「.I AM」に込めた想い
つい先日、新サービス「.I AM」をリリースしました。
サービス内容はいたってシンプルで、アナタを本当に表現する場所・場面・モノと一緒に、ステキな写真を撮りますよ、というもの。
SNSのプロフィール写真に使って頂いてもよし、宣材写真に使って頂いてもよし、その写真を使って名刺を作らせて頂く、なんてオプショナルも提供しています。
人によっては自然の中かもしれないし、お気に入りのカフェかもしれないし、路上ライブしているところかもしれない。
簡単すぎるサービスモデルだけど、コンセプトにはかなり想いを込めました。
コンセプトに想いを込めるということ
俺の好きな言葉に「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」というものがあります。by 二宮尊徳。
個人的には、「想いのないビジネスはやるべきではなく、ビジネスにできない程度の想いなんて叶わないよ」と落とし込んでる。ここでいう「ビジネス」は単純に金稼ぎってよりも、もっと広義のものだけど。
要するに「人や社会の為になることを、しっかりと経済の伴うカタチで実現すること」なんだと思うんです。
その為に絶対に必要なのが、想いのこもったコンセプト。
何のために、誰のために、そのサービスをつくるのか。そんな想いを込めるのが、コンセプトだと理解しています。
人様からお金を頂いて写真を撮る以上、そこにしっかりと想いを込めて、そのコンセプトを伝えて、新しい価値を生み出したい。
俺のビジネスに対する根本的な部分だけど、だからこそ、今回の「.I AM」にはしっかりと想いを込めました。
日本人の自己表現を、もっと自由にする。
たぶんこれは歴史的にみても、早い段階からムラなどでの集団生活を発展させてきた日本人の民族性にも起因するんだと思うんだけど(どの民族も一緒か?)、日本の社会では、まだまだ「個性」よりも「同調」が正とされている(と俺は思う。肌感として)。
もちろんこれは「調和」を大事にする日本人のステキなところでもあるし、常に他人の中にある自分をみる、日本人特有のバランス感覚は海外に行っても誇らしく感じます。
しかし、少しづつではあるけど、確実に日本の社会も変わってきている。国は年金をはじめとする社会保障を保証できなくなり、企業は長年培ってきた日本的な終身雇用を保証しなくなった。
もはや、「属している」ことで安定感を得て、「同調する」ことで安心感を得ることができない社会になろうとしている。
そんな中で、今まで通りの「同調をベースにした自己表現」だけでいいのか。
きっとそうじゃなくて、もっと「本当の自分」を表現する、本当の意味での自己表現が必要とされていくんだと思います。
かくいう自分も、25歳を迎えた今でこそ、俺は俺のゴーイングマイウェイ精神を貫こうとしてる(たぶんまだできてない)けど、ちょっと前まではぶっちゃけ「同調」を一番にしていた気もします。
だって人と違うことするのって恥ずかしいし、ミスったとき怖いし、理解してもらうのめんどくさいし。ハードル高いんです。特に高校生、大学生くらいまでって。
趣味を持っていても特殊なものだとそれをおおっぴらにするの恥ずかしいし、IBOでやってることとか会社の人に知られるの気まずいような感じもあるし。
でも本当は、そういう自分の側面こそ、本当に知って欲しい、見て欲しい自分だったりするんじゃないのかなーって。
だからこの.I AMで、写真にするってことで、そのハードルを下げたい。
こんなことしてるよ、こんなことできるよ、こんなこと頑張ってるよ、っていう想いを、何枚かの写真にすることで簡単に発信して、伝えることができるようにして、自己表現のハードルを下げてあげたい。
そんな想いから、この.I AMをつくりました。
結局はこのサービスも俺のひとつの自己表現で、こんな想いを持ってるよって、サービスを通して伝えたいからなんだと思う。
日本人の自己表現を、もっと自由にする。
そんな事業ビジョンをもって、たくさんの人の「I AM = わたしは」の先を、表現していきたいと思っています。
※リリースしたばかりなので、心優しい「いいね!」をどうぞよろしくお願いいたします。
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