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「仕事の仕方には、人によってよほど上手下手があります」仕事、休息、人の一生
皆さんは、仕事と休息のバランス、どのようにしていますか? 羽仁もと子が見出した「仕事」の仕方は、「少なめに仕事の分量をきめて、毎日ぽつぽつと!」行うことです。
仕事、休息、人の一生
仕事の仕方には、人によってよほど上手下手があります。私もあまり上手なほうではありません。むしろ下手なほうかもしれません。それでもいろいろ考えているうちに、このごろ発見したことは、一つの仕事を完全に片付けてから次の仕事に取りかかろうとするやり方は、誰にでもちょっとよいように思われることで、実はよくない仕事の仕方である場合が多いということです。
たとえば夏休みになったから、まずいろいろなものの整理に没頭して、それが済んだところで予定の生活や勉強に取りかかろうとするようなことです。その整理の日が二、三日または四、五日続くとします。その中には洗濯をしようと思った日に、あいにく天気が悪かったり、思いがけない用事が出来たりしやすいもので、つい日がのびてゆくと、きょうも予定がはずれた、はずれたと、くしゃくしゃした気持になります。
それと反対に、夏休みがはじまった日から、私たちが約束した朝の二時間勉強をする、昼晩のお手伝いはどうすると、すぐと予定の生活にとりかかり、その間の時間で、まずきょうは箪笥一つの整理、あす天気なら洗濯、雨ならほどきものと、それも一時に沢山でなく、むしろ少なめに仕事の分量をきめて、毎日ぽつぽつとして行って、一週間なり十日なりに整理をしてしまうというようにするほうが、かえって実行されやすいと思います。いろいろの差しつかえや障害のために、何かを犠牲にしなくてはならない時には、毎日に少しずつ割りあててある整理を翌日にまわします。しかもその一日分の整理の分量は少ないのですから、あくる日、二日分することも出来やすく、そして一方では、妨げの少ない朝の時間の予定は毎日ちゃんと出来ているという風になって、随分気持がよいようです。
もちろん私たちは時々どうしてもある一つのことにばかり没頭しなくてはならない仕事を与えられることがあります。また私たちは病気になったりする時もそれです。そうして平らな日の生活が、以上のように健全であり偏りの少ないものであれば、その間にしておいた実力や養って置いた健康力のために、特に与えられるある時の重い仕事をも、気を張って一途にし終せることが出来るように思われます。
仕事ばかりでなく休みもそうです。一日のうちにも適当な休みの時をつくり、一週のうちでも日曜は休みます。そうして一年の間にたまにある幾日つづきかの休みは、また特に与えられるうれしい日です。
人の一生の仕事もまた休みも同じことでしょう。学校にいる時は勉強ばかりして、卒業したら家の中のことばかりするというものでなく、子供の時は遊んで、若い時は働いて、年をとったら楽をするというものでもありません。それぞれの年齢境遇また日によって与えられる仕事に特色はあっても、われわれの平日の仕事も休みも、出来るだけ円満に取り合わせられたものであるのが真理でしょう。
(1931年8月)
バカンスを楽しむ文化のある欧米と比べ、日本人は「休み下手」と言われ、有給消化率は約50%です。戦後の高度成長を支えた企業戦士は「猛烈サラリーマン」と呼ばれ、バブル期にはテレビCMでのキャッチフレーズ『24時間、戦えますか』が流行語にもなりました。
バブル経済の崩壊後、「ワーク・ライフ・バランス」が課題として挙がるようになりました。長年、ワーク・ライフ・バランスの研究に取り組んでこられた大沢真知子氏(日本女子大学名誉教授)は、 ワーク・ライフ・バランスとは 「仕事も生活もともに充実させる働き方や生き方を意味する。 その双方があって, 人生ははじめて充実する」と述べています。仕事と休息のバランスが、やっと語られるようになったと言ってもいいのでしょうか。
「部屋を片づけたい」「引き出しの整理をしたい」と思っているのに、やることリストがたまっていく一方で、はかどらないと感じていませんか? 羽仁もと子が言うように、「少なめに仕事の分量をきめて、毎日ぽつぽつとして行って、一週間なり十日なりに整理をしてしまう」方法をとりいれてみましょう。