスタインも、小澤も聴くことができた。(今はまた縁がない)

庶民に縁遠い、このクラシックの音楽会(とくに有名アーティストの料金が高いやつ)には、私の経験でも、国会議員とか、有名な評論家とか、大学教授とかが、たしかによく来ていた。日銀総裁とかも、たぶん来ている。

自然に、エリートたちの社交場になっていて、コンサートの後に小洒落たレストランに流れたりするのである。そういう場に自然に溶け込めなければいけない。

「下々」と自分を差異化できる象徴的文化行為、それが、クラシックのコンサートに行くことなのだ。

だから、もしあなたが上級国民のように人から見られたいなら、クラシックのコンサートに行くことである。

バブルの時代、「見栄講座」というのがあったが、いま見栄を張りたいなら、クラシックのコンサートに行くのが最も効果的ということである。

しかし、見栄のためならば、それをみんなに見せなければ意味がない。

それが案外難しいかも。会場で自撮りとかすると「文化貴族」たちから白い目で見られそうだし、それをSNSに載せると「上級社交界」から顰蹙を買うかもしれない。

ただ、もしあなたに子供がいるなら、あなたの見栄のためであれ、子供をクラシックのコンサートに連れて行っていれば、子供の代で本当に(少なくとも文化面で)「上級」の仲間入りができる可能性がある。

あるいは、連れて行かなくても(あまり小さい子は会場に入れない)、親がコンサートに行くことを子供に「見せて」おく必要がある。

(逆に、そういうところを子供に見せていなければ、子供が将来「上級」文化に入る可能性が少なくなってしまう)

それはカネがかかるかもしれないが、文化資本への投資として、やってみる価値はあるのではないか。



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