「支持率87%」小泉純一郎の時代 出版界にも貢献
9月6日の小泉進次郎の総裁選出馬会見に対する世論は、
1 「知的レベルが低いのでは」というフリージャーナリストの質問を堀江貴文などが「失礼」と非難。進次郎に同情集まる
2 それに対する進次郎の返しを「完璧」と立花隆志などが賞賛。「10年来の友人」と名乗り出た古市憲寿も「リーダーとしての貫禄」を評価するなど、進次郎の株が上がる
3 しかし、会見の質問と回答が事前に準備されていたことがわかり、百田尚樹などが「ヤラセだ」と進次郎を批判。進次郎の株下がる
4 しかし、フリージャーナリストの質問は偶発的で、進次郎の返答もアドリブだったことがわかり、よかったのか悪かったのか判断不能のカオス状態に
ーーという経過をたどり、結局、
「進次郎は、親父の純一郎と同じ。言葉はたくみだが、中身はカラッポ」
みたいなSNS世論に流れていった。
うーん、でも、小泉純一郎とはちがうんじゃないかな。
彼は少なくとも自分の「言葉」を持っていた。
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2001年、小泉純一郎内閣発足時の支持率80%以上というのは、史上空前でした。
調査によってバラつきがありますが、87%(読売)、85%(毎日)、80%(時事)など。
2001年4月に誕生した小泉内閣の支持率は、非自民連立政権の細川内閣発足時(1993年8月)の75%を上回り、歴代最高となる85%となった。不支持はわずかに5%であり、細川内閣発足時の9% を下回った。(毎日新聞による調査)
史上最高の内閣支持率(LDIレポート)
https://www.dlri.co.jp/pdf/ld/01-14/wt0109c.pdf
その勢いで写真集まで出た。
小泉純一郎は、孝太郎、進次郎を産んだ女性と離婚して、独身でしたからね。
現在の進次郎は妻帯者だから、その点、いくらイケメンでも、かつての純一郎より女性票は弱いのでは。
ヒトラーみたいに、女性票を取るためには独身でなければ(?)。
それに、小泉純一郎には、やっぱり人間的魅力があった。
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いまから振り返って、小泉純一郎がいちばん変えたのは、自民党のイメージでした。
それまで、自民党は、どちらかというと田舎くさかった。田舎にお住みの方にはごめんなさい、ですが、それは自民党が地方を主な支持基盤にしていたからです。
都会の人は、革新政党に投票していた。そんなイメージが強かった。
でも、小泉純一郎が「田中派」をぶっ壊して、イメージが変わりました。
狭い支持基盤ではなく、「劇場型」で広く世の中にアピール力があった。
それによって、保守政党の泥臭さがなくなり、垢抜けた。良くも悪くも。
今では、都会のサラリーマンや大学生が、「自民党を支持しています」と言っても違和感ない。
それは、わたしの見るところ、小泉純一郎の時代からです。
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わたしは出版界にいたから、とくに小泉純一郎は思い出深い。
1993年、わたしが出版界に入って間もないころ、小泉純一郎はわたしの視界に入ってきた。
当時、毎日新聞に連載されていた宮尾登美子の「蔵」に感動した、という小泉純一郎の投書が、毎日新聞に載ったんですね。
政治家が、連載中の小説にファンレターを送る、というのは異例だったので、出版界で話題になったのです。
このことは、以前noteに書いたことがあります。
林真理子が、2020年の『綴る女 評伝・宮尾登美子』の中で、小泉純一郎と宮尾の関係について、誤解させるような書き方をしていたからです。
以下、そのときのnoteからの引用です。
(林真理子の『綴る女』は)華やかだった宮尾の「誕生会」に触れ、当時の幹事の以下のような証言が引用されている。
「現職の厚生大臣だった小泉純一郎さんも来ていましたよ。SPも一緒だったからよく覚えています」(p6)
そして、そのことから、当時のメディアが、宮尾を「有名政治家まで従える大振袖の老女」ととらえた、と本文でフォローされる。
なぜ、小泉純一郎が宮尾の誕生会に来たのか、その理由が書かれていないので、これは誤解を招きかねない箇所だ。
小泉は、宮尾が1993年に毎日新聞に連載していた「蔵」の大ファンで、連載中に新聞社にファンレターを送り、それが読者投稿欄に掲載されて話題になった。その当時の小泉は、海部内閣で反主流派閥(三塚派)に属し、無役だった。「蔵」が本として出版され、映画化などもされたあとの1996年、厚生大臣に就任し、「蔵」の熱烈ファンとして宮尾の誕生会に来たのである。
政治家だから、なにか打算があったのだろうと考えるのは自由だが、93年当時に「蔵」を褒めて小泉に政治的メリットがあったと思えない。それは純粋に、作家(作品)とファンの関係だったと思う。
そのことを書かないと、本当に「有名政治家を従える・・・」という印象がそのまま読者に残ってしまうだろう。
新人時代、林真理子は、宮尾登美子に可愛がられたはずなのに、こういう書き方をするのは、宮尾に対して忘恩行為だな、と思ったのですね。
小泉純一郎が、宮尾の小説に「感動した」のは、本心だったと思います。べつに権力的なつながりではない。
小泉純一郎はそういう人で、首相になってからは、加藤廣の「信長の棺」(日経新聞連載)を褒めたりした。
そのおかげもあって、「蔵」も「信長の棺」も、文庫あわせて100万部以上のベストセラーになった。
こういう出版界にありがたい政治家は、小泉純一郎の後にも先にも、知らないですね。
(ついでに言うと、百田尚樹みたいに、自分の小説ばかり自画自賛しているのは、人間としても、政治家としても、どうかと思う)
貴乃花への「感動した」もありましたね。
参議院での「人生いろいろ」発言もあった。
「人生いろいろ」発言は批判を浴びたけど、わたしはあの発言含めて好きでした。
要するに純一郎ファンでした。
自分の言葉を持っていた人で、それが人気の秘密だったと思います。
政策といえば新自由主義で、竹中平蔵に丸投げ状態でしたから、政治的にはカラッポだったとか、有害だったとか言うのは自由でしょう。
でも、人間的な中身はあるな、と出版界から眺めていました。
進次郎氏には、まだそれを感じられないですね。
<参考>
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