赤ひげ先生に見る、人を支える医療。
医療というものにも必ず限界があります。そしてその限界を誰もが知り、認めるべきなのです。医療というと目の前の患者の傷病を治すという事だけが使命であるように捉えられがちです。確かにそれは一面ではありますが一面に過ぎません。重要なのは、その医療が人間を診ているという点なのです。
生まれや育ち、経済状況など、人間を取り巻く環境は様々あります。そして理想を言うならば、医療というのはここをなおざりには決してできないはずなのです。なぜならば環境こそが、傷病の原因、誘因、起因であるからです。
それは予防という意味においても、対処という意味においても治癒、改善の対象になりうるということです。そしてこれこそが根底にある「医療の視点と役割なのではないか。」そのようにさえ考えられます。だからこそ、地域医療やかかりつけ医(町医者)という存在と役割が重要になるのだと考えます。
かかりつけ医というのは、元来患者の生活環境、そして経歴までも知る必要があります。いや、必然的に傷病を診ていく中でその背景にある多くの事を知っていく事になるでしょう。勿論、高度医療が必要になった時には中核病院や専門病院などで素早く対応し、そしてまた地域へ戻るといったサイクルは現代においても広く行われていることでもあります。
それが「その人を診る」ということだからです。この赤ひげ診療譚に出てくる医師・保本登のように、病気を診るだけでは"根本的な治療"などできるはずもないのです。その人にとって本当に手術が必要なのかどうか。それは病気を診るというだけでなく、患者の人生規模の視点が必要だと言うことを理解させてくれます。
とはいえ、同時に医師や医療だけに健康の問題を押し付けようにも、そうは問屋は下ろさない。本人を支えているのは、自己であり、家庭であり、地域であり、社会といったような幾重にも折り重なった重層的で複合的な関係性でもあります。この全ての階層におけるパートナーシップが、一人の健康を支える事においても非常に意義を持ち続けます。
同時にこのような医療を考えるとき、医師の負担の大きさについても考えさせられます。こうした事を踏まえ、家族や地域、そして他職種連携が必然的にも求められるように思えてきます。
またこのような事柄は実は医療だけでなく、福祉や教育などにとっても同様の事が言えるものだと思っています。人を支えるケアワーカーにとって、多くの示唆に富んだ作品です。