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rvision004
人生は反比例なのだろうか
健康資本をどのように蓄えるのか。健康消費や健康投資を考えるが、いずれにせよ常に目減りしていく現状に対し、健康貯蓄が間に合わない感覚がある。それが歳をとるということなのだろうか。
若いときには、健康よりも考えることが多すぎた。漠然とした不安感か焦燥感もあった。そのようなことを考えてみると、以前よりも心は落ち着き、安定している。もともとその性質はあったが、良くも悪くも感情の起伏がより平静を保つようになっている。
しかし、家族を支えるために、生涯可能な限り長生きし、現役を続けていかねばならないのが現状。そのような決意と裏腹に、健康資本が目減りしていく現実。そこへの抵抗に関しては終わりが見えない生涯の課題。遠くを見れば、終わりなき長いレールが地平線の彼方へと消えていく。しかし、足元に目を凝らし、気を付けながら歩みを進めていると、もうここまで来てしまったのかという虚無感もある。
若いときに感じていた、焦燥感や不安感が漸進的に逓減していくと同時に、それと反比例するかのように増大していく虚無感。知識や経験が増えるだけの結晶性知能が蓄積すると同時に、健康資本が目減りしていく。人生の本質は、このような反比例なのだろうか。
人生の価値が反比例であるにせよ、正の方向における等比級数を如何に大きくするのか。そして、周りの大切な人々の幸福を自分のこととして捉えられる人間になっていけるのか。まさに今、ここが問われている。