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福沢先生の「日本一の新聞」発行社が消滅へ 毎日新聞の責任は?

昨日は、トランプ-ハリスの討論会とか、NewJeansの所属事務所への反乱配信とか、兵庫の知事問題、自民総裁選関連、立民総裁選関連、そして個人的な大事件もあって、話題が盛りだくさんでありました。

が、昨日のニュースで、一つ選ぶなら、やっぱりこれでしょう。


福沢諭吉ゆかりの時事新報社が解散決議

時事新報社(鈴木隆敏社長)は11日、臨時株主総会を開き、同日付で解散を決議した。来年2月の清算結了を目指す。

同社が保有する『時事新報』などの商標権は産業経済新聞社に譲渡し、産経新聞の紙面などで活用する。

『時事新報』は明治15(1882)年、日本初の不偏不党の中立言論新聞として福沢諭吉が創刊した。バランス感覚に富んだ社説や正確で速い報道で社会の信頼を得ていたが、昭和11年に終刊した。戦後復刊し、30年に産業経済新聞東京本社と合同、経営を委任した。東京で33年まで『産経時事』を発行、44年に紙面から完全に「時事」の記載が消えた後も、今日まで会社は存続していた。

(産経新聞 2024/9/11)


まあ、時事新報社が、まだ存続してたこと自体が驚きだけどね。

「時事新報」は明治を代表するクオリティペーパーで、「日本一の新聞」と自称し、また世間もそう見ていた。

このnoteでも、さんざん話題にしてきた。

わたしは、現在の新聞界の「2弱」、毎日新聞と産経新聞が合併して、「シン時事新報」になればいい、と主張してきたんですね。


その話は、後回しにして、昨日の産経の記事を見ただけでは、毎日新聞との関係が分からないだろうから、まずそれが分かるように年表にしました。といっても、なかなかに複雑ですが。

実は、産経、毎日だけでなく、読売、日経も関係してます。

時事新報は、社史を残してないので、不明な点もなお多いんですけどね。



時事新報創刊の経緯と「産経」「毎日」「読売」「日経」の関係年表


1880(明治13) 自由民権運動に手を焼いた伊藤博文と大隈重信が、福沢諭吉に「政府新聞」の発行を打診

1881(明治14) 1月、「政府新聞は嫌だ」と福沢が井上馨に断りに行ったところ、政府に国会開設の意思があることを知り、考えを変えて新聞発行に動き出す。だが10月のいわゆる「明治14年の政変」で大隈が失脚、政府新聞の話は御破算になるが、すでに人の手当をしていたため、福沢は政府と手を切って新聞を出すことにする

1882(明治15) 3月1日、「慶應義塾出版社」から時事新報創刊

1901(明治34) 福沢諭吉死去

1905(明治38) 大阪進出。「大阪時事新報」を創刊

1932(昭和7)  鐘紡社長の武藤山治が経営権掌握

1935(昭和10) 経営難のため、武藤は、慶應の同窓生、大阪毎日新聞の高石真五郎(のち毎日会長)に救援要請。高石は、毎日の社外取締役だった夕刊大阪(現産経)の前田久吉を時事新報の取締役にする

1936(昭和11) 12月25日に経営難で時事新報(東京)休刊。高石は責任をとって、大阪毎日新聞が時事新報の営業権(のれん)を買い、その代金を時事新報解散費用とし、時事新報自体は東京日々新聞が合同した。1943年まで、「東京日々新聞・時事新報合同」の題字が使われた(1943年、大阪毎日と東京日々が題字を「毎日新聞」に統一)

1942(昭和17) 経営難の大阪時事新報を読売が買収しようとするが、前田久吉の「夕刊大阪」が合併し「大阪新聞」となる。「大阪時事新報」休刊。同年、中外商業新報(現・日本経済新聞)が「経済時事新報」を合同したが、それが時事新報社と関係あるかは不明

