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引き出しの中はゴミと思い出と

今日は集落の老人会による墓掃除&お食事会。
リハビリを早めに切り上げて、両親は2人して出かけていきました。
昼食を食べたらすぐ帰ってくるかと思ったら、お迎え要請がきたのは15時。
久しぶりの同世代9名との会話は、思い出話やら近況報告が溜っていて、なかなか終わらなかったようです。
楽しかった!といい顔で帰ってきました。

私は午前中、母とやりかけていた食器棚の引き出しの掃除をしていました。
引き出しの中は、ゴミとも思い出ともつかない怪しげなもので溢れています。
案の定、「捨てたら?」というものも「まだ使える」とか「それは大事なもの」とか言って、手放しません。😅
洋服の共布とか、残しててどうするつもり???
「栓抜きをひとつにして!」と言っても、「それは○さんのお土産だから」とか「いくつかないといざというとき困る」って、今どき栓を抜く場面がどれだけありますか??? 
しぶしぶ、引き出しに戻しましたが、数えると10本はありました。💦
もうしばらくは、しまっておきましょう。

引き出しの中身については、いろいろ書きたいことがたくさんありますが。

その中に、丁寧に折りたたんだ古い紙がありました。
開いてみると手書きの詩です。
老人会かお寺かあたりで、もらってきたのかな??

丁度よい

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい        
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも 丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない                          死ぬ月日さえも 丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます 
                            良寛

本当は大谷派常讃寺坊守藤場美津路さん作とのこと

なかなか、いい詩だなぁと思って読みました。
ですが、さっきまですっかり忘れていたのです。

この詩の存在を思い出したのは、かえるさんの記事を読んだからでした。

NHK朝ドラの「舞い上がれ」も佳境を迎えています。
”ばんば”の脳梗塞もその苦悩も他人ごとではありません。
「いてくれることがありがたい。」
それは、何度も何度も感じたこと。
でも一方で、すぐ日常の些細なことにイラっとしたり、物足りなさを感じたり、何してるんだろうなぁ、と思ったり。

感謝は、特別なとき、特別なことにするのではない。
日常の、淡々と流れゆく時間のなかで、連綿と繰り広げられる命の営み。
そんな中の何気ない一コマに目が向いて、関心を寄せたときに、じんわりと湧いてくるようなものなんだろうな・・・と思いました。
気負わなくてもいいかな、とも。

「丁度いい」って詩を見つけたのも、かえるさんの記事を読んだのも、シンクロしている気が(勝手に)します。
これって、みぞさんの影響が大きいなぁと思います。


私の関心はあちこちに向いていますが、すべての方向にnoteで出会った皆さんの刺激や影響を受けています。
何気に響き合うのは、心地よいですね。
書きたいことがたまっているのですが、表現するのが難しくってね。😅


タイトル画像は、我が家の ”岩ツツジ” です。
桃も水仙もユキヤナギも花盛り。
ヒバリが元気に真っ青な空へ突き抜けていきます。


お気軽にコメントお待ちしています。
かる~いノリでいただけると、かる~く返します。


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