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「センシティブ」って呼んでいいのか、そのテーマ。



政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物。
これらのテーマは「センシティブ」なので、読者に読ませるときに配慮が必要です。



このことに、違和感をもったかたはいますか。
これらの話題すべてを、「センシティブ」と呼んでよいのでしょうか。



「なんの主題をセンシティブと呼ぶのか」
このことについて突っこんで考えたい。

そうすることで、「センシティブ」ということばにもやもやしているひとの、あたまのなかの考えを動かしたい。

それが、今回のnoteの目的です。



今回のnoteでは、あらゆるセンシティブなテーマについて突っこんで議論しています。
読むとこころが傷ついたり、あたまのなかが嫌な考えで支配されたりするような描写があります。

元気がないかたは、いまはこのnoteを読むときじゃないです。
部屋の空気を入れ替えて、なにか飲んで休んでくださいね。






今回のnoteを書いた経緯



きっかけは、藤原華さん主催のnoteコンテスト「なぜ私は書くのか」の中間選考でした。

わたしもこちらのコンテストに応募していました。

中間選考の審査を担当された、藤原華さんのマネージャーのジャスミンさんが、中間選考の「落選理由」を公開されました。



そこで書かれていた落選理由のひとつが、

「はじめましてのひとに『なんの合図もなくいきなり』センシティブなはなしをしないでほしい。センシティブなはなしを聞かされる道具として扱われ、人間扱いされていないと感じ傷ついた」

というものです。


そして、その「センシティブなテーマ」として挙げられていたのが、さきほどの

政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物

になります。


(現在は、センシティブなテーマに言及する文言は元のnoteから削除されています)



このnoteを受けて、悲痛な思いを語られたかたがいました。
それが、渡良瀬あやめさんです。



発達障害と精神疾患の当事者である渡良瀬あやめさんは、こう訴えました。

センシティブなテーマから、「命」と「病い」を削除してほしい。
でないと、これらのテーマが生きることと直結しているわたしは書けなくなってしまう。


この訴えを受けて、さきの落選理由のnoteから「命」と「病い」の項目が削除され、表現が修正されました。



以下のnoteで判明したのですが、実際に審査員のジャスミンさんが「傷ついた」と感じたのは、

  • 「攻撃的で、読んだだけで傷つく言葉」がタイトルにつけられた作品

  • 「クリックした後いきなりセンシティブな話が『一行目から』始まってしまう」作品

の2作品のみだったそうです。

(審査員のジャスミンさんは、それ以外のセンシティブなテーマについて書かれた作品が問題だとは感じなかったということです)




審査員のジャスミンさんの、涙を流すほどの傷。

渡良瀬あやめさんの、存在を否定されたかのような悲しみ。


「センシティブ」ということばについて、精神疾患の当事者であり支援者でもあるわたしが感じていたこと、考えたことを伝えようと思いました。



議論の前提



今回のnoteでは、

「審査員のジャスミンさん個人が『命』『病い』をセンシティブだと考えたこと」

よりも、

「『命』『病い』というテーマがセンシティブなものとして思い浮かんだこと」

のほうに問題の主眼があると考えました。


つまり、審査員のジャスミンさん以外にも、少なくないひとが「命」「病い」を「センシティブなテーマ」として考えているだろう、と推測しました。

そのため、今回は「命」と「病い」を「センシティブと呼ばれるテーマ」のひとつとして議論に含めます。



また、今回審査員のジャスミンさんを傷つけた2件のnoteについては、わたしは実物を見ていません。

そのため、この2件のnoteが相当悪質なものであった可能性が否定できません。

実際に審査員のジャスミンさんを傷つけたnoteがどのようなものであったか把握できない状態で、これらのnoteを議論のテーブルに乗せるのは危ういと感じています。

よって、この2件のnoteについては今回は議論の対象からは外します。



傷ついたって言われて傷ついた



落選理由を書いたnoteに、審査員のジャスミンさんは当初こういうことを書いていました。


審査員は、人間なんです。
なんの合図もなくいきなりセンシティブなテーマを読ませるのは、暴力となにがちがうんですか。


これを読んで、わたしはおおいに反省しました。
読者にセンシティブなテーマを読んでもらうときは、事前に合図を出す。
私自身がそういった配慮をまったく考えていなかったからです。

