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人生の残り時間
私は8歳のころ、友達と外で遊んでいる最中に、ふと空を見上げた。
「空はおっきいなあ。雲はでっかいなあ」
と感動して、こんな感慨にとらわれた。
「ぼくは、まだ小さいから、このでっかい世界で、これからたくさん遊ぶことができるな」
「うちは貧乏で、ぼくのお小づかいは少ないけど、時間だけはたくさん持っているな」
「じいちゃんやばあちゃんは、もう時間の貯金が少ないから、毎日それを悲しんで生きてるんだろうな。あせったりしてるんだろうな」
それから50年以上たって、8歳の私に対し、60代の私が答えるとしたら、こうなるだろう。
「それが、意外に悲しくないんだ」
「8歳の君は、いわば、まだ80%の充電が残っているスマホだな。たしかに、いまの私は、もうバッテリーが20%を切り、『低電力モードにしてください』と警告されるような状況だが・・」
「スマホ?」
と8歳の私が聞く。
「あ、そうか、君はまだスマホを知らない。いまのは忘れてくれ」
「とにかく、そんなに悲しくもないし、あせってもいない」
「あせっていたのは、むしろ10代から現役のころだな」
「とにかく時間がない、と感じていた。なぜか長生きする気がしない。50前に死んじゃうような気持ちでね」
「いまのうちに、たくさん遊ばなきゃ、たくさん音楽を聴かなきゃ、たくさん本を読まなきゃ、たくさん女とやんなきゃ、とか」
「女と、なに?」
と8歳の私が聞く。
「いまのは忘れてくれ」
「ともかく、年をとると、時間の感覚が変わるんだ」
「若いころは、いま君が感じているように、時間を『貯金』のように感じている。時間を『持っている』と感じ、いまどのくらい『持っている』かが気になるわけだ」
「でも、年を取ると、時間が『貯金』のようではなく、『年金』のように感じられるようになる」
「もう『貯金』はないけど、『年金』として、時間が毎日与えられているような感じなんだ」
「年金?」
と8歳の私が聞く。
「そうか、年金もわからないか」
「ともかく、その日、その日の時間は、そのつど支給されるので、貯めておく必要はないんだ」
「先のことは考えない。死ぬまでにこれをしなきゃ、というのもない。それより、その日、その日を味わうようになる」
「蝉が鳴き終わって、秋の虫の音が聞こえ始めたなあ。こんな季節の変わり目を、あと何度経験できるんだろう、とか。いちいち味わい深いんだよ。それで1日が終わるんだ」
「ふーん。つまんない」
と8歳の私が言う。
「結局、人間は、『いま』しか持たないんだ。たぶん、人生の最後の最後までそうなんだ。時間を『貯金』のように貯めて持っていられると思うのは、幻想だったんだ。60年以上生きて、やっとわかった。言ってる意味、わかる?」
8歳の私は、
「わかんないや。またね」
と、友達と遊ぶために走り去った。
私は、遊ぶことしかしらない8歳の私を、うらやましく思う。
ひとつ、言い忘れたことに気づいた。
「それから、お前は一生、貧乏だ!」
そう叫んだが、聞こえなかったようなので、よかったと思った。