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「福田和也」悪評集

<訃報>


保守派の論客として数々の著作を発表し、テレビ番組のコメンテーターなども務めた文芸評論家の福田和也さんが20日、千葉県の病院で亡くなりました。63歳でした。

福田さんは東京出身で、慶應義塾大学でフランス文学を専攻し、1989年にナチスに関わったフランスの作家たちを論じた「奇妙な廃墟」でデビューしました。

その後、1993年に三島由紀夫賞を受賞した「日本の家郷」や、「村上春樹12の長編小説」などの作品を発表し、文芸評論家として活躍しました。

(NHK 2024/9/21)



<批判>


福田和也は『奇妙な廃墟』をはじめ2000年くらいまでの時期のいくつかのテクストや発言から強く影響受けたが、ある時期以降のテクストはほとんど読めず(質的にも量的にも)、あまりよく知らず、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』を読んでこの人はもうダメだなと思ったりしていたところだった。


文春のコラムで津川雅彦に媚び売ってるのが見苦しすぎて怒りのエッセイ書いたことがあったっけ。


まあ福田和也が映画について言ってることはほとんど出鱈目だったけど。スコセッシの『アビエイター』が公開された頃に「ハワード・ヒューズがRKOを作った」と言ってた。


ワシは福田和也は嫌いではなかったが、扶桑社の担当編集や坪内祐三、en-taxiの面々が軒並み気持ち悪くて、うへえという感じだった。


ワシは福田和也を好ましく思うが、「保守とは横丁の蕎麦屋を守ること」とは、他の保守論客と違う自分をブランディングしたいだけ、カッコつけで、保守関係なく横丁の蕎麦屋を守ればええやんと思う。



なんかみんな福田和也に対して点が甘いなあ。 下のamazonレビューが物語っているとおり、イロニーを弁えていないと保田與重郎を理解できないのに、マジで向き合おうとしていて本当にひどかった。


福田和也が本物の「右翼」「保守」ではなかったというような言い方をパラパラ見るけど、個人的な実感としては、いまさらウヨクとかサヨクとかどうでもいいという90年代の感覚を前提にして、なんちゃって右翼をやっている人として受け止められていた。島田雅彦と話が合うのは当然。


西部邁が晩年に出演したチャンネル桜の番組内で、論語が話題になった時に『論語清談』に触れて、「(対談)相手は福田和也なんだけど…」と憎々しげな顔で呟いていたのが、(同番組内で浅田彰のことを「困った坊っちゃん」的なニュアンスでにこやかに語っていたのとは対象的で)とても印象に残っている


「あいつが逃げて本にならなかった」というようなことも言っていたはず。 福田和也の方は西部邁の死後に連載した『最強の教養書10』の中で、その『論語清談』に触れて「一つ一つの発言に先生の息遣いが感じられ、おととし亡くなられた先生が偲(しの)ばれ涙が出そうになった。」と書いているのだが…


2002年W杯の頃から、日本の「保守」はネトウヨ的なものと一体化していくわけで、福田和也は、自分のブルジョワ・リベラリズムの居場所がなくなったことは感じていたのではないだろうか。教養と美意識に基づいてこそ保守、なんて、ある時期以降は悪い冗談にしか聞こえない。


私は、自分が何度も論じたある優れた現代小説の、底しれぬ闇を秘めた登場人物は福田和也がモデルだと、著者当人から聞いたことがある。しかし、福田自身よりもその登場人物の方が、私にとっては興味深いものだった。文章こそ読ませるが、批評家としては、いかにも薄っぺらくて底が割れていたから。


坪内祐三・福田和也の時代というものがあったこと自体が、いまでは幻のように思える。坪内さんの主著は『靖国』『慶應三年〜』あたりで衆目が一致するだろうけど、福田さんは結局、主著のないまま終わったのではなかろうか。ご本人はどう思っておられたのか。やはり『昭和天皇』だったのか。


福田和也といえば、ノーベル文学賞を受けて文化勲章を辞退した大江健三郎を「日本の皇室よりも北欧の方が上だというのなら、ご子息と共に丸木船にでも乗っててくれ」と非難したことが思い出される。恐らく否定的な比喩としてヴァイキングに擬えているのだが、そこで息子さんまで標的にする性根がね…。


福田和也氏が亡くなった。63歳。新潮新人賞の選考を一緒にしたことがあるが、個人的な付き合いはなかった。一度だけ文芸時評で彼の妄言を批判したことがある。その翌月、彼はある芥川賞作家(これも私が批判した)との対談で、沼野なんて「どうせロシア文学だよね」と言って二人で盛り上がっていた。


福田和也さんは、富裕層であり慶応義塾であることに凄い誇りを持っていて、慶応義塾は金持ちの学校である。金持ちもピンキリだが、自分のようにブラックカード(限度額なしクレカ)を親から貰っている学生はキリでも多い。若いころに金を使い放題する放蕩が教養になるのである、みたいなことを論じた


福田和也さんはロマネコンティの味のわからん奴はダメなどの、スネ夫的価値(この世は多額の金を豪奢な趣味に使えるものこそが教養人で偉いのである)の称揚ということで1990年代などに一世を風靡した訳ですが、ネット時代だとこういう主張は妬まれるので、この辺のことはなかったことにされてますよね


松岡正剛に厳しい/優しい軸と福田和也に厳しい優しい軸で知識人四象限マトリクスができる





<参考>


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