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追悼:「モーツアルトの女王」イングリット・ヘブラー
マダム・モーツアルト
ピアニストのイングリット(イングリッド)・ヘブラーが5月14日、93歳で亡くなったことを、タワーレコードの記事で知った。
失礼ながら、まだ生きていたとは知らなかった。
何しろ、ヘブラーをよく聴いたのは私が高校時代、もう40年以上前だ。
ヘブラーの全盛期といえば、さらに前で、1950、60年代、もう50年以上前ではないだろうか。
ヘブラーは1929年、ウィーン生まれ。1952〜54年あたりで国際コンクールに続けて入賞して脚光を浴びた。それはヘブラーが20代前半のころだった。
その後、1960年代のモーツアルトの一連の録音で、代表的なモーツアルト弾きと見なされた。日本では「モーツアルトの女王」と、海外でも「マダム・モーツアルト(Madame Mozart)」と呼ばれた。
してみると、ヘブラーの全盛期は、彼女の30代までだったかもしれない。
私はその全盛期を同時代には知らない。
1970年代、学校の音楽室にヘブラーの「モーツアルト作品集」LPレコードセットがあり、それを死ぬほど繰り返し聴いた。
とくにハ短調の幻想曲(K475)の美しさに悶絶していた。
ピアノソナタも、すべて最初にヘブラーで聴いた。
1960年代には、ヘブラー以外に、リリー・クラウスやゲザ・アンダの全集はあったが、モーツアルトのピアノソナタを全部聴くようなことは、音楽ファンの習慣として、当時はなかった気がする。
私にはそもそも選択の余地はなかったが、いずれにせよ日本では、「モーツアルトのピアノソナタを聴くなら第一にヘブラー」と決まっていた。
「本場」ウィーン生まれの正統性というか、「箔」もあったと思う(リリー・クラウスやアンダはブダペスト生まれ)。
だが、演奏に「本場」の説得力があったのも確かである。
批評家泣かせ
一方、1970年代後半には、日本のデンオンによる、ポルトガル生まれのマリア・ジョアン・ピリス(ピレシュ)の「モーツアルト・ピアノソナタ全集」が出て、話題になった。
貧乏学生の私がそのレコードを買えるわけがなかったが、ヤマハの店頭でその演奏を聴いて、
「なんだこれは! ヘブラーと違う!」
と驚いたのを鮮明に覚えている。
何か恐ろしさを感じ、あまり近づかないようにしようと思った。
その後、1980年代のバレンボイムの新全集を聴いて、
「こっちの方がスゲー」
と思い・・といった経験を重ねて、ヘブラーのモーツアルトの記憶は薄れていった。
彼女に対する今日的評価の最大公約数は、アメリカの批評家デヴィッド・ハーウィッツが言うとおり、
「いい(good)ピアニストで、情感も豊か(sensitive)だが、面白くない(not interesting)」
ということになるだろう。
それは決して悪いだけの意味ではないのだが、「いい(good)」と言う以外に、とがったところやハミ出した「面白い」ところがないと、現代では褒めにくい。その意味で、批評家泣かせの音楽家だ。
Ingrid Heabler Runs the Gamut from Good to Good (ヘブラーは良いものをそのとおりに良く演奏した)(David Hurwitz)
シェリングやグリュミオーとのヴァイオリン・ソナタ集も、今なお定盤だ。それらを含む、昨年出たヘブラー・ボックスセット(58枚組のフィリップス録音全集)を評して、
「She was just good(彼女はいい音楽家、それに尽きる)」
が、ハーウィッツの結論である。
時代の流れとともに、私の若いころとは、音楽の聴き方や、モーツアルト観も変わっている。
ハーウィッツが言うように、ウィーンで教育を受けたヘブラーのような旧世代には、モーツアルトはいわば宗教的遺物のようなもので、侵しがたい存在なのだろう。
ヘブラーのモーツアルトに感興が欠けているわけではないが、基本的には「聖遺物」を扱うように、抑制的にモーツアルトを演奏した。時代的には、即物主義の影響もあるかもしれないが。
私がピリスの、感性を解放したような演奏を聴いて「恐ろしい」と感じたのは、ヘブラーによって「信仰」を植え付けられていたからかもしれない。
しかし、今はモーツアルトは、「信仰」の対象ではなく、もっと人間的な芸術家、表現者として扱うのが普通だろう。
現代の代表的な「モーツアルト弾き」は誰なのだろう。
フィリップレーベルで、「モーツアルト弾き」のお株をヘブラーから奪ったのは、ブレンデルだった。
そして内田光子の超sensitiveなモーツアルトがあり、日本の音楽業界はいま藤田真央を売り出している。日本人なら、私は井上直幸のモーツアルトが好きだった。
私自身はもう新譜をあまり聴かないので論評の資格がない。バレンボイムの新旧録音で満足して老後を送っている。
謎めいた部分
それでも、私にモーツアルトの「型」のようなものを刻印したのはヘブラーだ。
ショパンならルービンシュタイン、ベートーヴェンならグルダ、モーツアルトの交響曲ならワルター、とか、子供のころ、それらを最初に聴き、しかも繰り返し聴いたものだから、一種の参照枠として存在し続ける。それはわかってもらえるだろう。
だから、大人になってから、(廉価版になっていた)ヘブラーの旧全集を買い直したりした。
それを聴くと、なんというか、精神の落ち着きを覚えた。
ヘブラーは、若いころはストラヴィンスキーやバルトークもレパートリーにしていたそうだが、レコーディングはバッハ、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンあたりまでで、その後もだいたい1970年代の初めころまでの録音が再発されるだけだった。
彼女は、ピリオド楽器を演奏した最初の世代で、フォルテピアノで弾いたJ・C・バッハが評価されているが、私は聴いていない。
1980年代に、これまた日本のデンオンが(デンオン大活躍!)、モーツアルトを再録音したが、それ以降、新譜は聞かなかったように思う。
英語の情報もネットで少し探したが、彼女の後半生の情報は乏しかった。
とにかくインタビュー嫌い、というか、人嫌いで、全盛期においてすら、メディアに登場することがほとんどなかった。社交性がなく、コンサートが終わったら、すぐ飛んで帰る人だったそうだ。
有名なわりに、事績や人となりがよくわからないピアニストだった。最近の様子も、死因もわからない。93歳だから、死因を詮索する者はいないが。
何か事情があったのかもしれないが、よくいえば孤高の、「コミュニケーション嫌い」の姿勢が、彼女の音楽づくりにも反映し、その音楽性の限界になった可能性がある。
「動くヘブラー」の映像も、YouTubeで見られるのは、以下のNHK交響楽団とのモーツアルト協奏曲27番くらいだ。
指がもつれるところはあるが、立派な演奏だ。ヘブラーのタッチが懐かしい。
ピリスやバレンボイムの「才気走った」タッチとは対照的だが、決して鈍重ではない。明快であり、かつ音楽の自然な流れを重視しているのがわかる。私にとっての「最初のモーツアルト」に再会した思いだ。
少なくともハ短調幻想曲について、ヘブラーより私を感動させてくれた人はいない。
感謝とともに、ご冥福を祈りたい。
ヘブラー;モーツアルト「幻想曲」K475&ソナタNo.14 K457
ヘブラー全盛期(1968年)のシューベルト「楽興の時」
「トルコ行進曲」