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「脳の省エネ化」に抗う。

こんな状況だと読書がはかどります。

というより、こんな状況になって改めて、曲がりなりにも読書を生活の一部にしてきてよかったなと思っています。おうち時間を有意義に過ごすのに持って来いの娯楽であり、人生を豊かにする最良のコンテンツの一つだと思ってます、マジで。

ということで今まで忙しさのせいにして読んでこれなかったいろんな本を読もうと意気込んでいるわけです。

今読んでるのはこの2つ。

『勉強の哲学』は、2週間前くらいに本屋でパッと目について買ったもの。『ブラックマーケティング』はKindle unlimitedサーフィンしていたときに見つけたもの。

ここでこの2つを取り上げたのは、どちらの本にも共通して読者に投げかけている問題提起があると思ったからで。

それはタイトルにも書いた「脳の省エネ化」っていうキーワードです。

この言葉じたいは『ブラックマーケティング』の中で述べられてるんですが、いわく、

私たちの脳は基本的に”怠け者”で、スキあらばサボろうとします。また、自分で決めずに誰かが決めてくれるのであれば、じっくり吟味することをその誰かにゆだねてその選択を受け入れようとします。ブームになっていることなら、「多くの人が選んでいる結果」ですから、それを「正しい判断」と認識して相乗りするということです。

ということ。これを「脳の省エネ」と呼んでいる。私たちの脳は構造的に、あまり考えたくないし誰かに判断をゆだねようとするのが当たり前であるらしい。

いっぽうで『勉強の哲学』の中でも、社会学的アプローチから「集団や社会潮流に思考の仕方や生き方を合わせてしまうこと」を「コード化」と定義しています。これもおそらくは、私たちの脳(も含めた人間主体)がごく自然に選んでしまうものなのだと思います。

そして、『勉強の哲学』の中では、勉強して脱コード化すること、集団の思考パターンから外れて「キモくなる」ことを推奨しています。一度脳や社会が求める同調圧力から外れて、物事の本質や自分自身のこだわりを見つめなおすこと。それが勉強である、と。

これすごいわかるんですよね。とくに年齢を重ねれば重ねるほど、純粋な好奇心や向学心みたいなものの割合が減ってきて、(おそらく本来の)「なまけようとする脳」がむき出しになってきてしまうし、今みたいな状況だと特に

「まあ、とりあえず生きていればいいよね!」

みたいな考えが優勢になってくる。

なんというか、その感覚を否定するわけではなくて。

というか幸福の最たる形は「生きていればいい」という感覚を持てることだと思うのでむしろ良いことかも?と思うのですが、やはりそれは社会からある程度距離を置いた状況だからこそ言えるわけで。

いま、そういう「脳の省エネ化」にあらがうことなく惰性的に暮らすことに自分自身は恐怖を覚えます。

それは、短絡的にマスク買い占め運動に走る大衆心理だったり、ライブハウス業界を盲目的に攻め立てる風潮であったり、KYな国のトップ陣であったり、怠惰をむさぼる自分自身であったり、さまざまな形で顕現している。

ここで、脳の省エネ化や、集団のコード化に抗うことなく流れに身を任していたらどうなるか?それは日本、世界が共倒れていく未来でしかないと思います。

そんなことを、2つの本を読んでいて思った次第でございます。

まあこんな大仰な議論をする以前に、自分自身への戒めとして書いているのでまずは自分自身がちゃんと勉強せなアカン、という話なんですが。

「キモーーい」と言われようが、自分なりに考えて考えて考え抜いて、考え抜いた結果気づいたら認められてた、みたいな生き方。

目指すのはそんな生き方じゃい!

それでは。

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松田たかし
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