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コロンブスと「小田急多摩線50周年」
きのう(6月16日)は、「小田急多摩線開通50周年」の写真展に行ってきました。
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栗平駅前のイベントスペースには、開場とともに多くの人が訪れていました(写真)。
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新宿と小田原をむすぶ小田急線に、新百合ヶ丘(川崎市麻生区)から東京都多摩市の方に分岐する多摩線ができたのは1974年。
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イベントでは、開通当時の各駅のようすを、小田急の社内報に載った写真などで振り返っています。
ただし、会場内は撮影禁止。入口のところまでの撮影しか許されませんでした(写真)。
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わたしは、この写真展を楽しみにしていました。
というのは、多摩線に関して、むかしから知りたいことがあったからです。
会場には、小田急の制服を着た年配の人がいて、鉄オタの質問とかに答えていました。
わたしもさっそく、小田急の人に聞いてみました。
「多摩線が走っているあたり、以前は狩猟場だったはずですが、何年まで狩猟をやっていたのか、それを知りたいのですが・・」
「え? ここ、狩猟場だったんですか」
「あれ? ご存知ないですか」
「全然、聞いたことなかったです」
「まさにこの栗平のあたりです。今でも野鳥が多いでしょう。狩猟場でしたから」
「あー、なるほどですね。初めて知りました」
「そうですか・・1970年代に入っても、鉄砲を抱えて狩猟に訪れていた人たちがいたはずです。エッセーとかに書かれていて・・」
「1974年に多摩線が開通しましたから、その前に狩猟場ではなくなっていたんでしょうねえ」
「ええ、開通のときに廃止されていたのは分かるのですが、何年に廃止されたのか、その記録が見つからなくて・・」
「いやー、ごめんなさい、知らないです。聞いたことないです」
*
かつての柿生が狩猟場であったことは、以前もnoteに書きました。
新住人が知らないのは仕方ないですが、小田急の人も知らないとは・・少しショックでした。
これは、アレだな、最近話題になった「コロンブスMV」と同じだな、と思ったわけです。
開発した側は、開発された側のことを忘れる、という。
500年前のことも、50年前のことも、同じですね。
50年前、小田急の開発に反対する人も、ここにはいました。
1970年代はそういう時代、「自然保護」の運動が起こった時代ですから。
いまの栗平に住み、狩猟を楽しんでいた文芸評論家の河上徹太郎も、反対した一人です。
いまの栗平や五月台のあたりは、源頼朝が鷹狩りをしていたという由緒ある猟場ですからね。
多摩線周辺だけではありません。
稲城の山では、よみうりランドなどの開発で自然が失われ、それに対する反対運動が起きました。
その運動についても、わたしはnoteに書きました。
王禅寺に住んだ詩人の高良留美子は、1970年代の開発によって、柿生の自然と、古い地名などの文化が失われるのを嘆き、その嘆きを作品に残しました。
「この土地に生まれ 死んでいくわずかな人たちの胸に生き/死人坂という 名前だけが/冬の風に吹かれて/一枚の紙切れのように舞いつづけるのだ」
(高良留美子「死人坂」)
新百合ヶ丘に今も残る「弘法松」という名所(公園として残り、松自体は焼失)は、柿生を訪れた弘法大師が、高台から眺めた片平のあたり(いま多摩線が走っているところ)の景観が見事だから松を植えた、という伝説にちなみます。
しかし、その景観は、開発によって永久に失われました。
*
わたしは「環境左翼」ではないですから、やみくもに開発が悪だと言いたいわけではありません。
小田急の開発は成功したのであり、そのおかげでわたしもここに住んでいるのですから。
でも、鉄道が敷かれたとたん、その前にあったものがなかったことになる、というのは、やはりおかしい。
「土地の記憶」は、どこかで語り継がれてほしいと思うんですね。
1970年代以降生まれの批評家は、よく「ニュータウン論」や「郊外論」をやりたがる。
最近読んだ浜崎洋介の『反戦後論』も、そんな話から始まります。
ニュータウンや団地で育ったボクらには、歴史が刻まれた「故郷」がなく、「空虚」のなかで育った、みたいな。
でも、1970年代にできたニュータウンにだって、「それ以前の歴史」はあるはずなんですね。
新百合ヶ丘とか多摩線沿線も「ニュータウン」だけど、このあたりには縄文時代からの遺跡が残っている。
少なくとも、およそ4000年前からの長ーい歴史があるわけです。
「コロンブスに殺された側の思い」と同様のものは、身近にもあるはずなんです。
コロンブスなんて遠い世界の話をする前に、もっと身近の「土地の記憶」に思いを馳せるべきではないかーーなんてことを写真展で思いました。
あ、この「小田急多摩線50周年記念」写真展は、今日(17日)までやってます。
<参考>