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センシティブな主題への、配慮。ーコンテスト中間発表体験記



たとえば。
このnoteを読んでいる途中で、なんの前触れもなくこんな画像が現れたら。


(あ、いまから不適切な画像がでてきますよ。
苦手なかたは薄目で高速で避けてください)

















嫌でしょ。


これとおなじこと、やってませんか。


センシティブな主題。

政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物、そのほか、ひとによって嫌な思いをする可能性のある話題。

これを、読者への配慮なしにそのまま書いちゃっていませんか。


あ、これらの話題がさきほどの画像で示したものと同列だと言いたいわけじゃないですよ。

ひとによって不快なきもちになるかもしれない内容を、それを読みたくないひとに配慮せず書いていませんか、ってことです。


むかし、ブラクラって流行ったじゃないですか。
クリックすると不快な画像が流れるWebページ。

ブラクラnote、書いちゃってませんか。


いや、センシティブな話題が大事なものなのはとてもよくわかるんです。
お互いをよく理解している間柄、言ってもいい空気だったらそういうはなしはしてもいいんです。
でも、はじめましての相手になんの配慮もなくポーンってセンシティブな話題をするのは、怖がられます。


センシティブな話題を、なんの配慮もなく書いていませんか。


ごめんなさい。
わたしはこれ、やっちゃってました。

今回は、「センシティブな話題を書くときにどんな配慮をすればいいのか」をあなたと考えたくて、このnoteを書きました。

コンテストの中間発表での悲喜こもごものおはなしとともに、お届けします。





あ~落ちた落ちた、中間選考落ちました。


わたしは自分にそう言い聞かせる。
これは、過度に期待してがっかりしないための、自分を守る方法。

挑戦するときは、できると言い聞かせて挑む。
やりきってできることがなくなったあとは、悲観的に考える。


これは、大学受験のころからやってる自己防衛だ。
おなじ大学を受けた同級生と、
「数学死んだわ! あ~終わった終わった! ギャハハ」
と謎のハイテンションになりながら、ただ結果を待つしかない日々を過ごしていた。


今回のnoteコンテスト「なぜ私は書くのか」に応募したあとも、

「わたしは落ちる。わたしは落ちる。わたしは落ちる。」

とこころのなかで念仏を唱えていた。







2024年8月29日 結果発表の延期


主催の藤原華さんからお知らせが届いた。


中間選考を担当する、華さんのマネージャーさんと話して、こう決めたらしい。

「落としたひとに落とした理由を伝えたいから、結果発表を延期します」


なんてありがたい申し出なんだ! これなら落ちても儲けものだ!
落とした理由を知ることができる。これほど物書きにとって貴重なフィードバックはない。

それに、華さんの発信はいつも「執筆がんばるぞ!」というエネルギーをもらえる。
今回のマネージャーさんのフィードバックも、きっといいものに違いない。


結果が知りたくてやきもきする時間は増えたけれど、わたしは「落ちました! 残念でした!」と自分に言い聞かせながら待つことにした。



2024年8月30日 絶対に中間選考に落ちたと確信した


わたし、中間選考落ちた。

いままで自分に言い聞かせていた呪文とかではなく、本気でそう確信した。

中間選考を落とした理由が、公開された。


たくさんの理由のなかで挙げられていた1つの理由。
「それ、初対面の人にいうことではない」


審査員である以上、応募作品は読まなければならない。その応募作品が「それ初対面の人に言うことじゃないだろ」って話題だと、審査員は本当にイヤな気持ちになります。

初対面の人にしちゃいけない話題っていっぱいありますよね。

政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物。

なんでもいいんですけど「これは初対面の人に言っちゃだめだろ」という話題は、それが「面と向かっての会話」ではなく「文章ごしの伝達」だったとしても。

言っちゃ、だめなんです。


私はね、人間なんです。
生きている人間なんです。
審査員って、人間なんですよ。

人間だから、聴いていてイヤな気持ちになる文章は読みたくないんです。

(中略)

