あとがき:火星より
注)この記事は以前に書いた『火星より』の補足説明になります。もし、偶然にもこの記事から先に見つけた方は以前の記事『火星より』に目を通していただいてから読んでいただけると幸いです。
小説には時々あとがきがあります。僕はあまりこのあとがきが好きではなく、読むまでにちょっと間をあけたりしてから読みます。あとがきでは執筆の裏側や、物語の意図、真実などが書かれることが多いですが、どうもこれが読み手の空白をつぶしてしまうように思えるのです。(このことについては、気が向いたら別に書こうと思います。)
しかし、それでも、『火星より』のあとがきが書きたくなってしまいました。嫌いなものなのになぜ書こうと思ったのか、実はそれ自体が書きたいことだったのです。
自分がNOTEを書き始めてから、少し経ちました。人気はないけれどやっぱりやってみてよかったと思っているところです。
自分の動機は最初の投稿で書いた通りなので割愛しますが、取り組んでいく中で疑問に感じたことがありました。「今自分が書くことへのエネルギーはどこからきているのか」ということです。
自分が「じゃあ、書くか」となるのは、何か自分の気持ちを書き記したい、伝えたいからなのか、あるいはこうして「noteに書く」ということ自体に快感を覚えているのか、それとも、もっと抽象的に「新しいことを始めている自分」が好きなだけなのか。気になりました。
それを明らかにするために書いたのが『火星より』でした。よく自分が使う書き方ではあるものの、その内容はおよそ使われたことのない日本語、あるいは一般的に使われることが少ない日本語で書いており、中身という中身がない、非常に空虚な文を書きました。
これは、読んでいただいている皆さんに伝えたいことがあるのではなく、自分がこれを書き終えて投稿したときに満足感を得たかということを確かめたかったのです。もしこれで満足したのならば、自分は投稿数を増やすことを楽しんでいる可能性がありますからね。
結果として、そうではありませんでした。投稿した後何とも言えない気持ちになり、決していつもと同じ感覚にはなれませんでした。
となると、やはり自分のエネルギーは「何かを伝えたい」ということからきているのでしょうか。その対象が見知らぬ人たちなのか、あるいはいつか見返すであろう自分なのかはわかりませんが。
そして、こうしてあとがきを書いてしまっている以上おそらく何かを伝えたいから書いているということなのでしょう。だって、もし自分が何にも知らずこの記事をよんだら「野暮なことはするな」と思ってしまいますから。もしかしたら作家の皆さんもこういう気持ちが抑えられないのかなあとちょっとだけあとがきにやさしくなりました。
ちなみに「新しいことを始めている自分が好き」という可能性はもうちょっと続けてみないとわからない気がします。まあ、焦らずやっていきます。