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あきらめる瞬間

ときどき、行政が行っているPCR検査のお手伝いをしている。
これは「保健所が検査に行ってください。」と指示して行うもの。
感染が疑われる方々に行われるもの。

方法はドライブするー形式。
フルPPE(ガウン、手袋2枚、N95マスク、フェイスシールド、キャップ)で対応する。
夏は暑いので首に汗よけのタオルを巻き、冬は寒いのでまたタオルを巻く。
タオル無しでいけるのはこの季節ぐらい。

いろいろな方が見えるけど。
3日おきぐらいに採取が必要な小学生の低学年の女の子の姉妹がいて
毎回採取のたびに、それはそれは大騒ぎだった。
3人して大声、奇声、車の中で大暴れ。ジタバタと手足を動かし、首を振る。
なだめて、褒めて、最後はがっちり固定させてもらって(動くとかえって危ないので)、採取。
取り終わったら、涙目で親の仇を見るような目で睨む。
この子たちがどうかトラウマになりませんように、と祈りながら「バイバイ」と手を振って見送った。
大人でもたいへんなこの検査。小さな子どもには・・・残酷だ。

その子たちの3回目の採取の日。
「うわぁ、またあの子たちだ。大丈夫かなぁ。」と言いながら、採取に向かった。
ところが、3回目はまったく騒がず、動かず、じっと目を閉じて、眉間にシワを寄せて、歯を食いしばっているように見えた。
当然、採取はすんなりと終わったのだけど。

この3日間の間に、この子達に何があったのだろう。
行動変容を起こすどんなイベントがあったのだろう。
親御さんは毎回、あの騒ぎをみていたのだが、特に声をかけるでもなかった。
叱るとか、そういう感じもなかったのに。

子どもは(大人もそうだけど)、ある瞬間、あきらめる。
受容する、といえばいいのか、抵抗をやめる。
それは生き抜くための本能なのかもしれない。

でも、見ていて切ない。
まだ大声あげて、いやだよーと逃げている方が普通に思えた。
我慢している姿は痛々しく、私の心にもその痛みが伝わってきた。

私は子育ての経験がないので、なおさらそう思うのかもしれないし、逆に鈍感なのかもしれないけど。


ちなみに、昨日であった中学生ぐらいの男の子との会話。
後部座席から、「めっちゃ恐いんだけど」、笑いながら後退る。
「恐くないよー、ちょっと痛いけどね!」、私も笑いながら手招きする。
「いや、その格好、めっちゃ恐いんですけど」
あー、フルPPE状態の人間に囲まれると、そりゃ恐いわね。
もう見慣れてしまったと思っていたけど、まだそんな感性の子もいるんだ。
「大丈夫! 中身は普通の人だから!」
ささっと検査は終わったが、どうか、夢見が悪くありませんように。



タイトル画像は”Aomy.”さんにお借りしました。
ここまで感傷的ではないけれど、いろいろ思うところがあります。

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