本当に、本当に、イヤな気持ちになりました。正直、もう二度と審査員なんてやりたくない。本気でそう思いました。

センシティブな文章を、読むことを強要する。
私にそれを強要したあなたに一つ聞きたいんですが。
それって、暴力と何が違うんですか?
本当に、悲しかったです。


考えたことなかった。


わたし自身、自分が精神障害者で発達障害者であることを普段作品に盛りこんでいる。
今回の応募作品でもセンシティブな描写を多用していた。


はじめましてのひとに「政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物」のはなしをされても、

わたしは「文脈や接しかたがおかしくなくてキツいはなしじゃなければ」ふーんって言いながら興味を持って聴くタイプの人間だ。


わたしの周りのひとも、それほどセンシティブなはなしを気にしないタイプが多い。

「そうじゃないひとがいる」ということを忘れていた。


やってしまった。
自分の浅はかな考えで、ひとを、傷つけた。
あたまから突然0℃の冷水をかけられたみたいだった。


もちろん、「センシティブなテーマだから全部落とした」なんてことはしてません。ちゃんと、

「この作品は、センシティブなことを書いているよ」
「だから、読むとつらい思いをするかもしれない」

そういう合図を、審査員である私に送ってくれている心優しい作品は、ちゃんと中間選考を突破しました。


私を、人として扱ってくれた。

私のことを、「自分が話したいだけのセンシティブなテーマを聴かせる道具」として扱わなかった。
その思いやりとやさしさを、ちゃんと受け取ったから。

センシティブなテーマではあったけど、「センシティブなテーマだからこそ」、慎重に相手に伝えようとするそのやさしさがあったから。

だから、ちゃんと中間選考を突破してもらったんです。


「この作品はセンシティブだから、読むとつらい思いをするかもしれないという合図」
「センシティブなテーマを慎重に相手に伝えようとするやさしさ」

うーん、心当たりがなさすぎる。
もうだめだ、これは確実に中間選考に落ちている。


ちゃんと気配りができるひとは、配慮してるんだよなあ。


ことばは、いろんなものを連想させる。いろんな感情を呼び起こす。
それは極めて個人的なものだ。
感じかたはひとそれぞれ。
だからこそ、想像力をもって配慮しなければならない。

センシティブなテーマに耐性があるとかないとか、そういうことではない。
だれのこころにも、触れたくないものはある。

「自分らは大丈夫」っていう自分の文化圏のノリで、はじめましてのひとにセンシティブなはなしをしちゃダメなんだ。


なにげなく放ったことばが、相手のトラウマを刺激することもある。
過去の記憶があたまのなかに流れてきて、ベッドから一日動けなくなったり、人知れずトイレにかけこんで過呼吸になりながら地獄のような記憶のリピート再生をやりすごしていたりするひともいるんだ。


心理学の授業で、こんなはなしを聞いた。

「集団でリラクゼーションをするとき、音楽は知名度のないものを流すんです。知名度のある曲を使うと、『あのときのお葬式の曲だ』って思うひとがいるから」


ことばだって、こういう配慮がいるんじゃないか。
負の感情を呼び起こしやすいセンシティブな話題はみだりに出すものではない。
どうしても必要があってそのはなしをするなら、それを読みたくない読者に配慮しなければならない。


そんなたいせつなことを、わたしはわかっていなかった。


「政治、虐待、宗教、セックス、戦争、命、病い、生い立ち、セクシャリティ、暴力、薬物」

このテーマのすべてを「センシティブで、はじめましてのひとへの文章に載せるのは忌むべきもの」とするのはなんだかもやもやする。

特に「病い」については、精神障害の当事者としても、そして支援者としても思うところがある。


だけど、そんなわたしの御託よりも。

わたしはどれだけ危ない表現をした?

「うつ」「死にたくなった」「性加害」「障害」
「お前は加害者だ、お前は加害者だ、お前は加害者だ」

その表現を使うことにたいして、どれだけ無神経だったんだ。

わたしの文章を読んで、人間扱いされなかったと感じたひとがいる。暴力だと感じたひとがいる。「もう二度と審査員なんてやりたくない」と思わせてしまっている。

その揺るぎない事実が、なによりも重要だろ。


「こないだ原稿見てもらったコンテストの中間選考、おそらく落ちた」

わたしは友達にLINEをした。

「気配りというものはわたしの性格と無縁だと思う。物書き向いてないのかもしれない」

そんなあまったれた愚痴を言った。

言ったあと、思った。
なにも学んでないな。お前の卑屈を友達に押しつけるな。

友達は、こころの底から心配してくれた。


最後に、わたしは友達にこうつたえた。

「でも、自分が書いたことに立ち返るしかないんだ。
自信がなにでできているか。
有限性だ。
自分ではない誰かになろうとしないことだ。
自分に絶対にできることを積み重ねることだ」