わたしは完全に自分のことを言われたのだと思い、審査員のジャスミンさんに謝罪しました。

そのことの詳しい経緯については、こちらのnoteで書いています。




審査員のジャスミンさんが言ったことを受けて、妄想していました。


noteに「センシティブタグ」というものがあったら、今回のような不幸な出来事を、仕組みで避けることができたんじゃないか。

作者がセンシティブタグを登録し、読者が前もってその作品のセンシティブタグを見ることができる。そうすれば、読者が苦手な話題を避けることができるのではないか。


でもそう考えたとき、問題にぶつかりました。

少なくとも、「病い」と「セクシュアリティ」の項目を「センシティブ」とするかどうかは、絶対に議論になる。



渡良瀬あやめさんは、「命」と「病い」が「センシティブなテーマ」だと言われたことについて、さきほどの自身のnoteでこう書きました。

私は発達障害とうつ病、その他もろもろの精神疾患を抱えていて、その話題を記事にすることが多いんです。

これらの「病い」って、私が生きることと直結してて。
切っても切り離せないものなんです。
生きることと直結している、ということは、書くテーマとして大きな比率を占めるわけです。

健康体の人との隔たりを感じて、めちゃくちゃ悲しかった。
あ、この人とはわかり合えない、伝わらないんだなーって。


……コホン、申し訳ございません。

わたし自身、ジャスミンさんに配慮なくセンシティブごった煮な文章を読ませちゃったんですよね。
だからわたしがこんなことを言えた立場だろうかとは思ったのですが、

正直めちゃめちゃわかる。


わたしたちの生活のあらゆるところで病気や障害がついて回る。
わたしたちにとって病気や障害は、日常であり、生活であり、存在そのものでさえある場合もあります。


それを「センシティブ」と言われてしまったら。

健常者の日常はなんの問題もなくて、わたしたちの日常は「センシティブ」。

それはやっぱり、傷つく。



だれかにとっての「日常」「生活」「存在そのもの」が、べつのだれかにとっては触れたくないもの。


それって、どちらも傷ついているんじゃないの。

どっちがより傷ついた。非がある。同等だ。そんなふうに他者の傷の程度を推し量ろうなんてわたしには難しくてできない。
どちらにも、それぞれの傷がある。



以前兄と、こんなやりとりをしました。

「体調に気をつけてね」
あいさつとして、兄はそう言ってくれました。

その当時、わたしはメンタルの調子が悪く職場を休んでいました。
だから、「本当に気をつけなきゃね!」と笑って答えました。

それにたいして、兄はこう答えました。
「いや、知らんけど」

お前のメンタルのことは深入りしたくないから、知らんけど。


普通の病気みたいに、
「大丈夫? ちゃんと休んでね」
って言われたかったよ。

でも、兄が踏みこみたくない話題に足を突っ込んだのは、わたし。


ちなみに、兄は健常者「ではありません」。難病の当事者です。
病いの当事者同士ですら、こういったことは起きるんです。



はじめましてで、突然センシティブなはなしをしないでほしい。

センシティブなはなしをするなら、前置きを書くか、読者との信頼関係を築いてほしい。

センシティブな話題が嫌なんじゃなくて、そのはなしをする際に合図してもらえなかったことが、読者を人間扱いしない態度だから嫌だ。


審査員のジャスミンさんは、こういうことが言いたかったんだと思います。
これはわたしたちが読者を尊重するための重要なメッセージだと、身につまされました。


でもね、「配慮して」って言われるのが、悲しい。
そう感じることがある。


ごめんなさい。白状します。
実は落選理由が書かれたnoteを読んだあと、病みツイしてました。

ジャスミンさんに謝ろうと思ってツイ消ししたけど、セルフで魚拓をとってありました。
そのとき、こう書いたんです。

わたしってひっそりと人目をはばかるように「存在していて失礼します」って頭を下げて生きていかなきゃいけない存在なのか



対人支援をしていると、つらいことがあって。


わたしは自身も精神障害を抱えながら対人支援をやってきました。


学生時代、わたしは大学のピアサポートをやっていました。
ピアサポートというのは、大学生自身が大学生の学業での困りごとやこころの悩みなどの相談に乗る活動です。


ピアサポートのブースに、ある女性がやってきました。
かばんにつけているぬいぐるみが印象的な、どこにでもいる女性です。
その女性は用紙に自分の悩みを記入しました。

臨床心理士養成大学院に所属している先輩が、彼女の面談を担当しました。

わたしはドキドキしました。
この人はこれから、ピアサポートのブースに遊びに来てくれるかな。そうだったらうれしいな。


面談が終わったあと、先輩に聞きました。

「どうでしたか?」

