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北鎌倉山崎、北大路魯山人の星岡窯跡を歩く

茨城県笠間市に芸術家・北大路魯山人の住居を移築した「春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)」があります。

春風萬里荘(観光いばらき公式HPより)

春風萬里荘は笠間日動美術館の分館となっており、昭和40年(1965)に北鎌倉から移築されました。

この入母屋造りの茅葺き民家は江戸時代中期のもので、もともとは神奈川県高座郡御所見村(現在の厚木市近郊)の豪農・伊東家の母屋でした。

昭和の初め、北大路魯山人がその母屋を北鎌倉山崎に開いた星岡窯(せいこうよう)の母屋として移築し、自らの住居としました。

昭和40年(1965)、この母屋は北鎌倉から笠間に移築され、「春風萬里荘」と名付けられました。

魯山人は明治16年(1883)に京都で誕生。幼少期から書道に優れ、若くして書家として身を立て、その後は篆刻、陶芸、美食など多方面でマルチな才能を発揮しました。

昭和34年(1959)、76歳で亡くなるまで北鎌倉に住みつづけ、没後60年以上が経った今でも世界的にその名が知れ渡り、高い評価を受けています。

北大路魯山人

さて、北鎌倉山崎にあった星岡窯は現在どうなっているのか? 星岡窯跡を散策してきました。

北鎌倉駅から山崎方面に徒歩約20分。ゆるやかな切通しの坂道を登っていきます。

登ってきた坂道を振り返った風景
坂を上り切ったところに山崎小学校があります。

魯山人は星岡窯へと通じるこの切通しを「臥龍峡」と呼びました。当時は道の両側が切り立った崖になっていました。
山崎小学校のフェンスに沿って歩き、裏手にぐるりと回り込んでいきます。

山崎小学校の校庭
山崎小学校の裏手

小学校裏手の奥まったところに「山崎・台峯緑地」の案内が見えてきます。かつて、ここには木造の茅葺き門がありましたが、現在は鎌倉市が管理する緑地の入口となっています。

山崎・台峯緑地の入口

山崎・台峯緑地に入口を通るとすぐに広い邸宅跡が現れます。この辺りが母屋「春風萬里荘」やゲストハウスとして使用されていた「慶雲閣」があった場所だと思われます。残念ながら、慶雲閣は平成10年(1998年)の火災により焼失しました。

施設跡に残る石階段
雑木林に囲まれた静寂な空間
星岡窯の沿革を伝える案内板

施設跡にはさまざまな生活の痕跡が残っています。

丸い庭石
井戸の蓋?
石階段
建物の礎石?

敷地内を散策するとあちこちに陶片が散らばっています。魯山人が活動していた頃の雰囲気を感じることができます。

地面に散乱している陶片

施設の奥に進んでいくとフェンスに囲まれたお堂のような建物が。ここは長年「調査中」となっており、一般公開されていません。見たところ、魯山人の時代の建物ではなく、その後の所有者による施設だと推測されます。

お堂の前に置かれた古い石灯篭
お堂の左奥には茶室のような施設も
お堂の前に置かれた大きな手水鉢
魯山人もここで手を洗っていたのでしょうか?

お堂を通り過ぎて階段を上っていくと真新しい管理棟が。ここは10年ほど前まで登り窯跡がありましたが、現在は整地されて窯跡の痕跡はすっかりなくなりました。

トイレも完備されています
管理棟前の案内板

管理棟からさらに奥に進むと清水谷戸が広がっています。ここは山崎小学校の私有地となっており、生徒たちが田植えの実習をしたりします。

谷戸の奥は行き止まりになっています
清水谷戸全景
昔はこの谷戸も星岡窯の敷地の一部でした
山さきおだやか谷戸ハイキングコース

そろそろ、星岡窯跡の散策も終わりに近づいてきました。ここは魯山人が北鎌倉に残した壮大な夢の跡です。

谷戸から小学校方面に通じる歩道
小学校の裏手から見た施設跡

ここ山崎・台峯緑地は、週末でも訪れる人がほとんどいない場所ですが、静寂に包まれた空間がとても落ち着く穴場スポットです!!
北鎌倉を訪れた際は、是非、足を運んでみてはいかがでしょうか?

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