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迷惑かけてばっかで、もう、ここからいなくなりたい



「それ、やめてくれないかな」


そう言われて、縮こまってしまう。
ああ、まただ。またやってしまった。
わたしはひとに不快な思いをさせてしまう。


「つぎからは気をつけようね」

そう言われたけど、どう直せばいいんだろう。
いつも気がついたらわたしは失敗している。
染みついた自分の悪いクセはどうやったら直るのか。
自分じゃわからない。


どうしたらいいのか、ひとに聞いてみる。

「相手の立場に立って、一呼吸おいたらいいんじゃないかな」

いかにももっともな答えが返ってきた。
それができないから、困ってるんだよ。


言われたことを直せないわたしはダメなやつだ。
直せないことをなんどもなんども指摘され、自信は粉々になっていた。

家に帰る途中、わたしは脳内反省会をしていた。
あたまのなかでぐるぐるしているのは、自分への悪口と現状への不満。

こんなことをしても、なにも状況はよくならない。
わかってるけど、つぎからつぎへとあたまに浮かぶ嫌な考えから意識を引きはがすことができない。

わたしってほんとうに嫌なやつだな。昔からそう。おなじ失敗をくりかえしてばかり。生まれつき、このままずっとひとに迷惑をかけつづけるのかな。ここでも、わたしはうまくいかないのかな。


もう、ここからいなくなりたい。



「短所を直してほしい」

そう言われても、自分ではなかなか直せないのでどうしたらよいのかわからない。

あなたには、短所をなんども注意された経験がないだろうか。
変えられない短所に苦しんではいないだろうか。


わたしにも、短所を指摘されて苦しんだ経験がある。


ひとつは、口調がきつくなってしまうことだ。

ヴァイオリニストの高嶋ちさ子みたいに、ビシバシものを言ってしまう。

わたしは対人援助職をしている。
対人援助職ではやさしい人柄が求められる。
口調がきついのは致命的な短所だ。


上司からなんども注意された。
利用者さんから「あのときの言いかたがきつかった」と言われた。
「あのとき」の日記を読み返すと、上司から「口調がきつい」と注意されたことが書かれていた。


余裕がなくなると、無意識に高嶋ちさ子が出てしまう。
12人のヴァイオリニストなら高嶋ちさ子は適任かもしれないが、子どもや精神障害のあるかたを支援する現場だと大惨事である。


よくないとはわかっている。だけど、改善のしかたがわからない。


もうひとつは、早口。
わたしが自分の話しかたについて、ひとから言われたことを挙げてみよう。

  • 「Youtubeで2倍速してるみたい。メンタリストDaiGoの動画見てる感じ!」
    →効率的にはなしの内容を追うことができますね!時短!

  • 「小型犬がキャンキャンキャンキャンって吠えてるみたい」
    →せめて、柴犬になりたい……。

ちなみに、小型犬のたとえは、早口を直すために通ったボイトレで言われたことだ。ボイトレに通って歌がうまくなった。早口は直らなかった。


対人援助職ではゆっくりおだやかに話すのが美点とされる。
早口でまくしたてると相手に圧を与える。
なにより、聞きとりづらい。

「このひとはこちらに寄り添って話していない」
そう相手に感じさせるのだ。

早口は猫背のようなものだ。
直せと言うのは簡単だが、直す努力をするのはむずかしい。



「きっとわたしさえいなければすべて解決する。わたしの短所は変えられないのだから、わたしがいなくなったほうがいい」

そう思っているあなたへ。


自分のこころのガラスが壊れそうなときは、安全なところに行こう。
そして、こころが落ち着くのを時間をかけて待とう。
ゆっくりで、いい。


「ひとに迷惑をかけているのに短所を変えられない。自分はなんて嫌なやつなんだ」
そう、自分を責めていないだろうか。


短所を変えなくても、解決はある。
わたしたちは短所を変えないまま、ひととつながれる。



「あなたは抜けてるところもあるけど、いいところもたくさんあるから仕事を任せたくなるんだよね」

「ちょっと悪いところもあるけど、あのひとって魅力的なんだよなあ」

そんなふうに思われるようになったらどんなにいいだろう。


短所をカバーできるようになったとき、得られるものは愛と信頼だ。

小型犬も、高嶋ちさ子も、愛されている。
だから小型犬の高嶋ちさ子も愛されるはずだし、あなたも愛されるはずだ。

短所を変えないまま、ひとから愛と信頼を得る方法を考えてみよう。






「いなくなること」では、責任はとれない



わたしには発達障害がある。

発達障害の仲間が集まる自助会に参加していたときのことだった。
一方的に自分のことを話しつづける女性がいた。
こちらが話そうとしても間髪入れずに向こうが話しつづける。
延々相手のはなしを聞かされ、わたしは困っていた。


