見出し画像

知らずしらず子供を垣根の中で育てている家はありませんか。ーー「四通八達の家」より

 整理収納アドバイザーの井田典子さんは、著書『「ガラクタのない家」幸せをつくる整理術』(婦人之友社刊)の中で、羽仁もと子著作集について「不思議なことに90年のときを経た今もなお輝きを放つ力強い文章は、読むたびに新しい発見があり圧倒される思いです。あふれる情報の洪水の中で、軸を見失いそうになったときでも、立ち返ることのできる生活のバイブルとして、すべての家庭人に読んでもらいたい本です。」と書かれています。特に影響の受けた著作集の言葉を7つ紹介し、そのひとつが今回紹介する「四通八達の家」です。

四通八達しつうはったつの家

 暑さの真最中は、どんなに隔ての垣の中に閉じこもることが好きな人でも、開けひろげた所に棲みたいと思うでしょう。私たちのこの南沢の家を、ある時は野の花の家、ある時は木綿の浴衣ゆかたの家といいました。そしてこの間からまた私はこの家を、四通八達しつうはったつの家と自分の気持ちの中でんでいます。
 垣根はもちろんありません。道のつきあたりは入り口です。上がった所は廊下を兼ねた小さい板敷で、すぐと左に応接間、右は折れ曲がった短い梯子段で、上がればありたけの三つの部屋が、それぞれ東西南北にある窓を通して、外の空気につづいています。松の木、杉の木、竹、紅葉、その中にかかっている開け放した鳥籠とりかごのようなものです。こずえを伝わって風は思いのままに吹き去り吹き来たり、さまざまの人は、あちこちの窓から顔を出して、いろいろの便りを置いて行きます。二階にいれば、こちらが窓から首を出して話します。小鳥が空で歌い戯れている間に、茄子やおさつが、畠でのんびりと大きくなっています。

 この四通八達の家の中にんでいる私たち二人(註・羽仁もと子と、夫の羽仁吉一)も、互いに思いたいことを思い、したいことをしています。そして大概どんなことを考えているか、何をしているか分かっています。変わったことを思いつくと、きっと互いに話し相手にします。たびたび真理を発見するのが(そう称するのが)私で、いろいろとそれを論難するのが夫です。別に互いに心にもとめない間にそうしてこの家のイデオロギーがつくられて来たのだということを、過去をふり返ってそう思います。
 勿体もったいぶるほどのことも、かくすほどのことも、気取るほどのことも何もない私たちは、二人の間だけでなく、いいたいことは、聞いて下さるかぎりの方に、筆や言葉でいうことを惜しみません。それだけ喜んで他人ひとのいうこともよくききます。心の中にも身のまわりにも、あるものは皆出してしまって、毎晩硝子ガラス戸から星や月を眺めて寝る時には、残っているものは働いたあとの疲ればかりです。朝になるとその疲れもなくなって、また全く自由な気持ちになります。

 夫婦の中でも、機嫌をとるのとられるのというのは、すでに垣根があるのです。目前の自分が可愛くて、相手の本当のことはどうでもよいのです。その心で夫を子供を愛していれば、それは愛しているのではなくて、ただ甘くしているのです。甘い心で人を見るのは、人を軽んずるのです。自分の存在を軽んじている故に、人の存在も軽くしか分からないのです。知らず知らず軽い存在に、人を自分を考えていれば、ひとりでにそこに出て来る心持ちは恐れです。それ病気にならないか、他人ひとに劣らないか、損な立場になりはしないかと。恐れと用心は、すなわちまた人と人との垣根です。
 家のまわりの垣根は、その中で気の置けない夫婦親子のみで自分たちの思う通りに暮らしたいから造るのです。その臆病おくびょうさは不思議に大いなる高慢と通じています。自分の家と他人の家と、自分の心と他人の心とを隔てる心は、同時に自分のほうが他人ひとに劣っていては負けていては、たまらなく苦しい心です。そのためにその人は、自分のすぐれた所は、いうまでもなく誇りたかぶり、劣っている所も欲目やこじつけでよいと思おうとするのです。同時に当然その人びとは、他人に冷笑や皮肉な批評をする人になるのです。臆病おくびょうな人ほど高慢なものはありません。高慢な人ほど世の中に不愉快な存在、罪深い存在はないのです。
 私はもちろんこういう心の問題をさえ取り扱っていれば、人の世の中がよくなるとは思いません。ただ私はすべての社会改造の動機を、この心の上に置きたいというのです。

 知らずしらず子供を垣根の中で育てている家はありませんか。あればそれは行き詰まりの人間を造りつつあるのです。垣根の中の家は楽しい家ではなくて、八方塞はっぽうふさがりの家だと知らなくてはなりません。よいことが自分にあれば、それを自分ばかりの宝にしないで、人に分けなくてはなりません。それを分けるために、私たちは愛と謙遜を常に自分に持っていなくてはなりません。人からよいものを分けてもらう謙遜さは、さらにそれよりも、臆病おくびょうゆえに勝気な私たちには面倒なことです。
 社会改造の正しいイデオロギーも戦術も、ただ愛と謙遜の通路によって、自分から外へ出て行くもの、またその同じ通路によって、多くのよいものが、他人から自分に恵まれて来るものです。

 開けひろげた夏の家で、重くるしいへだての家や人のことを思いやりつつ、私たち自身もまた、もっと自由にもっと謙遜にしていただきたいと願いつつ、この手紙を書きました。 (昭和六年八月)

羽仁もと子著作集 第16巻『みどりごの心』より抜粋

 家計の話で考えれば、人によく見られたいという見栄からお金を使ってしまうことがあります。四通八達の家に書かれているような「全くの自由な気持ち」でいられれば、人と比べることなく、本当にしたいことにお金を使えるようになれるのではないでしょうか。
 今年の猛暑では窓を開け広げて外の風を室内に取り入れるのは難しいですが、目に見えない「垣根」を取り払い、風通しをよくすることについて考えてみませんか?

クリックして婦人之友社のサイトへ

 井田典子さんが特に影響の受けた著作集の言葉として挙げている文章をこちらでも読めます。


いいなと思ったら応援しよう!