失敗しながら道を開け|賞応募作の裏話
ほんとうにそれでいいのか?
さきのフレーズは、わたしが書いたこちらの作品に出てくる。
この作品は、藤原華さん主催のコンテスト「なぜ、私は書くのか」に応募したものだ。
今回は、コンテストの応募作には書ききれなかったことを供養する。
わたしが勇気づけられている出版社がある。
「点滅社」という出版社で、屋良朝哉さんと小室ユウヤさんのふたりが経営している。
ふたりとも点滅社を立ち上げるまでは本の編集に携わったことはおろか、ちゃんとした就職経験もなかった。屋良さんは精神疾患の当事者でもある。
屋良さんはインタビューでこんなことを話している。
素人でも、本を作っていい。
わたしにも精神疾患がある。それまで文章でなんの受賞歴も勉強経験もなく、まともな職歴もなく、25歳をすぎてから執筆活動をはじめた。
そんなわたしにとって、点滅社の存在は勇気をくれるものだった。
わたしは点滅社が運営に携わる、高円寺にある書店「そぞろ書房」におじゃまさせていただいた。
そのとき、屋良さんとお話ができた。
屋良さんと話をしていてわかったことがある。
それは、点滅社の活動には屋良さんのいのちをかけているので、いろんなことに挑戦できる、というかせざるをえないということだ。
当時わたしは会社員として働き、執筆は趣味の範囲でやるつもりだったので、
「わたしには同じことはできないなあ」
と思っていた。
まさかそのあと、わたし自身も会社員に向いていない人間だと気づき、
「執筆を仕事にしないと生きていけないかもしれない」
と考えるにいたるとは、そのときは思っていなかった。
点滅社さんのnoteを読むとわかることがある。
それは、本を作って売るなかで、点滅社のふたりはなんども泥臭く失敗し恥をかいたということだ。
痛みを伴わないと、欲しいものは手に入らない。
絶対にできることを積み重ねること。
これは、わたしたちがやりたいことをやるための基礎となるものだ。
これがいちばん大事なことだと思う。
でも、それだけでいいんだろうか?
「絶対にできることをやる」は、無痛だ。
つぎの次元にいくには、
「できるかわからなくても失敗の痛みを恐れずやる」
ことが必要なんじゃないか?
「二―バーの祈り」という、こんなフレーズがある。
当初わたしは、このことばの意味が
「できないことを手放し、できることをやりなさい」
という意味だと思っていた。
しかし、改めてこのことばを読みかえすと、
「できることをやる」ではなく、
「変えられるものは変えていく」と書いてある。
「変えられる」には、「できる」にくわえて
「できるかわからないけどやってみる」
「できる(かどうかわかる)ようになるまでやる」
ことも含まれる。
自転車だって、転ぶリスクをとってなんどもペダルを空回りさせて練習しないと乗れるようにならない。
スケボーだって、転ぶかもしれないが、転ぶのをおそれていたら一生できるようにならない。
うつのひとは失敗が怖くなる。
失敗して体調を崩すと、食事や睡眠もままならず、死にたいきもちに襲われ、「なにもできなくなる」という地獄がやってくるからだ。
屋良さんはいのちを削って活動している。
わたしはいのちを削るような頑張りかたは二度とやりたくない。
大切なひとがいて、そのひとと生きると決めたからだ。
そのためにはわたしが健やかでいなくちゃいけない。
それでも、さきにすすむためには、自分が傷つかずにいられるところから出なきゃいけない。
「あなたの文章のこの部分は、
読んでて相当イラチです」
文章のワークショップで添削を受けたとき、先生からこんなコメントが返ってきた。
わたしはショックを受けた。
その後自信を失うできごとが重なったのもあり、わたしは文章を書くのをやめた。
いま考えると、その先生は、教育者として、そして物書きとして、もっとやわらかい表現ができたと思う。
いくら正しいことを言っていても、伝えかたに配慮がないひとのはなしを真正面から聞き続けると、ひとはこころが壊れる。
指導者は伝えかたに気を配らないと、一歩間違えるとハラスメントになりかねない。
それでも、物書きとしてやっていくなら、批判のパンチが来ても戦い続けなきゃいけない。
恥ずかしかろうと、冷や水をあびせられようと、リングに戻ってこなきゃいけないんだ。
失敗を恐れるな。落第点を恐れるな。
それはわたしたちの成長の過程なのだから。
傷つきやすく臆病者のわたしは、ずっとこのままでいたくない。
まえにすすむ強さを発揮できますように。
コンテスト「なぜ、私は書くのか」応募作はこちら
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