1977年の夏休み、ボクらの犯罪
きのう、榊原郁恵の1977年の曲「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」のことを書いていて、その頃ボクらは犯罪者だったことを思い出した。
1977年、高校生だったボクらが、夏休みにやっていた犯罪を、ここに告白しておきたい。
ここでは「ボクら」とぼかして、わたしの知り合いがやったことで、わたし自身がそれに手を染めていたかははっきり書かない。わたしだって、いずれ自民党の総裁選に出るかもしれないからね。
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この犯罪の仕組みは、非常に簡単だ。
かつて、コーラやジュースのような清涼飲料水は、ガラス瓶で提供されていた。当時はペットボトルなんて洒落たものはない。
夏ともなれば、中学生や高校生の男の子は、学校の帰りに、駄菓子屋や米屋でガラス瓶のジュースを買って、一気飲みするのが習慣だった。
当時は「チェリオ」が最も容量が多かったので、「チェリオ一気飲み」の速さを争い、男気を競うのである。
それはともかく、このガラス瓶は、リターナブル瓶といって(そういう言葉は当時知らなかったが)、回収して何度でも使うタイプだった。
だから、ジュース代の中にはガラス瓶代が含まれており、ガラス瓶を店に返したら10円戻ってくる。そういう仕組みだった。
いま、このリターナブル瓶は、循環型社会にふさわしいと再び注目を集めているそうだ。
でも、この仕組みは、犯罪の温床になる。
つまり、ガラス瓶を盗む動機を生む。
回収したガラス瓶は、たいがい店のバックヤードに無造作に積まれていた。きちんと管理されておらず、それを盗むのは、子供にも造作のないことだった。
店の裏からガラス瓶を数本盗み出し、それを別の店に持っていくだけで、数十円の駄賃が稼げたのである。
なかには、裏でガラス瓶を盗み、同じ店の表にそれを持って行ってカネにする大胆な犯罪者もいた。
1977年の夏休み、「ボクら」は、この手法で「泥棒大旅行」を思いつく。
ボクらは自転車で隊列を組み、海に向かった。
その道中、ジュースを売ってそうな店を見つけたら、裏に回ってガラス瓶を盗み、それを自転車に積んで、次に見つけた同種の店でそれを売る。
これを繰り返したら、目的地につくまでに、ボクらは大金持ちになる。
この計画は実行されて、ボクらは楽しい夏休みを過ごした。
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当時はシンナー遊びが大流行していた。
シンナーは「アンパン」と呼ばれていた。
だから、「アンパンマン」がシンナーを吸っている絵を、西原理恵子が描いていた。
シンナーを吸っている者はすぐ分かる。独特の甘い匂いが体から漂ってくるからだ。
そして、歯がボロボロになっていった。
ボクらがつるんでいたとき、「ラジカセ」から流れていたのは、「四人囃子」だ。
とくに、四人囃子の「おまつり」をよく聞いていた。
「何もすることがなくて」という歌詞が、ボクらの気持ちにピッタリだった。
四人囃子「おまつり」
でも、そろそろ、自分たちの進路を決めなければならない時期だった。
受験勉強を始めるか、それとも就職するか。
いずれにしても、憂鬱な未来がすぐそこに待っていた。
ボクらは、その未来からできるだけ逃げようとしていたのだ。
<参考>