先輩は答えました。

「彼女は、うちじゃなくて学生相談室につなぐことにしました」


その後、彼女がピアサポートのブースに来ることはありませんでした。


わかりませんでした。
なぜ彼女が、ピアサポートのブースに来てはいけないのか。



生活困窮世帯の中高生への学習支援をしていたときのことでした。

その日は、髪がさらさらの高校生の男の子の担当になりました。
高校生になり、自立心が強く育った子でした。

勉強をしていたとき、彼はこう話しました。
「おれ、こないだ精神科行ったんだよね」
「そっか~」
わたしは何気ない返事をしました。


授業終わりの会議のとき、わたしはそのことを共有しました。
すると、責任者にこう言われました。

「そういうはなしが出てきたら、責任者につないでね」


え。なんで。

だってさ、さっきの
「おれ、こないだ精神科行ったんだよね」
ってことばは、
「おれ、こないだカラオケ行ったんだよね」
くらいのテンションの、なんてことない日常会話だったよ?


ピアサポートの件でも学習支援の件でも、みんなの理屈はわかるんです。
相手を傷つけてしまうリスクがあるから。こちらがしんどくなるリスクがあるから。


でも、やっぱりこう思ってしまう。

わたしたちって、こころの悩みがあるというだけで健常者から隔離される存在なんだなあ。ふだん普通にみんなのなかに混じって日常生活をおくれているのに。



「大事なはなしだけど、いきなり初対面ではしないで」
そういうことだと思うんです。

政治、虐待、宗教、セックス、戦争、生い立ち。
これって、全部大事なはなしじゃないですか。

だから、あなたの日常も生活も存在そのものも、誇りがありたいせつなものだって、わかってる。

だけど、どうしてもセンシティブだから、いきなりそのはなしはしないで。
そう思うひともいるんです。


でもね、やっぱり思ってしまうんですよ。

「ほかのひととおなじように当たり前にそこにいちゃダメなの?」



どっちも悲しいことって、あります。

ジャスミンさんの人間としての尊厳を脅かしてしまった。
わたしのきもちよりもそっちのほうがはるかに問題だ。そうわたしは感じました。
だから、わたしは謝るという判断をしました。
これはわたしの判断です。



「そんなん言ったらなにも書けなくなる」はナンセンス



センシティブなテーマへの配慮について、こんな感じの意見を言っていらっしゃるかたがいました。

読むひとを傷つけないように配慮しようって言いはじめたら、なんにも書けなくなる。

親がいないひとを傷つけないように親のはなしは気をつけよう。
貧乏なひとを傷つけないようにお弁当のはなしは気をつけよう。
足がないひとを傷つけないようにアウトドアのはなしは気をつけよう。

ぜんぶ考えたら、結局なにも書けない。


おそらく、言ったひとは「文章というコミュニケーションにおいて誰も傷つけないなんて不可能だ」と言いたかったんでしょう。

わたしはこれ、ナンセンスな指摘だと思っていて。


「銃は危ないから持ってちゃダメだよ」ってはなしに、

「そんなん言ったら包丁も車も、はさみや鉛筆だって危ないだろ」

って言ってるようなものかと。


社会でも、さまざまな要素を考慮して、より危険そうなものを規制しているわけじゃないですか。

センシティブなテーマへの配慮もおなじで、相手を傷つける可能性が高そうなものは配慮しようね、ってはなしですよね。



ただ違うだけで「センシティブ」と呼ばれる



「センシティブなテーマ」として挙げられたもので、わたしが一番引っかかったのは、セクシュアリティなんです。


ただ、違うだけ。


多くの男性は女性を好きになるけど、自分は男性も好きになる。

多くのひとは恋をするけど、自分はしない。

多くのひとは男性か女性に分かれるけど、自分は分かれない。

多くのひとはからだの性とこころの性が同じだけど、自分は違う。


ただ違うだけで、「センシティブ」って呼ばれる。
それは、きっと悲しい。



でも実際、気をつけたほうがいい側面はある。


トランスジェンダーの話題とかXでバチバチに叩かれてるじゃないですか。

こないだノンバイナリーの話題も燃えてた。

フェミニストも滅茶苦茶言われますよね。

最近だと「弱者男性」「有害な男らしさ」っていう概念もでてきて、議論になってる。


セクシュアリティのはなしって、対立しやすい。



むろん、「差別主義者やヘイターが不快な思いをしないようにするために注意書きをしましょう」っていうのは、ちゃんちゃらおかしなはなしです。


こういうのは、読むひとに配慮して合図を入れてもよさそうです。

「わたしはポリアモリーで、Aさんと付き合ってるんだけど、Bさんのことも好きで。でもそれをAさんには言えなくて。Bさんと話しててやっぱり好きだなあって思うけど、Aさんに対して申し訳なくて」


