天本英世と火野葦平 「平和」が嫌いな北九州のワルワル気質
昭和の怪優・天本英世について、ファンが愛情をこめてその芸歴を振り返ったYouTube動画がアップされていて、とても勉強になった。
昭和特撮ヒーローズ VS 悪役天本英世 / 秘蔵映像あり(pop can 2024/4/13)
天本英世には、むかしから興味があるのだが、きちんと「知り合えた」気がしない。
この動画では、彼が演じた、わたしの知らないキャラクターがたくさん紹介されていた。
そして、この動画が5万回以上の視聴回数で、多くの「好き」とコメントを集めているのを見て、彼がいまだ多くの人に愛されていることを知った。
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わたしは昭和生まれの古い人間だが、天本英世とは「すれ違って」生きてきた。
子供のころは、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」を夢中になって見ていた。
だけど、彼がアタリ役の死神博士を演じた「仮面ライダー」(1971年)のころ、わたしはちょうど特撮ものを卒業して、見ていないのだ。
彼は晩年、ビートたけしの「平成教育員会」にレギュラーで出て、若い人に知られるようになったらしいが、わたしはそのころは、もうテレビ自体を見ていない。
でも、天本英世には、ある時期から関心を持ち続けていた。
ひとつには、わたしの研究対象である作家・火野葦平と同郷の人、ということがある。
火野葦平(1907−1960)
天本英世(1926– 2003)
どちらも、北九州市若松区に生まれ、北九州市若松区で死んだ。(正確には、火野の出生時は遠賀郡若松町、天本出生時は福岡県若松市)
どちらも、若松の比較的裕福な家に生まれ、火野は早稲田大学文学部を中退して芥川賞作家になり、天本は東大法学部を中退して俳優になった。
(高校は、火野が小倉高校、天本が若松高校)
年齢差は20歳弱。
2人は会ったことがあったのか、といえば、わたしの知る限りはない。
火野葦平が1960年に自殺したとき、天本はまだ無名の役者だった。
天本は、「仮面ライダー」のころ、すでに40代半ばを過ぎていた、非常に遅咲きの役者だった。
火野葦平は、天本英世を知らなかった可能性が高い。
もし火野が1970年代まで生きていれば、同郷の有名人として知り合った可能性はある。
ただ、天本英世が火野葦平をどう思っていたか、それが問題だ。
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天本英世への、わたしのもう一つの関心は、彼の「天皇制批判」だ。
それについては、わたしに思い出がある。
マスコミで仕事をしながら、わたしはついに天本と会うことはなかった。
ただ、わたしが一緒に仕事をした、ある映画会社の人が、天本についてこう言っていたのを、鮮明に覚えている。
「天本英世さんのトークショーを企画したんだけど、とにかく天皇制の悪口ばかりで、困っちゃってさ。こっちは特撮の話をしてほしかったのに」
それを聞いたのは、天本が2003年に亡くなった直後だ。天本晩年の話だと思われる。
天本は一種のアナーキストだった。
彼の苛烈な天皇制批判は、いまもネットに残っている。
文部省も僕らが小さい頃と同じだ。ばかばかしいことの再生産で、「君が代」を歌えなんて言っている。僕は日本のすべての俳優を引き連れて「君が代」反対のデモをやりたいくらいだ。「君が代」なんてバカの骨頂で、僕は全然天皇制なんて認めない。昭和天皇は戦争責任者の最たる者だった。
こういうことはテレビでしゃべっても全部カットされるんだ。そうしたことがあるかぎり、日本人はいつまでたっても精神的に自立できない。天皇や天皇制について議論さえしないんだよ、日本人は。
日本の左翼は、加藤登紀子も、吉永小百合も、天皇制批判をやらない。
仕事がなくなるからだ。
天本英世は、そんな連中にくらべて100倍立派だ、と尊敬していたのである。
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だけど、天本英世がそういう人だからこそ、同郷の作家、火野葦平をどう見ていたかが気になる。
火野葦平は、天本が嫌いな昭和天皇のもとで、「兵隊作家」として名を売った人だ。
天皇の軍隊を憎んでいた天本が、火野に好意を持っていたとは考えにくい。