ある日のことだった。
わたしは仲のいいほかのひとと楽しく話していた。

そのとき、彼女がこちらへやってきた。
わたしたちが会話を楽しんでいたのをよそに、彼女はまた一方的に自分のはなしをしはじめた。
わたしはイラっとして、彼女を制した。

「ごめんね、いまふたりで話してるんだ」


すると、彼女はこう言った。

「わたしも入れてもらってもいい?」


うーーーん、こちらの意図が伝わってないな。
わたしははっきりとこう言った。

「あなたが話すとずっとひとりで話しつづけちゃうでしょ。いまはふたりで話したいんだよね。今日はいっしょに話したくないんだけど」


わたしのはなしを聞いた彼女は、目に涙を浮かべた。

「わたし、障害があるから、どうしようもできなくて……」


えええ。じゃあわたしたちはあなたのはなしを聞くお人形さんでいろってか。

「ずっと話さないとは言ってないじゃん。今日だけ我慢してってお願いしてるんだけど」


そうつたえると、彼女はぼろぼろ泣きだした。

「じゃあわたしはいなくなるね」

そう言って、彼女は部屋を出ていった。
部屋のなかの沈黙が、重たい。


あのとき、言わずにわたしが我慢すればよかったのかな。
でも、わたしはもやもやする。

障害で治せない部分はある。
だからといって、わたしたちが無理やり一方的にはなしを聞かされるのはしょうがないのか?


わたしは、引っかかってしまった。
彼女が「いなくなるね」とその場から逃げたことに。


いまにして考えると、彼女はショックだったんだと思う。
内臓に刃物が刺さって、おびえて必死で抵抗して逃げだしたんだ。
逃げることは、あのときの彼女にとっては必要だった。
自分を守ることは、あのときの彼女にとっては必要だった。


でも、わたしはどう思ったのか。
わたしは、彼女に消えてほしかったんだろうか?

違う。
「ごめんね」って、言ってほしかった。
こちらに歩み寄って配慮する工夫を、してほしかった。


彼女はわたしの気持ちと向き合おうとしたのか。
彼女は他者とともにあるための努力をしたのか。


いなくなったからといって、彼女がわたしに嫌な思いをさせた責任を負ったとは思わない。


「わたしは一方的にしゃべるのをやめられないんだから、わたしがいなくなればあなたは嫌な思いをせずに済むんでしょ」

それが、彼女側の理屈なのだろう。

しかし、問題の原因である自分自身を取り除くのが責任をとるということではない。

その場からいなくなってしまったら、相手の「嫌だった」「こうしてほしかった」という思いにちゃんと耳を傾けられない。
相手の思いに応答して相手と関係を結ぶことから、目をそむけてる。



あなたはこうして、わたしはこうする



他者と関係を結ぶために、わたしたちは短所をどう取り扱えばいいのだろう。


ADHD当事者でもあるライターのいしかわゆきさんは、X(旧Twitter)でつぎのような投稿をしている。


マイペースなひとは、自分のリズムを崩されるのが嫌なひと。
自分が急ぎたくないときに誰かにあわせて速歩きができない。
なにかを考えているときにべつのことを振られたり、急かされたりするのも苦手。
つまり、マイペースなひとは協調性がなくてこだわりが強くてめんどくさい。

それをほかのひとに強要させるのは違う。
だから、『ゆっくり食べたいからさき行ってていいよー』とか、『いまべつのことかんがえてるからあとで対応するねー』と声かけする。

自分の意思をつたえたうえでどうするのかを明示する。
マイペースならマイペースでいるための共有をする必要がある。


いしかわゆきさんの元の投稿


マイペースであるという自分の特徴は直せなくても、

「ゆっくり食べたいからさき行ってていいよー」

「いまべつのことかんがえてるからあとで対応するねー」

といった声かけはできる。


短所を直せなくても、
①相手にどうすればよいのかを提案したり、
②自分は相手のためになにをするのかを提示したりすることはできる。
短所を直さなくてもその責任をとることは可能だ。


