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「Creator×SNS」かけ合わせると見えてくるものとは? 広告の未来について(2021 7.19)

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過去2回にわたってインタビューを掲載した「Creator×SNS」。ソーシャルメディアで声をあげたクリエイターの方々に、SNSとの向き合いについてたくさんの話を聞くことができた。kakeruが今回メディアとしてクローズを迎えることは、残念な気持ちではあるが、ここではこのテーマについて自分の考えをまとめるよい機会であると捉えて前向きな最終回にすべく、クリエイティブとSNSをかけ合わせることによって見えてくる可能性について、述べていきたい。

Creator×SNS vol.1 「炎上したっていいじゃない。」クリエイターが世の中に語りかけること。| アートディレクター千原徹也(株式会社れもんらいふ 代表)アートディレクター千原徹也

Creator×SNS vol.2 「SNSはもっと人間らしく使えばいい。」自分の星を理解する。イラストレーター 新井リオ(現在閉鎖中)

広告クリエイティブとSNS感覚のすれ違い

SNSをひとつの一般世論の形であるとするならば、広告・デザイン業界と、SNSで見られる一般的な感覚にすれ違いを感じることは、これまで多々あったのだが、その中でも考えるきっかけとなったトピックとしてふたつを挙げたい。

まず「Creator×SNS vol.1」千原氏へのインタビューで触れている、東京オリンピックのロゴにまつわるパクリ騒動について。この記事のなかで、社会の人々の声と広告業界・デザイン業界の人々のギャップや距離が存在していて、広告にたずさわってきた人はそれを埋める努力が必要であるという話をしている。このパクリ騒動があった前後くらいからだろうか、さまざまな広告やCMでの表現が、SNSでの炎上の火種となり、TVのワイドショーでもとりあげられる機会が日常のことになった。

またもう一点として、あらゆる場で既出である内容であるが、広告手法であるターゲティングというフィルターのかけ方に対して、疑問が残る。例えば性別による分類の仕方について。さまざまな場所で「男性・女性」以外にもうひとつ、「答えない」「どちらでもない」といった項目を設けられていることが多い現代において、どれほど効力があるのだろうか。また、例えば世代による分類の仕方について。あらゆる世代がユニクロのような、あるひとつのブランドで服を購入している。そんななかでいまだに年代によって好みや属性を分ける場面が、時々ではあるが見受けられることへの違和感がある。

現実に、性別については男女どちらかに偏らない「ジェンダーニュートラル」という言葉が、世界中でだいぶ古くから存在しているようであるが、2011年ニューヨーク州での同性婚法の成立が大きなきっかけとなっているのか、近年の定着は(ある場所において、と限定せねばならないかもしれないが)広告業界とは反して、社会では大きく進んだと考えられる。

新しい表現はいつも「ユーザー」から

上記とは逆に、「こういう表現の仕方があったのか!」と感じたことも過去にいくつかあったので、絞って例を挙げていきたい。

まず、現在も継続してシリーズ商品となっているKIRINの飲料「世界のKitchenから」。ロゴやタイトルのつけ方、パッケージデザインから醸し出される空気感まで、とても好きでよく特設Webサイトを見ていたのだが、発売されてまだそれほど経過していないころに、ユーザーが投稿した声(飲んだ感想)をリアルタイムで表示させるTOPページの仕様となっていた。シンプルにタイムラインをリスト表示させていたのではなく、投稿という声がテキストで放物線上にふわふわと浮かんでいるような見せ方で、大小さまざまなサイズの声が常にうごめいているようなデザインであった。ユーザーの声をリアルタイムでデザインに取り入れているWebサイトを初めて目にしたのがこの時で、とてもインパクトがあり印象に残っている。

また、もうひとつの例としてはある時期から個人的に「食べログ」や「アットコスメ(@cosme)」のようなレビューサイトを頻繁に活用するようになった。経緯としては「食べログ」においてレビューのやらせが発覚し(2012年)、今のように承認制のしくみが取り入れられ、他のレビューサイトもこの方式を追随するようになって、レビューの信憑性があがったのが、(自分の場合はであるが)きっかけとなっている。

以前から、「利用者の声」が広告に掲載されることはあったが、近年は受け手のスキルもあがっており、デジタルで展開される「声」に対しては信憑性のない投稿は、その投稿を批判する投稿で上書きされているのを時々目にするようになった。

このように、「ユーザー発」「ユーザー視点」が、クリエイティブやサービスの心臓となっていて、自分もひとりの参加者・当事者となっているケースがどんどん増えていったように思う。このように参加する時、企業やサービスと、ひとりのユーザーである自分が“対等”な立場であるように感じている人もいるのではないだろうか。私もそのように感じることがある。

企業やサービスはなにができるのか

この「ユーザー発」「ユーザー視点」の最たるものこそSNSであると言える。2019年、2020年からそして現在にいたるまで、TikTokをはじめとするSNSからたくさんのヒットがうまれた。ヒットをうみ出すのは企業やサービス側でなく、ユーザーであるということが今では定説となっている。また、ユーザーが自身でつくりだすコンテンツ、UGC(User Generated Content)のクオリティは向上する一方であり、企業やサービスのSNSアカウントでは、それを活用することにより、投稿というアウトプットにもなり得るし、ユーザーとのコミュニケーションもはかることもできる。