ポリアモリーだからじゃなくて、「知らん、あなたの個人的な恋愛事情は」って思うひとがいるからです。シスジェンダーでヘテロセクシャルでモノアモリーのひとが恋愛話をするときとおなじような配慮が必要ですよね。

(……もっとも、シスジェンダーでヘテロセクシャルでモノアモリーのひとの恋愛話は比較的オープンにしてよくて、そうでないひとの恋愛話はクローズにするべき、という社会的な圧力はあるかもしれません)



センシティブというフィルターで、口をふさぐ



セクシュアリティをセンシティブなものとして取り扱うもう1つの問題は、センシティブという扱いをしてしまうことで、被差別層を「いないことにしてしまう」危険性があることです。


ノンバイナリー(自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティ)の当事者である文乃/ayanoさんが制作したZINE「FROM THE HELL MAGAZINE」というものがあります。



タイトルに「HELL=地獄」って書いてるけど、これは現世のことです。
地獄と書いて、現世。


そこには、

「なんでも男と女でわけられていてノンバイナリーがいないことにされてる」
「みんな当たり前に異性同士で恋愛して結婚すると思いすぎ」
「政治家の差別的な発言に、怒りと辛さで動けなくなった」
「産『婦人』科がしんどい」

といった訴えが書かれています。


セクシュアリティを「センシティブ」なものとして扱うとき、こういった声を「センシティブ」というフィルターで覆って、人目につかなくしてしまうおそれがあります。


「FROM THE HELL MAGAZINE vol. 2」に、こんなことが書かれています。


※注意※

いまから、ほんとうに傷つく文章が引用されます。

これを読むと夜眠れなくなります。
強迫的なネットサーフィンがやめられなくなります。
頭と目が痛くなります。

覚悟のあるかただけ読んでください。

元気がないかたは、いまはこんな重たい文章読まないで、Youtube開いてお笑い芸人のネタでも見てください。ちなみにわたしはバンビーノが好きです。最近だと猫ミームとかもいいですよね。

この箇所だけ読み飛ばしたいかたは、目次のところまでスクロールして、「ここまでジャンプ!」って見出しのところをクリックしてくださいね。



こころの準備はできましたか?




差別と闘う人は多ければ多いほど良い。

というか、差別自体が人を死に追いやるものなので、それと闘わない、見て見ぬ振りをする、という態度はそのまま間接的にでも他の誰かを「殺す」事に繋がる。

怖いよね?

言ってて私も怖いなって思いました。
でも事実なので、これを怖いなって思うなら一緒に差別と闘って欲しい。

何なら実際に踏まれる立場にない(その属性において特権側にある)人たちは、差別されてる人たちよりも元気が有り余っててポテンシャルが高いと思う。
少なくとも「被差別者側で、毎日無自覚な特権有る側から踏まれまくって削られて、でも黙って潰されたくないから必死に声を上げている人」とかよりは、心身共に余裕があるはずだ。


それなら、一ミリも踏まれない、精神にも時間にも余裕がある人間が差別に反対せずに安全な所から高みの見物をする理由はないよね?

彼らには彼らなりの事情や忙しさもあるんだろうけれど、だからといって普段アクティビストとして発信している人もそれぞれの生活の合間に時間と脳みそを使って何か動いているのであって。かつ差別されている人だとそれにデバフがかかるのであって。

「それならあなたにも何かできるでしょ?」と思う。それで逆にもしそのまま何もしないのであれば怒りすら感じる。

現状維持ってこの最悪な現状の肯定だから……。差別は肯定されるべきものではないので……………………。

「FROM THE HELL MAGAZINE vol. 2 『憐れみも応援もいらない』」


要約すると、こういうことです。

おい、差別されてない側の人間。なんで無関心なんだ。なにあぐらかいてんだ。こっちは殺されかけてるんだぞ。闘えよ、人殺し。



これを、この声を、「センシティブ」というフィルターの中に入れられますか?