さきの一方的に話す彼女の場合、

  • 話しかけるときにタイマーで時間を測る

  • 「わたしは一方的に話すクセがあります。嫌だと思ったら正直に言ってほしいです。言ってもらえればべつのひとと話したり、黙ってはなしを聴いたり、ひとりで過ごしたりします」
    と事前につたえる

といった対策ができるかもしれない。



直すって言っちゃったけど、直せないんです



自分の短所で迷惑をかけたときは、安易にその場からいなくなるのではなく、自分が周囲との関係を良好に保つうえでなにができるかを考えよう。


そう偉そうに言っているわたしはどうなのか。


じつは、「自分の短所で迷惑をかけたときに責任をとること」について、わたしも行き詰まっていた。
わたしも場からいなくなったことがあるのだ。


それはわたしが、若者向けの居場所スペースでボランティアをしていたころだった。


「おはようございます。今日の調子はいかがですか?」


ある利用者さんにわたしは話しかける。
ところが、彼の態度はそっけない。
話しかけてもたいていぶすっとした顔でうつむいて無言でいる。
こっちのはなしを聞いてるのか聞いていないのか、わからない。

ときどき返事がきても「ああ」とか「いや」とか「べつに」と吐き捨てるように言う。
4文字以上のことばが返ってきたことがない。


この利用者さんは、ほかのひととは普通に話すのだ。文字数無制限で楽しそうに話している。
わたしのまえでだけ3文字制限が発動する。


この居場所スペースではレクリエーションがある。
わたしが横で一緒にレクリエーションに参加すると、彼はチッと舌打ちをする。

たった1音で伝えられる、敵意。



「あの」

ある日、わたしは彼をじっと見据えて問いかけた。

「もしわたしに嫌な思いをしているのであれば、なにが嫌なのか教えていただきたいんです」


わたしの質問を受けて、彼はゆっくりことばを紡いだ。

「レクリエーションのときに、言いかたがきついのが好かない。……あと、こないだのお菓子作りのとき、俺がわかってないのに説明が進んでいった」

そう、彼はこのときはじめて、わたしへの文字数制限を破った。


「そうだったんですね。ごめんなさい。教えてくださってありがとうございます。直しますね

わたしは彼に謝り、お礼を言った。


しかし内心、わたしは困っていた。
普通に話しているつもりなのに、語気が冷たく受けとられる。

「もっとやわらかい言いかたをしようね」

気がついたらスタッフさんに注意される。
気をつけようと決心したのに。


またきつい言いかたになったらどうしよう。


彼が自分の不満を口にして説明したのは勇気がいっただろう。

せっかくがんばって自分の不満をつたえてくれたのに、言ったことをわたしが改善しなかったとしたら。

「あいつは口だけ直すといって直してくれなかった。俺のはなしなんか聞いちゃいない」


わたしはきっと彼をがっかりさせてしまう。
そうすればこれきり彼はわたしにたいしてこころを閉ざし、相手にしてくれなくなるだろう。

もう1文字も、わたしにことばを向けてくれなくなるかもしれない。



その後、プライベートが忙しくなったのもありそのボランティアには行かなくなった。

これはちょっとなんでもひどいんじゃないか。
利用者さんからすれば、改善してほしいところをつたえて、「直しますね」と返事をしたボランティアが消えたのだ。

「自分のせいでボランティアが消えた」と負い目を感じさせてしまったかもしれない。
わたしが逃げたことで、失望させてしまったかもしれない。


では、どうすればわたしはいなくならずに済んだのだろうか。


頑固なクセを直すには傍目にはわからないほど少しずつ変化することになる。長い時間がかかるのだ。明日から急に短所を直すことはできない。


短所があるまま、それでも彼の居心地をよくするにはどうすればよかったのか。
短所で迷惑をかけたことに、わたしはどう責任をもてばよかったのだろう。
わたしには答えが見つけられなかった。



あなたは相手を喜ばせることができる



いしかわゆきさんのnote「ADHDがミスしたとき、相手にできるだけ怒られないようにする方法」のなかで、「ちゃんと相手を喜ばせる」という方法が紹介されている。


短所を出さないのは難しいので、自分のできることや得意なことで、いかに相手を喜ばせるかを考える。



短所を直すかわりに、ほかに自分ができることで相手を満足させられたのではないか。



いま、あのときの利用者さんとの会話に戻れるなら。

「きつい言いかたが嫌だ」


わたしはこう言うことができるかもしれない。

「ごめんなさい。わたし、気をつけているけど、つい言いかたがきつくなるんです。直そうと意識しているのですが、なかなか直らなくて。あなたにまた不快な思いをさせるかもしれません」


「そのかわり、あなたに楽しんでもらえるようにがんばりたいです。今日みたいに、嫌な思いをしたら、真剣にはなしを聴かせていただきたいです」


「あなたの居心地がよくなるように、がんばらせていただけませんか。どうか、見守ってはいただけないでしょうか」



その短所があるとどう困るんですか?



