”有意義疲れ”の社会(『目的への抵抗』を読み終えて)
最近、『目的への抵抗』という本を読み終えた(その本には僕が個人的に気に入っている別の本『限りある時間の使い方』に連なるところがあると感じた。そしてそれを言語化したいと思ったから、このnoteを書いている)。
『目的への抵抗』から僕が見出した大雑把なメッセージは、「人間らしく生きるには、”遊び”も大事にしなきゃだよね。でも、最近の社会って、その”遊び”を蔑視/軽視していて、人間らしく生きることを忘れているよね」だ。”遊び”というのは「目的によって開始されつつも目的を超え出る行為、手段と目的の連関を逃れる活動」(P.179)のこと。この本では、子どもが砂場でトンネルを作ろうとしている例が出てくる。
僕はこのメッセージに大いに共感する。
また、先述したように、僕は『限りある時間の使い方』という本をすごく気に入っている。『目的への抵抗』に関連しているメッセージを取り出すと、以下のとおりとなる。
(・・・)今を犠牲にしつづけると、僕たちは大事なものを失ってしまう。今を生きることができなくなり、未来のことしか考えられなくなるのだ(P.34)
[資本主義社会の大金持ち]は自分の時間を、利益を生むための道具として使うことに長けている。それが資本主義社会のでの成功の定義だ。ところが時間を有効活用することに躍起になるあまり、彼らは現在の生活を、将来の幸福に向かうための移動手段としか考えられない。現在を楽しむことができないのだ。(P.157)
現代に生きる僕たちは、休みを「有意義に使う」とか「無駄にする」という奇妙な考えにすっかり染まっている。(・・・)でも本当は、余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法ではないだろうか。(P.173)
ここで、『目的への抵抗』と『限りある時間の使い方』のメッセージを僕なりに橋渡しすると、「僕たちが目の前の時間を有意義に=何かの目的のために使うことが”良いこと”と今の社会では扱われる。でも、そのせいで、現在を楽しむことができていない=人間らしく生きられなくなっている」、ということになると思う。
会社に勤めていると、それはなんとなく感じる。
以下の価値観は、会社ではけっこうよく見られるんじゃないだろうか。
土日(土日じゃなくてもいいが)に休むのは、あくまでも、会社でちゃんと働くため。
有休をとってゆっくりしてね(ゆっくりした分、ちゃんと働いてね)。
仕事が終わったあとは自由時間だけれど、自分の市場価値を高めるために、資格勉強をすることは”良い”ことだよね。
(会社は会社の論理で動いているし、会社にとって有益な価値観のもとで駆動するのが当たり前だから仕方ないのかもしれない)
もちろん、「目の前の時間を何かのために使うことが悪いこと」というわけでもないと思う。
けれども、”人生には遊びも大事だよね”ということを忘れてしまうくらいに”有意義至上主義”な価値観に染まってしまったら、それはそれで不幸だと思う。
だからかもしれないけれど、揺り戻し的に、今の社会が同時に、”有意義さ”に疲れてきているような気も、うっすらとしている。僕だけかもしれないけど。
▼紹介した本
『目的への抵抗』
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