でも、わたしの目から見れば、火野葦平と天本英世は、同じ人間のタイプに見える。
反骨心旺盛で、正義感が強く、どこか不器用で、血の気が多い。
天本は、若いころに軍隊でいじめられて軍隊を憎んだ。
火野葦平だって、若いころは共産主義運動に走り、軍隊でマルクスを読んでいるのを見つかって降格された。
火野はたしかに戦争協力者だったが、彼としては「英米の横暴」と戦っているつもりで、決して権力主義者ではなかった。
(そして、わたしの考えでは、火野も昭和天皇に批判的だった)
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火野は自らを「平和主義者」だと言っていた。
本人の主観ではそうだったのだと思う。
しかし、一方で、彼はつねに、戦場の最前線で取材したがったことでも知られる。
彼は、戦場を恐れず、むしろ好んでいたーーだからこそ、「兵隊作家」として、軍からも、当時のマスコミからも重宝されたのだ。
わたしは、こういうところは、火野葦平の甥(妹の息子)の中村哲(1946−2019)にも遺伝していると思う。
ペシャワール会の医師・中村哲は、「憲法9条」を信奉する平和主義者で、一時はノーベル平和賞候補とまで言われた。
でも、なぜか戦場の、いちばん危ないところに行きたがる。
最後は、ご承知のとおり、アフガニスタンで銃撃されて亡くなった。
平和主義者であることと、戦場を好むことは、矛盾しないのだ。
たしかに平和を愛しているが、でも「血が騒ぐ」のだと思う。決して「平和」のなかでは生きられない。
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天本英世にも、同じようなところがあったと思う。
天本も、自分は平和主義者だと思っていただろう。
しかし、スペインが好きで、スペインに行くと解放され、スペイン内戦を熱く語る人でもあった。
ラテン系の、熱い血を持て余した人だったと思うのである。
火野葦平・中村哲と、天本英世にそういう性格が共通するとすれば、それは「血」というより、北九州の人の気質なのかもしれない。
わたしも、北九州に一時住んだことがあるので、なんとなくわかる。
鉄火肌というか伝法肌というか。
ふだんは穏やかでも、いざとなれば喧嘩っ早い。
なにしろ小倉駅前には、「無法松」の像が立っている。
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最近も、北九州でロケットランチャーが発見されてニュースになった。
北九州は「修羅の国」、ヤクザの街、とレッテルを貼られて、地元の人はいい加減ウンザリかもしれない。
でも、わたしが住んでいたときも、小倉の繁華街でヤクザが実弾を撃ち合っていた。
いまさらお上品ぶっても国民はだませない。事実だから仕方がない。
ヤクザは嫌いだが、わたしは北九州人のそういう気質が嫌いではない。
火野葦平や、天本英世が好きなのも、結局は、そういう部分に惹かれるからだ。
地元では「川筋気質」とも言うが、ああいう気質は、弥生人とも縄文人とも違う、別の血筋ーーもっと南方の人種の系譜ではなかろうか。
北九州市のすぐ下、福岡県の現・みやこ町は、幸徳秋水の盟友で、日本最初の社会主義革命家、日本最初の社会党と共産党を作った堺利彦(1871−1933)も生んでいる。
関東にくると、退屈な弥生人ばかりでつまらない。
火野葦平や、天本英世のような人が懐かしい。
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最初に紹介した動画では、天本が「平和が大嫌いな老人、ワルワル博士」という、わたしの知らないキャラクターを演じているのを知った。
1977年の「小さなスーパーマン ガンバロン」で演じたキャラだ。
わたしは、このキャラクターが気に入った。
わたしも、この「平和が大嫌いな意地悪キャラ」で、老後を生きていきたいと思う。
そして、「平和が大嫌いな、ワルワル」というのは、北九州人の性格を表現しているように思える。
ふだんは隠しているが、本性は「ワルワル」だ。
陰険な「悪」ではなくて、権威が嫌いな、ちょっと愛嬌のある「ワルワル」。
そういう部分にもっと自信をもって、北九州の売り物にしてほしい。
若松にある「火野葦平資料館」には、最近、中村哲の資料も置かれるようになったという。
ついでに天本英世の資料も展示し、「ワルワル3兄弟」で売り出せばどうだろう。
<参考>