先祖は武士?自分の先祖を調べよう
歴史に触れる機会や映画やドラマなどメディアで武士の存在を意識する際、自分の先祖は武士だったかどうか気になる機会はあったのではないでしょうか。武士の時代は当然ながらかなり前の時代になってしまうため多くの家系では確かめる術がないという状況かと思います。確実な情報を得るには難しいものの、もしかしたらこの武士/武家との関わりがあったのではないか、という推測には辿り着ける方法があります。
ここでは武士とその可能性の確かめ方をご紹介します。
武士とは
改めてですがまずは武士とは何かという事について理解を深めていきましょう。
武士(ぶし)とは、日本の中世から近世にかけての社会において、武家としての身分を持ち、武器を扱い戦闘に従事した一群の人々を指します。
武士は、一般的には武家としての家柄や家格に基づき、武士道と呼ばれる道徳規範に基づいた行動を求められました。
また、武士は戦闘能力を重視され、軍事的な役割を担いましたが、一方で統治や政治、文化の分野にも深く関わりました。
次に武家(ぶけ)とは、武士としての身分を持ち、戦闘や軍事に従事することを義務づけられた一族や一群の人々を指します。武家は、その家柄や家格に基づいて、特権的な地位を保ちました。
武家は、中世には、主に地方の豪族や大名、近世には藩主や旗本などとして、統治や軍事、文化の分野で重要な役割を果たしました。
武家という言葉は、広義には戦闘に従事する一族や一群の人々を指すため、武士よりも広い意味を持ちますが、武士と武家は、基本的には同じ意味で用いられます。
武家制度は廃止されましたが、日本の社会において重要な役割を担っており、武家の歴史や文化は今でも歴史や文化に深く根ざしております。
武士と侍の違いはなに?
武士と同じような意味合いで使われる侍は何が異なるのでしょうか。武士は一般的な戦闘能力を持った武家の一員であるのに対して、侍は主君に仕え、主に身分的・社会的な役割を持った武士の一種という位置づけなのです。
侍は武士の中でも、主君に仕え、護衛や奉仕などの役割を担った人々を指します。侍は、武芸に優れ、武器の扱いや馬術、礼儀作法などの知識も持ち合わせていました。
また、侍は主君に忠義を尽くし、武士道に基づく精神を持っていることが求められました。
そのため侍も武士の一種であるものの主君に仕えていたという点では、時代劇やドラマなどで目にするのは侍のイメージに近いかも知れません。
武士は珍しいの?
江戸時代において、武士の割合は総人口に対してごく少数でした。江戸時代は、全体的に農民が大多数を占める農村社会であったため、武士の割合は極めて低いものでした。
具体的には、江戸時代初期の人口調査(元禄2年調)によると、全国の総人口約3,200万人のうち、武士の人口は約200万人で、全人口の約6%程度でした。江戸時代後期になると、人口が増加し、武士の人口も増えたため、全人口に占める割合は若干増加しましたが、依然としてごく少数派であったことが分かります。
その中でも主君に仕える侍の人口は約50万人で、全人口のわずか1.6%程度と言われております。
また、武士階級自体も、豪族や大名、旗本、藩士など、多様な身分層からなっていたため、彼らの社会的地位や身分によって、富裕層と貧困層など差がありました。
先祖が武士だった可能性は?
