意識改革4ヶ月目
こんにちは!さすがに半袖で過ごすには厳しい時期になってきました
皆さん体調はお変わりありませんか?
今回は意識改革プログラムを受けて4ヶ月目の変化をシェアします。
この4ヶ月目、この月が僕にとって大きな変化が起きました。
結論から言うと
父に会ってきて話をしました!!
最初はどうなるんだろうか?
あーなるんじゃないか?
喧嘩しないだろうか?
ということを想像していました。
意識改革上ではこれをよく
1人劇場と呼んでいます。
そんなことを考えていましたが、
移動中のバスの中では非常にリラックスしていました。
本を読んだり、音楽を聴いたりしました。
父にバス停まで迎えに来てもらい
そこから車で移動しました。
近況やら体調など色々話をしました。
どうなるかと思っていたけれど
すごい穏やかでした。
「急遽時間を作ってくれてありがとう」
と最初の言葉は感謝からのスタートでした。
この変化には自分でも驚きました。
そして、荷物を置いてから父が予約していたお店に行き
サシで酒を飲みました。
まずは、なんで自分のルーツを知ろうと思ったかを
話しました。
「今自分のことを見つめなおしていて、母方のことはある程度わかるけど、
親父側の方を何も知らないと思ったから聞きたいし、親父のことを
何も知らないから知ろうと思った。」
と素直に思ったことを話しました。
事前には伝えていましたが、曽祖母の浪漫話から、
我々世代の話しまでを聞かせてくれました。
父からしたら耳の痛い話を聞きましたが、
真摯に受け止め、答えてくれました。
父の両親の話を聞きました。僕らの祖父母にあたります。
祖父は僕が生まれる前に他界しているので話を聞くのは新鮮でした。
そんな人だったんだな〜って思っていました。
祖母の話を聞いていき、父の姉の話が出てきました。
父と伯母は歳が10以上は離れていて、早々に上京したと聞きました。
田舎特有なのか、昔ながらなのかわかりませんが、
祖母の外面はいいが、家で人を悪く言っていることが
子からしたら嫌だったと教えてくれました。
色々話を聞いていき、家族に手を挙げていたことの話をしました。
それが始まったのは、祖父が亡くなってからだったと聞いています。
父は「今はダメだと思うけど、当時はそれが1番早かった」
と反省した口ぶりで言っていました。
彼は23か24で父親になり、26、27で自分の父親が亡くなっています。
話を聞いていって僕が感じたことを伝えてみました。
「まぁ確かに許されることではないことは確かだなって思うけど、
親父も自分の親父が亡くなって、西川家というものの主になって
プレッシャーだったり、こうしないといけないというのが
もしかしたらあったんじゃないかって、
余裕がなかった可能性があるんじゃないか?感じたよ」
と伝えました。
忘れたと言っていましたが、
父の思いがあったんじゃないか?と思います。
そこから僕の話になって
僕の中で父と忘れられないエピソードがあって
それを話していました。
「親父は覚えてるかな?病院の帰りに売店で
いちご味のジョアを買ってくれたの?
今でもそれを覚えてるんだ」
彼も味までは覚えてはいなかったけれど
ジョアのことは覚えていました。
僕はいちごは苦手なのですが、いちご味は好きなんですね!
おそらく、ずっと父のことを恨んだりしてたけど
どこかで切り離したかったものだったんだと思います。
その話から僕の病気の話や生まれつきの顔のあざの話をしました。
自分を責めようとする母親に
「今の医療じゃなくて未来の医療を信じよう」
と話したと言っていました。
「おぉ、親父いいこと言うな」
と思いました。
帰省した時に母に聞いたら忘れたと言っていたので
何が本当かはわかりませんが…
両親は同じ街の出身なので、
離婚した当時は後ろ指を差されたり、いろんなことを言われたようですが、
「言いたいやつには言わせておけばいい」
と格好つけていたけど、月日が経ち自分を見つめ直したそうです。
これじゃいけないと思ったらしく、
考え方が大きく変わったと言っていました。
「親父も自分のことを見つめ直したんだな」
と思いました。
そういう話をして
ちゃんと自分の口で父への思いを伝えました。
「まぁ色々あった30年間で、親父を勝手に悪者にして
憎んで生きてきたけど、ようやく親子関係を
築けたんじゃないかと思う。自分より若い時に親父の親父が亡くなって
大変だったと思う。
役場で40年以上働いてるのも今の時代じゃ考えられないしすごいと思う
米も今まで食べた中で1番美味しいのは親父たちが作った米だし
養育費も再婚して新しく家族ができても
3人が成人するまで払ったって聞いたし、
何より、翔ってこの名前をつけてくれたのはいい名をつけてくれたなって
それには本当に感謝している。ありがとう。
脳梗塞とがんを患って
親父が生きているうちに、こうやって自分の口で感謝を伝えられたのは
本当に良かったって思うよ。」
と素直に伝えました。
その後に祖母の葬儀の話になり、本当は出るつもりはなかったけど
母方の祖父の葬儀に顔を出してくれていたので
これは僕も顔を出そうと思ったことも伝えました。
「父方の祖父の時に香典やら葬儀に出てもらったから
周りからどんなことを言われようが、指を差されようが
そこは義理を通さないといけないという思いがあったから
参列させてもらった」
と言っていました。
「親父ってこんなに義理堅いんだな」
という一面を知れました。
父と一緒に日本酒を飲んでいたのですが、
8割くらい僕が飲んでいました。
お互いがお酌をし合って、本当にいい時間でした。
〆のラーメンを食べたりして
記憶はしっかり残っているんですが。
完全に二日酔いです。
1泊2日でしたが、父のおすすめの蕎麦屋さんとかにいったり
ワインが好きだとか色々と知りました。
僕のわがままで、中々帰省できないので
両親家系の墓参りをしたいとお願いをしていました。
母方の墓参りは1人で行こうと思っていましたが、
父も付いてきてくれて、手を合わせてくれました。
父方の墓参りで「おばあさん、翔が来てくれたよ」と
言いながら手を合わせていました。
自分から歩み寄れて良かったなと思う瞬間でもありました。
両家の墓の前で誓ってきたものがあります。
「中々墓に来れなくて申し訳ない
やりたいことができた!たくさんの人を空くために、
自分に正直になって、夢・目標を達成するよ。
名前の通り翔たくから、広い空の上から見守ってくれ!」
と線香をお供して、手を合わせました。
父方の墓参りは10年以上行っていなかったと思います。
自分のルーツを聞いたら、両家の墓参りは欠かせないと思い
わがままを言って良かったと思います。
その後に町で祭りがあって少し行ってきました。
父の中で、解決しないといけなかった問題があったらしく
僕が帰省して話をしたことで会いたい人に偶然会えたりしたみたいで
喜んでいました。
僕も僕で新しい挑戦をしようとしていて
お互いの歯車が噛み合い始めた感じで終わりました。
憎しみや恨みが父と向き合うことで感謝に変わっていき
今頭の脳内メモリーが空いたのでこれやってみようと
いろんな意欲が湧いています。
それを受け入れられるようになるタイミングは
本当人それぞれです。
僕は父のことを受け入れるのに30年かかりましたが
父が他界するまでに感謝を伝えられて良かったなって
心からそう思います。
次は5ヶ月目、ラストの月のことを書きます。
to be contenued