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つい脱がされて 😳
昨日は久しぶりに「嫌われる勇気」を読み返しました。
そうだったぁ。
読んだとき感激して、生き方に取り入れようと誓ったのに!
たぶん数日で空の彼方に消えてしまっていたな、これは。😓
やっぱり、心と脳に染み込むまで繰り返し読まなきゃな、と反省したのでした。
「課題の分離」は、なんとなく理解はしていて、ときどき思い出していました。「それは誰の課題か?」と自問することもあるし、他者に問うこともあります。
課題の分離はできても、その後の介入を我慢できるかはまた別問題で、余計なちょっかいを出そうとする癖はなかなか直りません。
一番、衝撃だったのは冒頭の「目的論」。
課題に対して、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考える……というもの。
私がここしばらく沈み込んでいた事象は、大好きだった人やものが嫌いになっていたことに対する罪悪感だった!と今朝気がついたのですが。
じゃ、なぜそんなに自己嫌悪に陥るほど嫌いになったのか、ずっと原因に思いを巡らせていたのです。
でも、アドラー式には、原因を突き止めようとしてもダメなんですね。
嫌いという感情を使って、手に入れようとしたものは何か。
あるいは自己嫌悪に浸ってまで、嫌いという感情をこしらえた目的は?
なんででしょう??
どっぷり浸っている現在の位置からは見えません。😓
まぁ、なんかあるんでしょうね。
巧妙にしかけられた、「目的」が。
***
昨夜はnote仲間”うりも”さんのスタンドFMにお邪魔して、妄想について熱く語ってしまったのですが。
前編では自由自在に妄想できると豪語したのに、この1週間はなかなか上手にできませんでした。
この脱却したい事態が改善して、喜んでいるところを思い描きたいのに、最後の最後にボロボロとこぼれていく感じ。(👈 これもしっかり妄想ですが) どうしてだろう?? というのも新鮮な体験でした。
まぁ、何でも思うようになっちゃこの後の人生がつまらないですからね。
うりもさんとおしゃべりしながら、たまにはこういうエンタメ(?)もいいのかな? というところまで来ました。
(ラジオがエンタメではなくて、私の落ち込みがエンタメです。)
そういえば、若い頃、こんなしょうもないことに始終悩んでいた頃がありました。当時は仕事帰りの喫茶店(死語?)で話を聞いてくれる人がいたのですが、その人がお嬢さんに私のことを話したそうなのです。
そしたらそのお嬢さんが一言「柿葉さんって悩むのが趣味なんだね。」と言ったとか。思わず、苦笑しました。
それから、そっか、私は悩むの趣味なんだ!って思うことにしたんだって、思い出しました。
いろいろな方のおかげで、復活中です。
noteに向かっているときも、うりもさんと話をしているときも、つい脱がされてしまいますね。え? 自分から脱いでる??
そういえば「私、脱いでもすごいんです」は1995年のCMでしたね。🤣
でも恥ずかしいので、スタンドFMのリンクは貼りません。
タイトル画像は”chamland”さんにお借りしました。
いやん、めっちゃかわいいんですけど。😆
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