先祖が武士であったかどうかを確認することは、一般的に容易ではありません。武士階級に属していた人々は、多くの場合は家譜や系図を残しており、そこにその人物の身分や家柄が記されていることがあります。しかし、そうでない場合は、歴史資料や文献、記録などを調べる必要があります。
具体的には先祖が生活していた地域の歴史や伝承、または当時の役所や寺社などの記録を調べたり、家族の伝承や話を聞いたりすることが代表的な方法です。
ただし昨今は個人情報保護の観点で寺社の過去帳の記録を見ることも昔に比べて困難になっていたり、地元から離れてたりや家族が別々で暮らしており家族の伝承を聞くということも難しい方も多いでしょう。
以下は可能性を測る上での方法をご紹介します。
家系図を確認する
もし家系図が残っている場合は自分の家系について確認することが最も近道です。家系図を確認することで、自分の先祖の世代や家族構成などを知ることができます。また、先祖の過ごしたであろう地域の場所の記載があれば、その情報をヒントに有力な情報の手がかりとなります。
家系図がない場合は作り方を別でご紹介しております。家紋を調べる
武士には家紋と呼ばれる家族の紋章がありました。家紋にはその家族の由緒や歴史が込められていることがあります。もし家紋が分かっていれば、それを調べることで、先祖が武士であった仮説を立てることが可能となります。家紋がわからない方は先祖のお墓があればそちらを調べてみるのが近道です。よく見ると家紋が彫られていたということは珍しくありません。名字から調べる
名字は明治時代からは誰でも名乗れるようになったため、この情報だけでは特定は難しいです。ただし同じ名字の武家と上の情報において共通点が多くある場合は調べる際の指標にはなってきます。この段階では(名字) 武士や(名字)氏などで検索してみてヒットするか調べてみましょう。
以上が、先祖が武士であったかどうかを調べる最初の一例です。武士のご紹介で記載の通り多くは農民だったため先祖が武士の可能性は高い訳ではありませんが、武士の姓、縁のある土地、家紋など何かがヒットすると、関係性を調べてみる価値があります。ここでは目星をつけて次のより詳細な調査へ進みます。
目星をつけたら
上の過程で何か共通点が見つかって可能性が見つかりましたらもう少し詳細に迫ってみましょう。
家系図の確認
家系図に登場する中で古い先祖の名前を確認しましょう。日本の歴史において、武士階級が存在したのは平安時代末期から江戸時代の終わりまでの約700年間にわたります。具体的には、鎌倉時代(1185年-1333年)、室町時代(1336年-1573年)、戦国時代(1467年-1573年)、そして江戸時代(1603年-1868年)にかけてでした。そのため江戸時代までにいらっしゃったであろう先祖の情報が確認対象となります。武家の家系図の調査
武士としての祖先を持っている場合、武家の家系図にその名前が載っている可能性があります。武家の家系図は、図書館や公的な資料館などにある場合があります。また、インターネットでも検索することができます。武家の史料の調査
武家の家系図に載っている祖先の名前を特定したら、その祖先に関する武家の史料を調査することができます。武家の史料には、戦いの記録や家訓、家紋などが含まれます。以上のような手順を踏んで調査することで、武士としての祖先を持っているかどうかを知ることができます。
該当情報が見つからなかった。。
ただし武家の家系図で見つけられる方は全体としてはわずかのため見つからなかったとはいえ肩を落とす必要はありません。完全に特定できるケースの方が珍しいのです。
可能性の精度を高めていく方法の一つとして文献調査がございます。先祖の名前と本籍地の情報はヒントを探す上での貴重な情報になるため、これら情報をもとに調べていきます。
代表的なものとしてはその地域の地方史や郷土史です。郷土史は国立国会図書館デジタルコレクションでも確認できる場合があります。直接的に武家であるという記載は少ないですが記載項目の文脈からそのように推測できる場合がございます。
郷土史より専門性が高い方法としては分限帳があります。分限帳は、主に中世日本の荘園制度において使用されていた文書であり、荘園領主や地方領主が荘園内や所領内の農民や百姓層を管理するために用いられました。武士は荘園や所領の管理者として働くことがあったため、武士と分限帳には一定の関係性がありました。そこに名前が残っている場合があるのです。分限帳もインターネットや地域資料で確認するという方法です。
まとめ
武士であったかどうかは家系図と文献の点と点を結ぶことによって調べる事ができます。完全な特定は難しい場合でも日本の歴史においては、戦国時代や江戸時代には、武士以外の人々も武士に仕えることができたため、武士としての家系には繋がらなくても、武士との縁がある家族がいる場合もあります。
自分でできる範囲でも可能性を探すことはできますのでぜひ興味がありましたらチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
このブログでは家系図の作り方もご紹介しておりますのでよろしければご覧ください。
ありがとうございました。