SNSと情報戦 ーー「フェイク」の自由
不謹慎かも知れないが、今回の「ウクライナ戦争」は、SNS時代の「情報戦」の実際について、格好の事例を提供してくれている。
渡部悦和氏がJBpressで、バイデンの「開示による抑止」策が、情報戦でロシアに勝利したことを書いていた。これは大変勉強になった。
ロシアの侵攻を防ぐことはできないが、その情報をできる限り開示していくことで、ロシアのデマ情報をあらかじめ封じる。
渡部がいうように、そのことで、ロシアの行動を縛り、ロシアの言い分を相対化して、世界世論からの孤立に追い詰めることに成功したのは明らかだろう。
しかし、SNSの存在が、その作戦を阻害し、ロシアの嘘を広めることに貢献している、という渡部の意見には同意できない。
プーチンの主張の多くが嘘であることは世界に提示された。しかし、その嘘をいまだに信じる日本人が相当数いることには驚きを禁じ得ない。これは、ソーシャルメディアの誕生と密接な関係がある。
ソーシャルメディアがなかった一昔前には、プーチンやロシアを擁護する歪んだ意見を持つ人々が世界に発信するチャンネルがなかった。しかし、今や一般人がソーシャルメディアを通じて自らの主張をしつこく繰り返すようになっている憂慮すべき現状がある。
確かに、SNSを通じてフェイク情報は流通するだろう。
しかし、それと当時に、フェイク情報を正し、弾劾する情報も、同じSNSで広まっている。
もし、渡部のような意見を許容すると、有効な「情報戦」においては、SNSを規制しなければならないことになる。
しかし、実際はむしろ逆で、SNSを解放している世界の世論に、SNSを規制するロシアの「嘘」のほうが追い詰められている。
これは、「言論の自由」についての古典的な議論につながる。
つまり、言論を自由にすれば、必ずフェイクや、好ましくない言説が流布する。
しかし、それを規制するのではなく、むしろ解放して、自由社会の言説の価値をめぐる競争原理の「淘汰」に任せたほうがいい。
これまでのところ、今回の「情報戦」は、こちらのほうの見解を支持しているように思える。
自由社会の価値を守ろうとするなら、「フェイク」を含めて、SNSの言論の自由を守らなければならない。そのことは、この機会にも強調すべきだと思う。