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【旅行記】松山旅行 3日目 ③ 買い物と喫茶
$${\small{前回の話}}$$
おすすめされた店
松山城から出てからは、お土産を買って回ることにした。色々と店を回ったが、今回は1軒だけ紹介したいと思う。
ここは人に勧められて初めて知った場所で、もちろん元々行く予定はなかった。勧めてくれたのは、『STROLL』の店主さん。「素敵なお店」だと彼女は言う。それを聞いた時は、話の途中で場所もぼんやりとしていて「まあ行けたら行くかなあ」くらいに、心に留めているだけだった。
きっかけは、松山城から戻ってきた時だった。
ロープウェイで下りながら周辺の地図を眺めていた時に、たまたま『STROLL』での会話を思い出したのだった。
「店主さんが言っていたお店、もしかしたら近くにあるかも?」
記憶を頼りに調べてみると、確かにその店は存在していた。ロープウェイ乗り場からほど近い場所に。
工藝ギャラリー ROSA
「ROSA はこの近くだよ」
ロープウェイ乗り場を出て、いざ坂を下ろうとしていた時、僕は妻に言った。
なんのことやらと首を傾げられたが、とにかく店が近くにあるから立ち寄りたいと僕は熱心に伝える。
せっかく松山に来たんだから、家で使う食器を買おう、と。
妻は納得したようで、僕たちは向きを変えて坂を上り始めた。
『ROSA』はロープウェイ乗り場から、坂をもう少し上った場所にある。
店の前には、店名の書かれているずんぐりとした看板がかけられている。そこに刻んである「工藝ギャラリー」という文字を眺めていると、昔懐かしい気配が立ち昇ってくるような気がした。
素朴さを感じながら、ガラス越しに店の中を覗いてみると、また全然雰囲気が違うからびっくりする。
木の温もりの中に、住空間らしい華やかな空気がきらきら光っていて、品数の多さの割にさっぱりとして見えた。
引き寄せられるように、僕は店の扉を開けた。
居心地の正体
外履きを、脱ぐ。
それがお店に入ってまずしたことだった。
それだけでも、随分と心持が変わる。
僕たちはただお店に入ったのではなくて、お店にお邪魔した。地続きの道をそのまま、ではなく、敷居を跨いだのだ。
最初はもちろん、そわそわした。そわそわするままに、店を徘徊する。入り口の木のカトラリーや、店の中央に並んだ砥部焼、左右の棚もひとまず見て回る。
ぐるりと巡ってみると、店のどこを見ても何かしらと目が合うことに気づいた。
けれど、騒がしい感じが全然しない。
陳列の仕方が綺麗なのもあるけれど、どちらかといえばゆったりとした整い方で、食器やかごや染め物や木器など、様々な種類の品物同士が、しなやかに繋がっているような感じだった。
これなら店の外から見た時、住空間的な充実や華やかさを感じたのも納得がいく。
ここはシンプルに、居心地が良いのだ。
気づけば、入店間もなく感じていた緊張もほぐれ、僕たちは好き好きに物色していた。
食器の前で腕組みしたり、まな板の前で悩んだり、かごの前で唸ったり。
素直に好きなものと向き合って悩むという、オーセンティックな買い物を楽しんでいた。
お土産選び
しばらく、素敵な家に招かれた時のようにふわふわと品物を眺めていた僕たちだったが、少し冷静になり、中央の台に並んだ砥部焼を挟んで会話した。
何を家に持って帰るか、という問題に対し、僕たちはお互い相手に判断材料を求めることにする。
気に入ったものはたくさんあり、『好き』の比重もおおよそ同じ。
後は何かしらのきっかけだけなのだった。
結果、僕は自分にケヤキのまな板。
妻はカトラリー立てに使えそうな、砥部焼(五松園窯)を買うことに決めた。
ただ、1つずつだけだと寂しい感じもしたので、追加でお揃いの食器も選びたいと僕は申し出た。
僕が手に取ったのは、高台と少しだけ深さのある、汁気のあるおかずを盛るのに良さそうな器だった。
こちらは妻のものと同様、五松園窯のもので、ほんのりと赤みをたたえた淡い緑青、縁には柔らかい藍色がかかっている。
大人しさの中の素直な雰囲気、底の方のツンと張り出したシルエット。とても好みだった。