……謝ろう。

相手は「人間扱いされなかった」って言ったんだ。「暴力だ」って言ったんだ。

そう訴えた相手にたいして謝らなかったら、それこそ人間扱いしてないだろ。


中間選考を落とした理由が書かれた元のnoteのコメントに謝罪を書くのは、楽しい雰囲気をぶち壊してしまう。なによりそれこそ読みたくないひとに読ませてしまう。

コンテスト主催の藤原華さんのXにDMは? いや、わたしが謝りたいというだけの理由で華さんのDMを使うのは、ちがう。

Xで謝罪を載せるのは? それはチョット炎上ガコワイ。

苦肉の策として、わたしはわたしのnoteのつぶやきに審査員のかたへの謝罪を載せた。
(フォロワーさん、巻きこんでごめんなさい。)



中間選考を落とした理由が書かれたnoteにたいして、たくさんのコメントがついていた。

そのどれもが、審査員のかたへの気遣いと感謝、そして意気込み。

みんなどんっだけ性格いいんだよ……。わたしマジでメンタルぶれぶれだし自分のことしか考えてないもん。敵わないよ。



2024年8月31日 結果発表の日


めちゃめちゃ機嫌が悪かった。

朝から学習支援のボランティアだった。

ボランティア先のひとに心配されたので、

「ちょっといそがしかったからたいへんだけど、明日から長期休みなのでがんばります」

と答えた。

さすがにネガティブになりすぎなので、ボランティアがはじまるまえに抗不安薬を飲んだ。


ストレスがかかると、眠くなる。
子どもと接するとき以外は死んだ目をしていたと思う。
とにかく、家に帰って寝たい。

電車で目をつぶっていたら、降りる駅をのがした。サイアク。


家に帰るとソッコーでベッドに入った。
よし、寝よう。

わたしはネット麻雀を始めた。
4位だった。段位(レベルのようなもの)が下がった。

匿名チャットアプリでこんなつぶやきを吐き捨てた。
「わたしのことなんて誰も必要としていない」

今度こそ、寝よう。



ピコン。

スマホが鳴ったので画面を見る。

「藤原華さんのnoteで、あなたの記事が話題です!」


……ん?


いや、まさか。

コンテストの結果発表を確認するため、画面をスクロールする。


わたしの作品が、ある。


いやなんでぇ!?!?!?!?!?!?
審査員のジャスミンさん、ほんとうになんでですか。(困惑)


時間差で、わたしは声をだして泣いた。
思わず友達に電話をする。


「もしもし?」

「……ぐすっ……」

「大丈夫……じゃないね」

「あのさあ、中間選考さあ、通った……」

「えっ! おめでとう」


そこから、雪崩のように本音を話した。

昨日はほんとうは全然大丈夫じゃなくてさあ。
今日もふて寝しようと思っててさあ。
ヤケクソで麻雀したらボコボコにされちゃってさあ。
チャットアプリで「わたしのことなんて誰も必要としていない」って書いてさあ。


そして、友達に伝えた。
ありがとう、応援してくれてほんとうにありがとう。


改めて、中間選考突破者のリストを見る。
リストの下には、不合格者のnoteも載っていた。
わたし見間違えてないよね? もう一度確認する。

というか、不合格者のnoteも載ってるわけだから、
不合格者にもわたしとおなじ通知が鳴ったんだよね。
「通知を見てもしかして!?と思ったら、不合格のほうでした」
のパターンもあったわけだよね。
そっちだったら発狂して夕方の街に駆けだしてたよ。


審査員のジャスミンさん。

わたしのとんでもなく込み入ったはなしを真剣に受け止めてくれて、ありがとうございます。
ジャスミンさんのフィードバックのおかげで、たいせつなことに気づけました。

ジャスミンさん言いましたよね、読むからには得をしたいって。
ぜんぜん他人のことを考えられないわたしにとって、わたしの文章でジャスミンさんに得してもらえたことが、なによりもうれしいです。



センシティブなテーマを読むひとにたいする配慮


精神障害者として発信する以上、一見さんへの配慮は必須だと思いました。
これを「どう気の利いたかたちでやるか」が、今後の課題です。

というのも、記事の冒頭がこんなんだったら。

※ATTENTION※
この記事には、以下のようなセンシティブな表現が含まれています。
苦手なかたは読むのをお控えください。
・障害について言及する描写
・ひとから怒られるトラウマを喚起するような描写


同人誌の1ページ目に出てくる注意書きやんけ。

いや、たしかにセンシティブなテーマにおける配慮の本質は「同人誌の1ページ目でやってるように注意書きをして、相手に地雷を避けさせる」ってことですよ?

