ポスト・コロナの「歩きタバコ」
「民度」の問題
回転寿司店で備品をベロベロするような「すしテロ」の続発に、日本の「民度」の低下を嘆く人は多い。
しかし、「歩きタバコ」をしている人は、備品ベロベロとそんなに変わらないことをしている。
まあ私もあんまり他人のことは言えない。
以前、タバコをすっていたとき、歩きタバコほど気持ちのいいものはなかった。
天気のいい日、天下の往来を、タバコをスバスバすいながら闊歩していると、世界全体が自分の家になったような気分だ。
昔、モデルみたいな長身の美人が、タバコをすいながら大股で銀座の街を歩くのを見た。かっこいいなあ、と思ったものだ。なんか「自由!」という感じがする。
すい終わったところに、都合よく灰皿はないから、吸殻はそのへんでもみ消す。ええ、火事にならないようにだけは気をつけていましたよ。
タバコをやめて10年以上たつと、他人の歩きタバコほど不快なものはない。
歩きタバコを発見するのは、目よりも先に鼻だ。臭いな、と思って周囲を探すと、50メートルくらい先を歩くスモーカーの小さな姿がある。
タバコの煙は、50メートルかそれ以上の周囲の空気を汚染して、拡散する。タバコをすっている人は、鼻もバカになっているから、それがわからない。私も、タバコをすっていたときは想像しなかったことだ。
その汚染された空気を、そこをたまたま通過する人も、鳥も、犬も猫も、呼吸器が弱った老人も、お母さんが押すベビーカーの中の赤ちゃんも、吸わなければならない。
私がいちばん心配しているのは、吸い殻を麻生川に捨てられることだ。ニコチンの毒水が、私の可愛いカルガモちゃんたちを襲うかもしれない。
「歩きタバコ」は増えている?
日本では、自治体によって「路上喫煙防止」条例がいろいろ作られているが、繁華街や乗降客の多い駅の前など、重点地区での違反に罰金を課すだけである。
私の住む川崎市にも条例があり、うちの近くでは小田急線の新百合ヶ丘駅周辺が禁止地区だ。たしかに、おかげで新百合ヶ丘駅前の環境は美しい。
しかし、条例の制定で喫煙者自体が激減するわけでないだろう。
スモーカーは、禁止区域を出て、人が少なくなったところで、タバコを取り出すのではないか。限定的な規制は、禁止地区以外での歩きタバコをむしろ増やしていないか。たとえば、新百合ヶ丘の隣の我が街、柿生はどうか。その検証はされていない。
さらに屋内喫煙が原則禁止されたことによって、歩きタバコは増えている可能性大だと私は思う。
「歩きタバコ」指数
街の住民の「民度」を測る尺度は、案外ない。犯罪件数などは日本ではおしなべて低い。
私は、街の「民度」は、その街で歩きタバコをする人で測れるのではないかと前から考えている。
1日観察していて、歩きタバコが1人もいない街は、歩きタバコ指数で測る「民度」満点だ。
単に歩きタバコをする(罰点1)だけではなく、
・人が近くにいても歩きタバコをする(罰点2)
・赤ちゃんや子供がいても歩きタバコをする(罰点5)
・それも、ヤケドさせかねない至近距離で吸っている(罰点10)
・その上、吸い殻を道に捨てる(罰点20)
・酒を飲みながら歩きタバコをする(罰点30)
・道路にしゃがみこんでタバコを吸う(罰点40)
・道路にしゃがみこんで酒を飲みタバコをすいながら道ゆくねーちゃんにセクハラする(罰点50)
・上記すべてを未成年がやっている(罰点100)
というように、犯状によって点数を加算し、人数とともに指数化するわけである。
(念のために言えば、イスラム教の国に限らず、公道や公共交通機関、公園などでの飲酒は違法である国は多いし、電子タバコは、国によって存在自体が違法である。)
歩きタバコ指数0(歩きタバコが1人もいない)から、指数10(公道は喫煙者だらけ)までのスケールで、街の「民度」が測られる。
引っ越しを考えている子持ちの夫婦は、
「あの街は歩きタバコ指数が3.1だから、ちょっと心配だなあ」
「そうね、子育てには向かないわね」
とか、参考にできる。
ポスト・コロナの不安
私の街、柿生は、歩きタバコ指数「2」くらいか。
民度満点まで、まだまだだ。
昼間はあまりいないが、朝晩はけっこう見かける。
朝は、駅に急ぐサラリーマン風の歩きタバコが多い。仕事のストレスとプレッシャーでタバコに逃げている。
夜は、学生風の若者がタバコをすって歩いている。若いから命知らずだ。
だから早朝、駅への道を散歩すると、吸い殻がかなり落ちている。
それを、近所の老人たちがボランティアで拾っている。
それでも、コロナの間は、みんなマスクをしていたので、少し減っていたのではないかと思う。
マスクが外れるとともに、また増えないか心配だ。