このような流れのなかでユーザーとの役割分担を大きく振りきった例として、ラグジュアリーブランドの「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」の公式SNS撤退が挙げられる。ブランドの親会社CEOが語ったところによると「SNSの世界から『ボッテガ・ヴェネタ』が消えることはなく、単に別の方法を採用しただけだ。ブランドの情報を提供することで、SNSでの露出を自らがするのではなく、アンバサダーやファンに託した」(※)2021年2月現在では公式SNSはなく、複数のファンアカウントが存在している状況となっている。SNSの世界においては、広告的な投稿も含めて、すべての主役はユーザーであると言えるのではないだろうか。

(※)2021年ボッテガヴェネタの公式Instagramアカウントが削除された。プラットフォームのレギュレーションによる制約や炎上のリスクがある公式アカウントの運用ではなく、独自のデジタルフォーマットでのクリエイティブ発信をおこなうという。参考元:「ボッテガ・ヴェネタ」インスタ削除問題に親会社CEOが言及

このような潮流のなかで、企業やサービスが従来の広告活動にかわってやれることはないのだろうか。ここで仮説を立ててみたい。「クリエイティブそのものよりもコミュニケーションプランが最重要テーマ」である。

コミュニケーションとしてのクリエイティブ

この仮説について考えると同時に、SNSでコミュニケーションをうむコツやゆるやかなTipsが存在しているのではないかということで、ざっくり5つを挙げてみることとする。

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1.ハッシュタグとして活用しやすい名称やコピー

SNSの仕様上、句読点や記号、長文などは「#」をつけてそのままハッシュッタグに、とはいかない。そのため、名称やタイトルとは別でハッシュタグ用の言葉を加えていくことになる。その分、ユーザーにとっては複雑性が増し、ハッシュタグの設定によるシェア・拡散には向いていないとも考えられる。

効果的な商品名としてGUのコスメブランド「#4me by GU」があげられる。

2.画像や動画をそのまま引用できるフォーマットに

SNSの広告の動画は仕様上、そのまま引用しづらい。拡散しにくいと考えれる。つまり引用をOKとする環境整備も視野に入れて発信をしたほうが、シェア・拡散を期待する場合には効果的なケースが多いのではないだろうか。

3.一人称を確認する

当事者になりうる人が、なるべく真の当事者となれる機会を設けられるように「僕」や「俺」に限定した表現によってふるいにかけないよう、「私」であることは重要なことである。

4.一度で終わらない会話型コミュニケーション

一度目の投げかけに対して、反応してくれた人々に二度目、三度目の投げかけをして会話をする設計ができているだろうか。会話がはずむほど、エンゲージメントが高まると考えると、そのような設計は想定しておいたほうがよいだろう。

5.余白のある表現

SNSというプラットフォームに乗っかれば、テキストやデザインはその途端にタイムラインをひとり歩きするようになる。アレンジという形で、受け手がその人なりの解釈を加えることができるような表現であるか、ふと立ち止まって考えたほうがよいのかもしれない。

以上5つの例をざっと挙げたが、俯瞰してみるとユーザー起点のSNSの世界では「クリエイティブはコミュニケーションツール」であるように思われる。こうしてみていると、「クリエイティブそのものよりもコミュニケーションプランが最重要テーマ」であるという仮説も成立はするのであろう。

改めて「属性を理解する」

ここまでSNSとクリエイティブをどう両存させるかという点において、手法としての話をしてきたが、いま一度「Creator×SNS vol.2」の新井氏へのインタビュー記事を振り返ると、おもしろい文章を書けるという属性の人間でないことに気づいて、自分はどんな星にいるんだろう?と考えた、という話がある。結果として新井氏は「おもしろさ」でなく「アイデアを磨く」という自分の属性に気づき、それが「英語日記」という作品につながっていった。SNSをどのように使うか考える時には、自分の属性=特性について立ち戻って考えることが必要なのかもしれない。いま読んでくださっているのはクリエイターであるか、マーケターであるか、もしくはどちらにもあてあはまないのかわからないが、属性を考えるべきなのは「人」だけでなく「企業やサービス」についても同じであるだろう。

そして、前章で5つ挙げたようなTipsを通りこして、圧倒的なデザインのおもしろさ、文章のおもしろさだけでSNSをかけめぐるような例も多数存在しているのも確かである。この場合はTipsにのっとることなく、自らがTipsを作りだしてしまうようなこともあるだろう。例えば、非常に長い、そしておもしろいタイトルの映画があったとして、そのタイトルを一語一句文字打ちできるか、ゲーミフィケーション的に拡散されることだってありうるだろう。

実際におこった例であげると、2025年の大阪・関西万博のロゴマークが決定したとき、ロゴの奇異なおもしろさから作者の意図していなかったところで二次創作の輪がSNSで広がっていったという出来事も、このようにデザインのおもしろさ一点突破で、盛り上がりをつくることができる例であったと考えられる。

結局のところ、どのような発信の仕方が向いているのかは、それぞれ違うものであるから、仮説の「クリエイティブプランよりもコミュニケーションプランが最重要テーマ」であるという話もすべてに当てはまるとは断定できない。

参考元:ORICON NEWS「気持ち悪い」から「SNS大喜利」に転化…大阪万博ロゴマークの生みの親も感動「この現象こそアート」

さいごに

ここまで述べたように、SNSでUGCや二次創作が続々とうみ出される現状は、誰もがクリエイターなのだとも言える。つまり「Creator×SNS」は(発信者の)クリエイターと(受け手の)クリエイターの会話による相乗効果の方程式なのかもしれない。企業やサービスは、従来の広告活動以上に、そんな(会話のための)場所を提供することがひとつの役目だろう。

ただし、主役はいつでもわたしたち、ユーザーでありクリエイターなのである。


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