妻に確認してみると「ちょうど欲しい感じの器だね!」と快諾してくれた。
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お会計中、東京から来ましたと告げると、お店の方(おそらく店主さん)が念を入れて包装してくれる。
「次の夏に、黄桃でもローストしてあの器に盛ってみるのもいいなあ」
包装を待っている間、僕はそんなことを考える。
誰かの手仕事というのは、間違いなく誰かの手仕事に活きるようにできている。
ROSA は、そういう素朴な活力を得られる、場所なのだった。
喫茶店に行きたい
喫茶店に行きたい。
そんなモチベーションを、僕はこの旅行に持ち込むことに決めた。
それは、行きの飛行機に乗ってから思いついたのだった。
空高く、ごうごういう中、そこだけは芯をぶらさないぞ、と決意までした。
喫茶店を楽しむアイディアはそれなりにある。
例えば、サンドウィッチを食べる。
「喫茶店楽しむというなら、まずはコーヒーや紅茶なのでは?」と言われそうだが、今回はその議論はナシにしたい。
とにかく、どういうわけか、僕は飛行機の中で「松山の喫茶店のサンドウィッチを頬張りたい」と切に願っていた。
カフェじゃなくて、喫茶店。
具は、そう、間違いなく、卵。
東京とはひと味違う、卵サンド――考えただけでもぐっときてしまい、松山着陸前に「松山に来てよかった!」と思ってしまった。
こういう気持ちだけが愚かしく前に進んでしまう現象は、ある種、気ままな旅の道しるべになるから侮れない。
3日目の午後、松山城から大街道に戻ってきた僕の心には、まだ卵サンドの柄の旗が大きくはためいていた。
CAFÉ BCへ
遅い昼食を摂りに向かった先は、『CAFÉ BC』である。
大街道の県庁側から入って、ほど近いところにある喫茶店で、辿り着くと店内で待っている人の姿があった。
「どうする?」と妻に訊かれたので「30分でも待ちますよ」と即座に返す。
東京にいる時はいつも、少しも並びたくないといった態度でいる。
僕の変わった様子に、妻はちょっと怯んでいるようだった。
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『CAFÉ BC』の、開けた感じをどう伝えたらいいだろう。
ここは開業して50年以上経つ喫茶店だけれど、じっとりした古めかしさはあまり感じられず、それでいて「レトロ」と懐かしまれる雰囲気に浸れる場所なのだった。
店の入り口に置いてあるドリップパックのギフトのデザインは、ポップで可愛いものだけれど、年季の入った設えの上では、如何にも贈り物らしくまとまっていて、少しずるい。
この店にある開放感は、ものが然るべき場所に置かれていることや、店の余白が適度であることで生まれるそれとは少し違う。
時代ごとの様々なものが受け入れられ、適度にほぐされて残った空気から生まれた気風なんじゃないかと思う。
新聞を開いていても、お喋りしていても、インスタ用に写真を撮っていても、しっくり馴染んでしまうような大らかな雰囲気がこの店にはある。
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僕たちは中に入ると、カウンターの奥の可愛らしいカップを眺めながら呼ばれるのを待った。
店に差し込む光の具合が心地よい。
妻が口をすぼめて「ココ、キテ、ヨカッタネ」と囁いた。
前に2人組がいたけれど、ちょうどランチの回転のタイミングだったのかあまり待たずに席に着けた。
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お昼をいただく
『CAFÉ BC』は建物自体が縦に長い構造だ。
刺客が来ても太刀が振れなさそうな急な階段を上り、2階の4人掛けの席に通される。
テーブルには渋い青色の花瓶があり、そこに椿が差してあって、つい感心してしまう。
とりあえずで置かれたフラワー・ベースではなくて、立派な花瓶。図らずも自宅のお気に入りのカップの色に近くて、嬉しくなる。
他の席にも花が生けてあって、薄っすらと差し込む光に色が映えていた。
