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桐島聡とインパール作戦

桐島聡が死んだねえ。

哲学者の永井均が、こんなポストをしていた。


世の中で起こる事件の中では、桐島容疑者の「最期は実名で……」には珍しく琴線に触れるものを感じる。この最期の欲望の本質は何だろう。


「最後は桐島聡として死にたい」という欲望の本質。

わたしは、インパール作戦の「白骨街道」の話を思い出していました。


インパール作戦は、ご承知のとおり、戦争末期の日本軍の作戦で、英領インドのインパールを攻略しようとした。

インパールはビルマ(ミャンマー)国境に近い要所。ビルマは日本が支配していたから、これはいい作戦に思えた。

1944年4月、作戦は乾季のうちに始まって、1カ月くらいで陥落できるだろうと日本軍は楽観していた。

しかし、英軍の抵抗で、あと数キロの地点で膠着状態がつづき、やがて雨季に入る。

結局、英軍に押し返され、インパールが落ちなかったばかりか、国境を越えてビルマまで英軍は攻め込んでくる。日本の敗戦が決定づけられた失敗でした。


敗走する日本兵たちは、ビルマの密林の、雨でずぶずぶになった泥道を逃げまどう。

短期決戦のつもりだったから、糧食を持たない。水量を増したいくつもの河にはばまれ、ぬかるみで靴も脱げ、やがて飢餓と疲労で、兵士たちはバタバタと死んでいく。

それで何万人も死んだ。ビルマのいわゆる「白骨街道」です。


それでも、従軍した朝日新聞記者によれば、兵士の死体は、ぬかるみよりも、少し乾いたところで多く見つかった、というんですね。

それも、いくつか並んで。


 死体はポツンと、ただ一体だけ横たわっているようなことはなく、一体の死体があるところには数十の死体がつづいていた。
 また山径の両側に同じように死体が並んでいることはなく、ほぼ片側に集中していた。
 人間は孤独であるとか、孤独を愛するなどというが、やはり一人ぼっちでは死ねないのであろう。
 よく見ると、死体の横たわっている側はやや高く、山径に面して勾配があり、あたりにはあまり樹木がなく、比較的明るくひらけていた。
 そこでは死体は山径に直角の形で仰向けに横たわっていた。
 濃密なジャングル内の薄暗く、ジメジメした地域や湿地帯にはあまり死体はなかった。
 やはり、こざっぱりした、少しでも美しいところで最後は息を引きとりたかったのであろう。
(丸山静雄『インパール作戦従軍記』岩波新書)


死を悟ったら、ぬかるみのなかを逃げるのをやめ、仲間と「こざっぱりしたところ」で横たわったのでしょう。

「人間はやはり一人ぼっちでは死ねない」

桐島聡にも、同じような心理を感じるんですね。

実名を名乗るのは、彼なりの「社会復帰」ですね。最後は社会のなかで、こざっぱりした場所で死にたかった。


英霊とテロリストの死を一緒にするな、と怒られそうですが。

たしかに、そのとおり。一緒ではありません。

爆弾テロの被害者やその家族が望んだ結末でもなかったでしょう。


しかし、桐島は、50年間、ぬかるみのなかを逃げていたわけですね。

彼も、彼なりに、一人の敗残兵にはちがいないと思うんです。

骨は拾ってやるべきだと思います。





<参考>


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