わたしは無理です。

殺されないように足掻いているひとの口を、
助けてって叫んでいるひとの口を、
みんなの無関心がわたしを刺してるんだって悲鳴をあげているひとの口を、
フィルターで覆うことなんてできません。


でもいま、わたしはこの箇所に注意書きをしました。
読んだひとが傷ついたり不快な気持ちになったりすることが容易に想像できたからです。

自己矛盾を起こしていますね。


わたしがいま、この声をセンシティブだと扱うことは差別に加担している。

では、この声をなんの合図もなく読者の目に触れさせることは正しいのでしょうか?

少なくとも、これをタイトルやリード文などによる合図なしにいきなりnoteの冒頭に持ってくるのは、読者を傷つけることだと思います。



わたしたちはいろんなものを見殺しにして自分の平穏を守ってますよね。

たとえば、戦争。

いまこの文章を読んでいるかたのなかで、どれだけのひとが本気でイスラエルとパレスチナの戦争、いや、イスラエルによるパレスチナ人の虐殺を止めようと活動していますか?

ほとんどのかたがなにもしていないのではないでしょうか。


無関心は正しくありません。
しかし、戦争のはなしから距離をとってこころを守ることを否定することは正しいのでしょうか?


つまるところ、特定の話題をセンシティブだと忌避することは誰かを傷つけますが、センシティブな話題をあけっぴろげにしておくこともまた誰かを傷つけます。





ここまでジャンプ!



......ふう。重たくて小難しいはなしが続いて疲れましたね。


ちょっと伸びして深呼吸しましょうか。
ぐーっと体を伸ばして。すぅーっ。ふぅーっ。


Forestって知ってます?スマホの使用制限をかけるアプリなんですけど。
さっきの文章を読んで傷ついたかたは、あれ使ってみてもいいかもです。
弱っているときのネットサーフィンは、自傷行為のようなものですので。

それで、音楽だけは聴けるように設定してもいいかもしれません。
自然音とか、ヒーリングミュージックとか、ASMRとか、こころが落ち着く曲を流すんです。


はなしがまとまりませんね。もっとわたしがかしこければ、あるいは博識であれば、より踏み込んだ、あるいは整理された議論ができたのかもしれません。でも、むずかしいものはむずかしい。



聞く声を選ぶ権利VS言いたいことを抑圧されない権利



誰のどんな声を聞くかはそのひとが選んでよくて、そのひとが自分で選べるための配慮が必要だ。

これを否定することは、わたしたちの自己決定権や自分の心身を守る権利を否定するということであり、読者を人間扱いしていないということです。


相手が避けられないタイミングで、センシティブな話はしないほうがいい。

対面でセンシティブなはなしをはじめましてのひとにしないほうがいいのも、これが理由のひとつです。
こちらのはなしを避けられる関係性が、できてない。


でも、どの主題を配慮の対象とするかは、むずかしい。
むずかしいからこそ、自主的に配慮してもいいところは配慮する努力をしてもいいのかもしれません。


渡良瀬あやめさんが「わかり合えないあなたにも、クッションを用意してあげたい」と言いました。

わかり合えない相手のことも、たいせつにする。

これはさきほどの「誰のどんな声を聞くかはそのひとが選んでよくて、そのひとが自分で選べるための配慮が必要だ」というところの根っこにある考えかたです。


「あなたのはなしは聞いてて不快」
そう言われたら、理解できないし悲しい。
だけど、そんな相手が傷つかなくてすむように、こちらのはなしを避けられるように、目印をつけてあげる。


相手のことをわかるなんて不可能だからこそ、相手のこころにはなにが棲んでいるかわからないからこそ、探り探り相手を思いやる。



そして、配慮をしないという選択を取らなきゃいけないときもある。

あるテーマを忌避し配慮を求める構造が、当事者を抑圧し隔離し隠匿して、差別や不正を助長している。

配慮してたら、人が踏みつけにされて傷つく。死ぬ。
人を守るメッセージを伝えるときは、配慮してらんない場合もある。
守る対象が、自分自身のときもある。




わたしが考えたことはここまでです。

あなたは、なんのテーマをセンシティブと呼んだほうがよくて、なんのテーマはそうするべきではないと考えていますか?

むずかしいテーマですよね。

こころに余裕のあるときに、考えてみてください。




※第三者のプライバシー保護のため、架空事例を掲載している箇所があります。


この文章を書いたのはこんなひと


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