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遅い時間だったけれど、時間的にまだいけそうだったので、ランチセットを選ぶことにした。
僕はもちろん卵サンド。妻はかなり悩んで、明太バタートーストのセットに決める。
「これだけで良いのかな」と妻が言い、話し合いの結果、単品でデザートも頼むことにした。キャロットケーキと、ガトー・フロマージュ。これで、全力で楽しむ準備は整った。
とてもわくわくした。僕は子供の時、オレンジゼリーのプールに入ることが夢だったけれど、もし夢を叶えたらこんな心持になっていたんじゃないだろうか。
しかし、ホールスタッフに注文を告げると「申し訳ありません。卵サンドはもう、終わっていまして……」と丁寧に返された。
とても丁寧で、大人げなくはしゃいでいること自体、何だか申し訳なくなってくる。
言葉を失いかけたものの、どうにか踏ん張ってハムサンドを注文した。
気を取り直して
落ち込んだのも束の間、アイスコーヒーがくると、僕はあっという間に元気になった。
普段飲んでいるような、味が細やかで洗練さが売りのコーヒーと違って、おおらかで包容力があるコーヒーならではの飲みごたえ。
「こういうコーヒーって間違いないよなあ」と素直に思うところだ。
続いて、サンドウィッチとサラダが運ばれてきた。
待ってました、とかぶりつきたいところだったが、「サラダから始めなければ」と冷静になる。
サラダは、ドレッシングがやたらと美味しかった。大袈裟過ぎない美味しさで、次のサンドウィッチへの期待が高まってくる。
そして、いよいよ待望のハムサンドである。
あれだけ一途に卵サンドを思い続けていたというのに、その時の僕の頭には卵サンドは見る影もなかった。
というのも、ハムサンドのビジュアルが端正で彩りも良く、僕の思う「喫茶店のサンドウィッチ像」とぴったり一致していたからだった。
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ハムサンドは絶品だった。
具やソースも良いのだけれど、何よりもパン。パンの香ばしさが気持ち良くて、お腹も心も満たしてくれる。
明太チーズトーストを頼んだ妻もそう感じたようで、気づけば僕たちは喜びにふわふわとしてきて、気づけば喫茶というよりも団欒という風な、家にいる気分で会話をしていた。
CAFÉ BC のパン
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最後にデザートがやってくると、ゾーンから抜けた僕たちは、それらを分け合って食べた。キャロットケーキもガトー・フロマージュも甘すぎず、コーヒーともよく合う。
しかし、それだけでは収まらない余韻を僕は抱えていた。
「このキャロットケーキは、普段来るお客さんのことを考えて作っているのかな」
「確かに、そうかもね。しかし、なんというか、さっきのサンドウィッチのパンはさ、もう香りがね――」
そんな具合に、僕は隙あらばパンの感想を述べてしまうのだった。
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『CAFÉ BC』はパンがとにかく美味しい。
しかも、遅めののんびりとした昼食にはぴったりな、後を引く味わいで、嬉しくもちょっと憎いパンなのだった。
卵サンドは食べられなかったが、このパンのおかげで間違いなく僕の中の『松山・卵サンド』のモチベーションは報われた。
今、心の中の卵色の旗は食パンの色に取って代わり、明るい日差しを受けてぱたぱたとはためいているのだった。
お昼の後
店を出ると、僕たちは大街道に入っていく。
ここからしばらくは自由行動ということで、二手に分かれることにする。
妻は松山三越の方へ。
そして僕は、銀天街の更に向こう。石手川の方へと歩いて行った。
$${\small{愛媛に行く前のこと}}$$
$${\small{1日目にあったこと}}$$
$${\small{2日目にあったこと}}$$
$${\small{3日目にあったこと}}$$