なぜ、その短所があると問題なのだろうか?

短所を指摘されたとき、深掘りして考えてみる。
そうすれば、短所をカバーするヒントが見つかるかもしれない。


「早口って大変だよね。わたしも早口でさ」

「ぼくも早口なんですよねえ」

知り合い同士で話していたとき、早口会議が始まった。


まずは、バレエ教室の先生が口を開く。

「子どもがいい動きができているとき、つい熱くなって早口で話しちゃって。それが子どもに威圧感を与えているみたいで」


つぎに話をしたのは、営業職のかた。

「早口でプレゼンしてしまって、お客さんがついていけなくなってしまって


という会話が繰り広げられた。早口で。


「二人は早口にどう対処してるんですか?」

わたしは彼らに聞いてみた。早口で。


バレエの先生はこう答える。

「わたしは、子どもに前もって『先生はうれしいときに早口になってしまうんだよ』って伝えるようにしてる」


営業のかたが続ける。

「ぼくは、一段落話したあとに『ここまででわからないところはないですか?』って聞くようにしていますね」


それを聞いて、バレエの先生がこう話した。

「早口そのものを直してるわけじゃないんだよね。早口がなぜ問題なのか考えて、その問題点にたいして対処するというか

わたしの場合は威圧感を与えることが問題だから、早口になる理由を前もって子どもに伝えるでしょ。営業の場合は、お客さんが理解できないことが問題だから、こまめにわからないところを聞くっていう対処になるよね



なるほどたしかに。これならば、短所そのものを直さなくても短所をカバーできている。


短所を指摘されると、「そう言われても直しかたがわからない。いったいどうすれば……」と途方に暮れてしまう。

しかし、なぜ短所が問題なのかを深掘りすれば、短所そのものを直さなくても対処が見えてくることがある。
短所を指摘されたときは、短所にうまく対処するヒントを探すチャンスかもしれない。



言いかたがきついのはこう対処する



「言いかたがきつくなるの、直したいんですよね~」

わたしはカウンセリングでそう話していた。


「どんなときに言いかたがきつくなるの?」

カウンセラーの先生はたずねる。


「たとえば、利用者さんがものを間違った方法でしまおうとしてて。違いますよって何回言っても聞かないから、『だから違いますって!』って言っちゃって」

「そうなのか」

「あとは、子どもがドリルをやってたときに、解きかたを間違えてて。違うよって何回言っても直さないから、『違う! こう!』って言っちゃって」

「正したい反射だね」

「ん? なんですか、それ」

カウンセラーの先生は説明してくれた。

「ひとが間違ったことをしていると反射的に正したくなる心理のことだね」

「へぇ~! めちゃめちゃ勉強になりました。そういうときはどうしたらいいんだろう」

しばしシンキングタイム。



あっ、いっこ思いついたかも。

「ああ、疑問形で話しかけるといいのかもしれませんね

「というと?」

「たとえば、子どもがドリルの解きかたを間違えている場合、直してって言うんじゃなくて、『どうしてこう書いたか教えてもらってもいい?』って聞くんですよ」

「お~、なるほどね」

「利用者さんがものを間違った方法でしまうはなしも、違いますよっていうんじゃなくて、『大丈夫ですか? なにか困ってませんか?』ってところから入るんですよ。これでいけそうじゃないですか?」

「対処法が見つかったね」


あれ。

でもこれって、べつに相手が間違ったことをしているときに限ったはなしじゃないな。


余裕がなくなると、わたしは利用者さんに「あれやってください」ってきつい口調で言ってた。

ほかのスタッフさんは、「あれやっていただけませんか?」って疑問形でお願いしてたな。

ん~そうか。そもそもそこの心構えから根本的に違ったのか。

ひとにものを頼むときは、やってくださいって命令するんじゃなくて、疑問形でお願いする。
それが、相手にたいする礼儀だ。


こうしてわたしは、
「なにかを指摘するときとものを頼むときは疑問形を使う」
という知見を得た。



このやりとりで、わたしたちがやったことはこうだ。

①どんなときに短所が出るのかを分析する
②そのシチュエーションで短所をだすかわりになにができるかを考える
③その方法がほかの場面でも適用できないか考える


言いかたがきつくなる例を振り返ってみよう。

①相手が間違った行動をしているときに言いかたがきつくなる。
②相手が間違った行動をしているときは指摘ではなく疑問形で話しかける。
③なにか指示を出すときにも、命令じゃなくて疑問形でお願いする。



