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「極悪女王」と「カリフォルニア・ドールズ」 女子プロレス映画とヤラセ問題
昨日、Netflixの「極悪女王」のことを書いていて、もちろん「カリフォルニア・ドールズ」を思い出していた。
自分にとって「極悪女王」が物足りないのは、「カリフォルニア・ドールズ」のようなのを求めているからだろう、と自分ではわかっていた。
だけど、「カリフォルニア・ドールズ」と言って、通じるかどうか自信がなかった。
映画ファンなら知っていると思いますが。
われわれの世代には、女子プロレス映画といえば「カリフォルニア・ドールズ」(1981)だ。
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予告編
女子タッグチーム「カリフォルニア・ドールズ」とピーター・フォーク演じるマネージャーの3人組が、各地のプロレス興行をドサ回りし、泥んこプロレスをやらされる屈辱などに耐えながら、ネバダ州リノで行われるタイトルマッチでの勝利を目指す話だ。
この映画は、ロードムービーの名作として知られる。この映画のように、プロレス興行の基本はドサだ。「極悪女王」でも、「テレビのレギュラーを失えばドサに戻ってしまう」というセリフがあった。
(なお、原題の「All the Marbles」は、「一か八か」といった意味の英語の慣用句。海外で通じないので、アメリカ以外は「カリフォルニア・ドールズ」というタイトルだった。)
ロバート・アルドリッチ監督の遺作としても知られる。
ピーター・フォークの「刑事コロンボ」以外の名演では、まずこの「カリフォルニア・ドールズ」でのマーネージャー役が浮かぶ。
最初に見たとき、感動でさめざめと泣いたものです。私にとっては「殿堂入り」の名作映画で、もちろんDVDを買って持っている。
この映画は、まさに「極悪女王」と同じ時代を描いている。
日本からミミ萩原とジャンボ堀が出演している。「ゲイシャ」というタッグ名で、劇中の主役「カリフォルニア・ドールズ」と激しいファイトを演じる(この戦いで、主人公は負傷する)。
上の予告編の1:20あたりでその場面がチラと出てくるが、残念ながら顔は見えない。
そういえば、「極悪女王」のほうには、ミミ萩原が出てこなかった。
ビューティペア後の全女は、ジャガー横田、ミミ萩原、デビル雅美のトロイカ体制だった。「極悪女王」には、ジャガーとデビルは出てくるのに、なぜかミミは出てこない。(事情の詮索はプロレスマニアに任せたい。)
ただ、いま思い返してみて、難しいと思うのは、八百長、ヤラセ、いわゆる「ブック」の問題だ。
「カリフォルニア・ドールズ」では、いろいろと裏取引(レフリーの買収や興行主の「枕」の要求など)はあるにせよ、試合は基本的に真剣勝負という前提だった。
あの頃は、「ヤラセ」はまだタブーだったのだ。
ミッキー・ローク主演の「レスラー」(2008)が、ヤラセを堂々と描いたとき、われわれにはやはりちょっと衝撃だった。
「それは言わない約束だ」という感覚が、まだ残っていたから。
(プロレスがヤラセであることは、1999年のWWFのドキュメンタリー「ビヨンド・ザ・マット」、日本では2001年のミスター高橋の著書『流血の魔術 最強の演技』などでカミングアウトされた形だ)
「極悪女王」は、「ブック」の存在を認めながら、「ブック外し」もあるという、妥協した設定になっている。
そのあたりも「うまい」とは思ったが、それが真実そのままを描いているとも思わない。
だが、ヤラセの有無がプロレス映画の本質ではない。それは「カリフォルニア・ドールズ」でも「レスラー」でも「極悪女王」でも同様だ。
アルドリッチ監督は、「カリフォルニア・ドールズ」のテーマを以下のように述べている。
「人にとって最大のダメージは、自己肯定感を失うことだ。その回復がテーマとなるだろう。それは「勝利」とは別物だ」
Aldrich said the theme of that movie "was that the biggest damage you can suffer is the loss of self-esteem and a fall from grace. The struggle to regain that esteem will fuel any plot. You don't even have to win."(wikipedia"...All the Marbles")
失った自己肯定感を取り戻すことーーそれが、これらプロレス映画・ドラマに共通するテーマであるとともに、プロレス自体のテーマ、プロレスを見る全ての観客がプロレスに期待することだろう。実力が見たいというより、その「物語」が見たいのだ。
(正直、大谷翔平がいくら凄くても、俺の自己評価にはほとんど関係しない)
「カリフォルニア・ドールズ」には続編が予定されており、タイトルは「カリフォルニア・ドールズ日本上陸 California Dolls Go to Japan」だとMGMが正式にアナウンスしていた。
日本経済が絶好調で、アメリカの脅威になっていた頃だ。
アルドリッチ監督は、本作の撮影中、アメリカの地方に失業者があふれていることに気づいて、彼らを励ますメッセージを映画に込めたという。当時、アメリカ経済疲弊の原因とされたのが、円安による日本の輸出攻勢だった。
(それで1985年のプラザ合意のドル切り下げとなり、円高不況を恐れた金融緩和と財政出動によって日本でバブルが始まる)
「カリフォルニア・ドールズ」の続編は、貿易摩擦の代理戦争のような日米対決で、おそらく米ソ対立を背景にした「ロッキー4」(1986)のような話になっただろう。
実現していたら、まさにクラッシュギャルズやダンプ松本が、ハリウッド映画に登場していたかもしれない。
だが、「カリフォルニア・ドールズ」は、批評的には評価されたが、興行成績が期待したほどではなかったことと、何よりアルドリッチ監督が公開後に亡くなったことで、続編の話は立ち消えになった。
映画ファンとしても、プロレスファンとしても、1980年代最大の痛恨事の一つだった。
<余談>
なお、クーロン黒沢が、廃墟となった豪華な全日本女子プロレス保養所(秩父リングスター・フィールド)を探訪するルポも、別の意味で名作なので、ついでに紹介。
女子プロレスの館 深い森に隠された夢のかけら 全女廃墟(クーロン黒沢 2021/5/24)
<参考>