でも、これは無粋。ないよりはマシだけど。

それに、noterにとって1行目は必殺技。
ここを注意書きに使うのはもったいない。


ちなみに、わたしが制作しているZINE「Domanda」。
裏表紙はこうなってます。


ZINE「Domanda」Vol. 1の裏表紙


ごりごりに注意書き。

これねー、デザインとして美しくないからやめたいんだよね。
裏表紙に注意書きが書いてある本なんて、見たことないでしょ。



華さんの注意書き、うまいよね。

だから、今から私が実演するフィードバック。「編集者としての自分に自信を失ってる」編集者は絶対に見ないでください。そういう編集者に対して一切配慮はしてません。

私のフィードバック見たら、明日から会社行けなくなりますよ。

「日本一の編集者が行うフィードバック」なんて、弱ってるときに見るもんじゃないんです。

弱ってるときは、ちゃんと眠って、好きな入浴剤入れて湯船につかって、ガッツリお肉食べて、朝ゆっくり散歩して、ずっと読みたかった小説を読んで過ごす。こういうのが一番です。

弱ってる編集者は、絶対見ちゃダメ。約束ね。

編集者だけじゃないよ。最近ほら、文章添削が流行ってるじゃない。「あなたのnoteを添削します!」とか「あなたのブログにフィードバックします!」みたいなやつね。
ああいう「人が書いた文章にフィードバックする副業をしてる人」も、見ちゃダメ。自信を失ってる時期は誰にだってある。そういう人は、ここで離脱。ゆっくり休んでね。


①誰に読まないでほしいのか
②なんで読まないでほしいのか
③読まないかわりにどうしてほしいのか(ここに相手への気遣いがあふれている。まるで玄関まで来てくれたひとにお土産もたせて気をつけてねって送り出すみたいに)

が書かれてる。

で、これを自己紹介したうしろに持ってくるとかなり気の利いた感じになる。


現状、センシティブなテーマへの配慮をどうやっていくか、自分のかたちが見いだせていません。
探り探り、やっていきます。


noterのなかで病気のあるかた、マイノリティのかた、逆境体験をしたかた、センシティブなテーマでnoteを書いているかた。

もし自分なりのセンシティブなテーマの取り扱いかたが見つかったら、ぜひわたしに教えていただけますと、ほんとうに助かります。


最後に、わたしの文章を読んでくれるかたへの感謝をこめて。



みずのけいすけさんのイベント「書けるようになるnote勉強会」に行ったんですよ。

みずのさんは元noteの社員で、いまは「パーソナル編集者」という、個人によりそって編集をやるサービスを提供しているんですけど。

みずのさんのプレゼンは気配りのかたまり。

まず、スライドのなかに「きつねが伸びをする画像」があるんですよ。
それを出して、プレゼンの最初にみんなで伸びをするんです。

みずのさん、めちゃくちゃ声をかけます。

飲み物全員いきわたってますか。部屋の温度大丈夫ですか。スライド見えますか。前のほう席空いてますよ。トイレは1階にありますから行ってくださいね。

発表を聞くときに参加者が困りそうなこと全部つぶしにきてる。


参加者のひとが質問するときも。

「あっ、ちょっとそこだとプロジェクターがまぶしいですよね」
「個人的な質問? 聞いても大丈夫ですよ、みんなも勉強になりますからね」
「風がうるさいな。扇風機を止めよう」

めちゃめちゃ気を配ってくださっているんです。


なにか発表するときって、
「なにを言おうかな」
「時間配分大丈夫かな」
「参加者に喜んでもらえるかな」
って考えるじゃないですか。

でも、みずのさんは
「どういう心配りをしようかな」
まで事前に考えてる。


すごいっすよね~~~、わたしも自分が発表するとき見習いたいです。



コンテスト「なぜ私は書くのか」応募作はこちら


この文章を書いたのはこんなひと


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 ZINE「Domanda」では,ADHDと双極性障害と診断され,様々な挫折と試行錯誤を繰り返してきたわたしが,自身の苦労の中で感じたことのエッセイや,生活の中で編み出したハウツーを綴っています。ご興味のあるかたは,こちらの商品ページをご覧いただければと思います。

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