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銀座で「同伴」の思い出
もうみんなお忘れかもしれないが、「パパ活」で自民党を離党した吉川赳議員が、「あれは『パパ活』ではなく『同伴』だ」とブログで釈明した。
女性から、営業成績を上げるため月内にいわゆる「同伴」に付き合ってほしいとこわれ、翌26日に「同伴」のお誘いをし、27日に焼き肉屋の個室にて待ち合わせをし、晩さん後に「同伴」をする約束をした。
お店で得られるであろう給与を補塡(ほてん)してあげるべきだと考え、「お店にでるといくらもらえるの?」と確認したところ、「2万円くらい」と言った。そこで、多めに3万円とみて、帰りのタクシー代として1万円を加算して、4万円をその場でお渡しした。
この記事を読んで、私も生涯に一度、「同伴」の客になったことを思い出した。
同伴とは「同伴出勤」のことで、いわゆる水商売の女性が、客を伴って出勤することである。
私がまだ若手の編集者で、血気盛んなころだ。
銀座の有名な文壇バーに行き、名刺をばら撒いてきた。
そうしたら、1週間ほどして、ある文壇バーのチイママから、会社に電話があった。(チイママ=小ママ=とは、酒場などで、女主人=ママ=に次ぐ立場の女性。Weblio辞書による)
「遠藤先生の『深い河』の映画を一緒に見ませんか」
私は興奮した。そのチイママは若くて美人だったからだ。生まれて初めて女にモテたと思った。
遠藤周作原作『深い河』が公開されたのは1995年。だから、それが1995年のことだとわかる。遠藤周作はその時、まだ生きていた(亡くなったのは翌1996年)。「深い河」は、1993年に刊行された、当時評判の小説だった。
銀座の映画館で、チイママと『深い河』を見た。
店では着物を着ていたチイママだったが、シャネル風のドレスで現れた。
秋吉久美子演じる主人公が、人生に空虚感を抱え、インドなどに自分探しの旅をする。そんな映画だが、映画のことはほとんど覚えていない。
ただ、映画の途中、チイママが、隣の私の膝に突然、手を置いた。それだけを覚えている。
「これは、やれるな」
と思った。
そのあと、映画館から近いチイママの文壇バーに行ってーー。
詳しくは忘れた。とにかく、そのチイママに会ったのも、その文壇バーに行ったのも、それが最後だった。
それが「同伴出勤」という、一種の営業だと知ったのは、あとのことである。
当時はバブルが崩壊したころで、銀座も苦境だったのだろう。
手当たりしだいに「同伴」を誘った1人が、私だったのだろう。
銀座のクラブは「ひと座り、5万円」と言われたが、その日も店でそれくらい請求された。
吉川議員が払ったのが「4万円」と聞いて、相場はあまり変わっていないと思った。
いずれにせよ、安サラリーマンの私が付き合える世界ではなかったのである。