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『生きづらさを手放す』選択をしても良いのではないか

カケルとミチルは、「生きづらさ」「育てづらさ」を扱う。生きづらさ、育てづらさを抱える人たちが正しい情報に出会い、少しでもその抱えているものが軽くなるといい、という思いがある。

そこには、生きづらさ、育てづらさを抱える人たちへの「支援」という面がある。精神科看護師として働いていた私も、立場としては、「支援者」ということになるのだろう。そんな私も「生きづらさ」を抱える当事者の一人だ。

特段、生きづらさ•育てづらさに関して当事者も支援者も分ける必要はないような気もするが、ここでは敢えて、わかりやすいようにそう表記させていただく。

「生きづらさ」を自覚したのはいつだったろうか。ぼやんと、3歳頃から「なんだか息苦しいな」と思っていた記憶がある。その「生きづらさ」と共に、ずっと一緒に、私は生きてきた。自分の人生のテーマを『生きづらさと共に生きる』としているくらい、生きづらさってなんだろうと考える。

私は約半年前に職場を変えた。就職してから初めて、「精神科」から離れた。精神科の居心地は良かったし、仕事は控えめに言っても好きだった。精神科看護師は天職だとも思った。

でも、離れた。一旦、離れてみたい気もしていたし、離れた方がいいような気もしていた。私は、精神科に対して好きの気持ちが大きすぎて、盲目になっているのではないかいう不安があった。

精神科の世界以外の流れが、コミュニケーションの仕方が分からなくなっていた。誤解のないように言えば、精神科だろうがそうじゃなかろうが、コミュニケーションはコミュニケーションである。精神科の中で接する患者さんやスタッフ、プライベートの友達とのコミュニケーションを大幅に変えているつもりはない。

けれども、精神科に携わる人たちとのコミュニティは拡がっていく一方で、そうではない人たちとの交流が少なくなっていた。

精神科訪問看護をしているとき、障害者枠で一般企業に就労に出始めていた方がいた。話を聞いていくと、デイケアでは他の利用者さんやスタッフとコミュニケーションで行き詰まり続けたことはないが、仕事では他のスタッフ達とのコミュニケーションが難しいと話していた。

自分が伝えたいことが伝わらず、共通認識が持てないと話していた。その話を聞いたとき、「その感覚、分かるなぁ」と思った。かつて私も、高校生までは周りと分かり合えない感覚があった。

大学生になり、看護師という同じ志を持つ仲間と出会えたことでその感覚は少し改善されたが、それまではそれこそ「生きづらさ」を、人生MAXで感じていた。私の人生の転機は間違いなく、精神科に就職したことだった。

目の前がひらけた。そので出会った患者さんやスタッフたちは、今まで出会った誰とも違っていた。個性豊かだった。と、いうか豊かすぎていた。

「人と違う」ことがデフォルトされており、その上で誰とどのようにコミュニケーションをとりたいか、みたいな話がされていたように思う(コミュニケーションを取らないという選択肢ももちろんある)。

私の、思春期から抱えていた鬱々とした気持ちや、言葉の端々から見えていただろう他者を蔑んだり羨んだりする気持ちに対しても、同意したりアドバイスすることなく「そこにある」ことだけ認めてもらった

「なんで生きづらさなんてあるの!無くなれば楽になれるのに!!」から、生きづらさがあることを自分で認められ、「生きづらさと共に生きる」に変化した期間だった。

だからこそ、患者さん利用者さんから聞く他者から言われた心無い言葉(「メンタルの人だからちょっと変なんだよ」「生保だからさぁ…」等)に、憤っていた。「精神障害について、メンタルの疾患について理解がない!理解しようとしていない!」と。「私だけはあなた達の味方」みたいな気持ちもあったかもしれない。

危険だ、盲目になっている、と感じた。私は、私が「心無い」と感じた言葉を使う人たちのことを、知ろうとしていないのではないか…。だから、精神科から距離を置く選択をした。勇気が要る選択だったし、寂しかったけれど。  

職場を変えて約半年が経った。入職当初は、強烈なほどに思春期時代の息苦しさ、生きづらさを追体験していた。最近やっと、今の職場スタッフや関わる人たちとのコミュニケーションの仕方が分かってきた。「心無い」言葉を使う人たちも悪気がある訳ではなかった。

ただ、知らない、知ろうとする気持ちが少ないだけだった。だからといって、人を傷つける言葉を使って良い訳ではないが、本当にただそれだけだった。今も「対人援助職」として仕事をしているが、心無い言葉を職場のスタッフ達の口から聞くと、正直つらい。でも、どうしてその言葉を選択したのか、を訊くことは出来るようになった。

職場スタッフ達との相互のコミュニケーションが可能になってから、穏やかな日々が続いている。その中で、私の考え方も変化した。『生きづらさを手放す』選択をしても良いのではないか、と。

私の人生のテーマが、「生きづらさと共に生きる」であることは変わりないけれど、手放す経験があっても良いのかなと思い始めている。

 今更ですが、私はモデルNsの inoriと申します。モデルNsって…?と思った方は是非、カケミチラジオYouTubeをご覧ください☆(宣伝です笑)

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