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浮標を見つけて、2023年

 近所は新築戸建の建設ラッシュ。この一年で10軒くらいの立派な一軒家が解体されて、新しい家になった。築35-50年くらいの家が並ぶエリアだから、高齢になって家を売るひとが多いんだと思う。
 一軒家が取り壊されたあとは、ほぼすべて二軒の3階建戸建になった。千鳥の大悟が、相席食堂かなんかの番組で「太2と細3」って言ってたっけ。妙に印象に残っていて、3階建戸建を見るたびに、心のなかで「細3」って唱えている。

 解体の現場では、どこの国の言語か分からない言葉が飛び交っている。解体業者のチームは全員外国籍のようで、年齢はバラバラだけど連携プレイが上手だった。何回か遭遇したので、この辺りを拠点にして働いているんだろう。
 解体作業を見ていると、あの家ってあんな内装だったんだ、と壁の内側を知って、秘密を垣間見たような気になる。しかし建物が跡形もなくなると、途端にその秘密は解けて、どうでもよいものになる。解体業者が去っていったほんの数日後には、若い兄ちゃんが小型ショベルカーで整地をしている。

 幹線道路には、大型トラックが行き交っている。自室のようなこだわりの内装。生き方のステートメントのような言葉が刻まれていることもある。沖縄で話を聞いた元ダンプトラック運転手のことを思い出す。彼はどんな思いで走っていたんだろう?

 2023年、わたしは大学に通いはじめた。社会学に関心があって、1月に岸政彦さんと石岡丈昇さんのトークに行ったことが転機になって、4月から打越正行さんの講義に通うようになった。
 打越さんは沖縄の建築労働者の研究をされているので、日々の生活でも建築現場に目がいくようになった。学ぶことで観点が増えると、今まで通り過ぎていた風景の見え方も変わってくる。

 ところで、さっきfacebookを開いたら、10年前の自分の投稿がおすすめ表示されていた。2013年の年末は卒論を書いていたようで、執筆しながら年を越したあのときかー、と思い出す。
 投稿には、毎月の活動記録も載っていた。演劇公演やフェスティバルの仕事をしたり、気になるフィールドを見に行ったりして、月2くらいのペースで全国津々浦々まわっていたらしい。過去の自分のフットワークの軽さに嫉妬する。体力があってすごいなと思う反面、自慢みたいな投稿でちょっと恥ずかしい。まあでも闘いの記録だったんだなと思う。

 おもしろいことを嗅ぎ分ける嗅覚、選択は間違っていないという自信。就活しない闘い方で仕事を掴んで生きていくんだという強い思い。でも、どうしようもない焦燥感。何者でもなさ。自分を信じることが不安で苦しかったころ。

 大学を卒業してから、もうすぐ10年。
 肩書と経験は増えたけれど、いまだって何者でもないし、一人きりだ。
 大学にいるのがしんどくて、大人の世界に逃げ込んで、でも一周まわって大学に流れ着いた。人生って不思議だなと思う。

 今年は感染症に3回罹って、年間通してやる仕事が2つ増えて、大学に通って、猫を拾った。
 大きな買い物はしなかったけれど、時間にお金を使った。かけがえのない景色や大好きな人たちに出会えた。人生の浮標になるような大切な一年になった。

 あ、書いてたら、年越してしまった。
 あけましておめでとうございます。新年の抱負はまた今度。今年もよろしくお願いします。

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 2017年に書いた浮標のはなし。歳を重ねるにつれて、自分を駆動させるエネルギーの質が変わってきていると感じる。

 深淵の海を小舟ですすんでいる。はじめて航海する海は、前にすすむことが楽しい。ふと目線を遠くにむけると、波に揺れている浮標が見える。どんな形をしているのか、浮標に触れて確かめてみたい。それでも遠すぎて、自分の力を越えているように思う。だがどうしてもたどり着きたいという気がして、その方角にすすんでみる。波が想像以上に大きい。もう足をつける水位ではないところまで来てしまった。いままで意識もしていなかった沈没という可能性が頭に浮かぶ。しばらく夢中で漕ぐと、次第に波はゆるやかになった。いつの間にか他の舟が近くにいる。彼らといっしょに同じ方角を目指してみることにする。まだまだ浮標は先にある。もし触れられたとしても想像と違うかもしれない。それでも浮標に触れて、そこからの景色を臨みたいと思っている。
 わたしは海を航海するように舞台芸術と関わってきた。しばらく漕いだところで「あらゆる人が芸術に関わるために、関わり方の選択肢を増やしたい」という浮標を見つけた。志、信念、判断基準とも言い換えられるかもしれない。観客・鑑賞者としてだけでなく、自分にあった関わり方で参加の深度を選べるような環境をつくりたい。
 浮標の形はわからないが、やってみたいことがある。場所をつくりたい。これは早いうちに取りかかりたい。単なる劇場やアートスペースではなく複合施設がいい。できれば広間とキッチン、カフェ、保育園・老人ホーム、花屋、ショップ。あとは地域にひらかれた庭があるといい。 そこでは異なる属性の人が場を共有し、役割を発揮することができる。知識やスキルが循環し、ゆるやかに繋がっていく。  
 浮標は言語化すると、あやふやで疑わしい。言葉で自分を規定しているのではないかという疑念が拭えない。もしかしたら幻かもしれない。しかし、この方角に進め!という、確信めいたなにかがわたしのなかにある。その思いは希望でもあり、わたしを支えている。 

2017年

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