短所の改善を強要する場からは逃げろ



いまの環境で、どこにも出口が見いだせないひとへ。



「なんど言えばわかるの」

上司に指摘されたことが、がんばっても直せない。


困り果てたので、友達に相談していろいろ一緒に考えてもらった。
そこから、自分なりの改善案と、上司に協力してほしいことをまとめた。
友達にもLINEで確認して添削してもらった。
友達からは「これでがんばってみよう。応援してるよ」って言われた。


上司と面談の約束を取りつける。
上司に苦手なことを直せなくて困っていることを伝えた。
そして、友達と作った文書を手渡した。

上司が文書を読む。
静かで緊張する時間が流れる。
文書を読み終えた上司が、口を開いた。


「は? なにこれ。仕事する気あるの?」


上司は不機嫌を隠さない。息が止まる。

「いや、だから、それはプロとしてダメだよね。お客さんも困るし、ぼくもカバーできないよね。ぼく前々から言ってるよね。直そうよ」

だからどうやって直したらいいのかわからなくて困ってるんだって。
目からは涙がこぼれていた。
上司からティッシュを無言で差しだされる。


「きみはあたまはいいけど」

「きみはやる気はあるけど」

「そういうところはちゃんとしてるのに」

自分の長所が取りあげられるときは、そのあとにいつも問題点を指摘される。


誰も助けてくれない。ずっと涙をこらえて、トイレで泣いている。
わたしががんばらなきゃ。なんのために生きてるんだろ。でもそんなことを考えるより仕事に行かなきゃ。自分のダメなところを乗りこえなきゃ。


ひとからなんども短所を指摘される。
自分なりに工夫しても、自分のことを受けいれてもらえない。
いつも否定的な評価をされる。


そんな境遇にいる、あなたへ。


できるだけはやく逃げてほしい。
あなたが周りのひとの評価に殺されてしまうまえに。



短所を直さなくても、わたしたちは

  • 相手はどうすればよいのか提案する/自分は相手のためになにをするのかを提示する

  • 自分のできることや得意なことで相手を喜ばせる

  • 短所の問題点を考え、その問題点に対処する

  • どんなときに短所が出るか考えて、その場面でのべつの行動を考える

といった対処法で短所をカバーできる。


裏を返せば、これらの対処法があるにもかかわらず、短所を直すよう強要する場はあなたにとって危険だ。



「仕事なんだからちゃんとして」


休職中の面談で、わたしは上司から詰められていた。

当時わたしは福祉施設で働いていた。
ある利用者さんとのかかわりがむずかしく、わたしはノイローゼになっていた。


「あなたがちゃんとしなさい」

「うちではプロとしてちゃんとしなきゃダメ」


そんなことを厳しい口調でずっと言われた。
ダメなところがあるあなたを許さない。そう言われている気分だった。
わたしは泣きたくないのに泣いていた。
結局、わたしはその職場を辞めた。



いまになって、わたしは当時の上司にこう言いたい。

「お前にわたしの才能のなにがわかるんだ、目ぇついてんのかぁ!?」

目頭切開してレーシック手術して目ぇパッチパチにして見える世界広げてやろうか。


ひとを活かせるひとは、そのひとのいいところを見る。
ひとを育てるのがうまいひとは、相手の立場に立って改善案を考える。
ダメ出ししかできないひとは、そのひとのよさを殺す。

ひとは長所で尊敬され、短所で愛されるそうだ。
あなたの短所を嫌ってばかりいるコミュニティからは逃げたほうがいい。



あなたを理解しない「直したほうがいい」は気にしない



「それ、直したほうがいいよ」

親切心から、そう助言してくるひとがいる。
そんなこと言われたって、どうすれば直るのかわからないよ。
こういった助言は、こちらに無力感や自己否定感を与えてくる。


昔ボランティアの帰り道で、臨床心理士の先生からこう言われた。

「早口、直したほうがいいね」

さも自分はあなたのためを思って課題点を教えてあげましたというふうに。


わたしはこう思った。
直しかたもわからない外野が、直せって言うなよ。


「ゆっくり口を動かして話すといいよ」

その先生はそう続ける。


なんにもわかってないよ、先生。


ボランティアがはじまるまえ、わたしはこころに決める。

「今日はゆっくり話すように気をつけよう」


ボランティアが始まると、やることがたくさんある。

あっちのものをこっちに運ばなきゃ。あれをあのひとに伝えるのを忘れないようにしないと。つぎはこれを話そう。いま相手はなにを考えているのかな。あと何分残ってる?