1946(昭和21) 前田久吉らが1月1日に「時事新報」を復刊、2月1日に「大阪時事新報」を復刊

1951(昭和26) 大阪時事新報が再び「大阪新聞」と合同して休刊

1955(昭和30) 時事新報社は産経新聞社に業務一切を委任。産経新聞が時事新報を合同。1969年まで「産経新聞・時事新報合同」の題字が使われた(1969年から「サンケイ新聞」の題字になる)

2002(平成14) 大阪時事新報を吸収した大阪新聞が、産経新聞大阪版と合同して終刊

2024(令和6)  9月11日、休眠会社だった時事新報社が解散決議



まあ、この経緯を見ると、福沢先生が作った新聞の経営が苦しくなったので、慶應卒業生が経営する(当時は)景気がよかった毎日新聞に救援を頼んだら、「いくら福沢先生の新聞とはいえマジ迷惑」と、毎日新聞は産経新聞に厄介ごとを押し付けた。

でも、「日本音楽コンクール」とか「大相撲優勝額」とか、時事新報のおいしい事業だけは毎日新聞がとった、みたいな話なんですよね。

「大阪時事」については、読売がほしがったんだけど、ときの政府は産経に渡してしまった。

産経は、厄介ごとを引き受けただけで、あまり得しているように思えない。

それなのに、

「約70年にわたり産経新聞社に経営を委任していた時事新報社を解散することは誠に遺憾で申し訳なく存じます。今回は新聞全体の大きな時代の変化の中で苦渋の選択でした。「時事新報」の商標と伝統は産経新聞社が護(まも)っていく決意を示してくれたので応援してまいります」(鈴木隆敏社長の話)

というのは、なんか健気じゃないですか。


これから時事新報を産経が引き継いだところで、美味しいところはもう残っていない。慶應義塾や同窓会(三田会)のバックアップを期待しているのだろうか。

毎日新聞は、この件をどう報道しているのだろう(毎日のニュースを見つけられなかった)。

本当は、毎日新聞に責任があるんじゃないですか。


もともと、時事新報の経営が苦しくなったのも、毎日新聞と朝日新聞のせいなのよ。これも、ここでさんざん書いてきたけど。

毎日と朝日という大阪勢ががっちり手を結んで、関東大震災で東京の新聞が壊滅状態だったのに乗じ、時事新報や國民新聞の部数を奪ったんですね。

産経新聞は、なんも悪くない。毎日(と朝日)が悪い。責任とってほしい。

法的な責任はないとしても、道義的というか、気持ちのうえで、少し責任を感じてほしいんですね。


だから、やっぱり、毎日新聞としては、産経、プラス産経の胎内にある時事新報と、改めて「結婚」する形で、責任をとるべきではなかろうか。

というわけで、以前書いた「毎日新聞と産経新聞は合併しなさい」の主張を、ここでまた繰り返したいわけです。


毎日と産経は、関係が薄いと思われるかもしれないが、案外そうではない。
毎日も産経も大阪発祥で、産経新聞創業者の前田久吉は、大阪毎日新聞の取締役も務めていた。
福沢諭吉が創刊した時事新報の経営が傾いたとき、最初は毎日新聞が救済を任されたが、毎日はそれを前田の産経新聞に譲った。
毎日新聞、時事新報、産経新聞は、大きく「実業系」である特色がある。つまり、いずれも実業界をバックに創刊した新聞だ(ほかは政界などをバックに持っていた)。
結局、毎日も産経も、実業系の高級紙であった時事新報を救済できなかったが、その遺産は、毎日と産経の両方に流れ込んでいる。いま、時事新報の題号や著作権などは産経が引き継いでいるが、日本音楽コンクールなどの時事新報のイベントは毎日が引き継いでいる。
だから、毎日と産経が合併し、シン時事新報という名の新聞にでもなれば、泉下の福沢先生もお喜びになるというものだ。ついでに名前が似ている時事通信社も一緒になればよい。


<参考>


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