終わりの時間がきた。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
失礼します。

蛍光灯の下で、家路につく。


あ。

早口のこと、忘れてた。今日ずっと早口で話してた。またやっちゃった。


無理だよ。気がついたら、「ゆっくり話す」っていうミッションが、あたまから追いやられちゃうんだよ。

だから先生、先生が生まれつきの早口になってみたらいいんじゃないかな。


こっちの大変さを理解していないくせに、「わたしが考えてあげた対処法」を語るな。
早口エアプ指示厨め。コメント非表示にしてやろうか。


直せって言えばそれだけで短所が直るわけがない。


「指摘してもらっているのに直せない。わたしはダメなやつだ……」

直しかたがわからないのに直せと言われても、相手は追いつめられる。
「短所を直せ」と安直に言うのは、ただのおせっかいでしかない。

「うまくやるにはどうしたらいいか」を相手の視点に立って考える姿勢こそが必要なんじゃないか。
そして、「うまくやる」のに必要なのは、短所の改善だけに限らない。


漫画家の大塚志郎先生は、『漫画の赤本3 4種の他者意見』で「4種の他者意見」について書いている。




さて、さきほどの臨床心理士の先生のアドバイスは、上記の4種の意見のどれにあたるだろうか。



正解は、ゴミ。

先生は、「自分が気づいているダメな部分」「改善に時間のかかる部分」のダメ出しをしている。
改善案は出したかもしれないが、実行不可能なものだ。


もちろん、他者から短所を指摘されたことを機に、改めて短所への対処法を考えて道が開けることはある。
それは自分ががんばればいいし、ほかのひとと一緒に対処法を考えてもいい。


だが、なにを相談してもゴミの意見しか言わないひとのはなしを聞いて落ちこむ必要はない。
ゴミの意見は、スルーしていい。
それよりも、金の意見、銀の意見、銅の意見をくれるひとに耳を傾けていきたい。


相手のことなんか本気で考えちゃいない偽物の善意をもらったからといって、あなたはできない自分を責める必要はない。



自分の短所に悩んで、いなくなりたいあなたへ



あなたがこの世界でしっかりと呼吸ができるようになれたら。
自分はここにいていいんだという実感をもって生きていくことができたら。
ひととのつながりのなかであなたらしく過ごすことができたら。


短所があるからといって、あなたはダメなやつじゃない。
短所の影響をゼロにはできなくても、短所をカバーする工夫はできる。
あなたは短所をカバーする武器の使いかたを学んだ。

①相手はどうすればよいのか提案する/自分は相手のためになにをするのかを提示する
②自分のできることや得意なことで相手を喜ばせる
③短所の問題点を考え、その問題点に対処する
④どんなときに短所が出るか考えて、その場面でのべつの行動を考える


じつは、あなたにも短所をうまくカバーした経験があるのではないだろうか?

もしそうなら、その経験を振り返ってみてほしい。
あなたなりの、短所をカバーする技術が見つかるかもしれない。


そして、あなたの短所にこだわり、悪い評価しかしないひとからは逃げていい。
あなたの立場に立たないただのおせっかいな助言も無視していい。


大丈夫、あなたはいいひとだ。



※第三者のプライバシー保護のため、架空事例を用いている箇所があります。



「早口言葉、得意なんですか?」

そう聞かれましたので、お答えしたいと思います。

早口のひとは、早口言葉が苦手です。
なぜなのか説明しますね。

普通のひとは、口を縦に開いて話しています。
たいして、早口のひとは口を横に開いています。

口を縦に開くのは大変です。
早口のひとは、それをサボっているので早くしゃべれるんです。

でも、口をきちんと縦に開かないと、きれいに発音できません。
だから、早口のひとは早口言葉が苦手なんですね。


ちなみに、これを知ったときびっくりしたんですが、
普通のひとはあたまのなかの原稿を音読して話しているのにたいして、
早口のひとはあたまに浮かんだことばがそのままトイレットペーパーみたいにするするする~ってくちから出ていくそうです。

えっ、そうなんですか!?

あたまのなかに原稿があってそれを読む、という感覚が信じられません。


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