僕は『戦場のメリークリスマス』を見たことがない
僕は『戦場のメリークリスマス』を見たことがない。
でも最後のセリフは知っている。「メリークリスマス!メリークリスマス!ミスターローレンス」。
そして、あの曲も何回も聞いた。何回も。何回も。
僕にとってあの曲はクリスマスの曲ではない。でも聞いているとたまらない気持ちになる。俯瞰しているけど、内面を見ているような。全体的で、個人的なように。
・・・青年は駅についた。ふと前の人を見る。身長の高いやせ型。まさしく自分の好みであった。
ふとポケットから何かが落ちたのが見えた。どうやら定期入れらしい。慌ててそれを拾い、前の人に声をかける。
「すみません、落としましたよ」
「ああ!ありがとうございます」
顔を見た。美形。こんなに完成した人ならさぞかしモテるのであろう。
「これがないと困るんですよ・・・本当にありがとうございます。」
「いえいえ、よかったです。」
前の人は足早に去っていった。これが生涯最後の会話だろう。青年はあきらめとともに電車に乗り込んだ・・・
僕にとってあの曲はノスタルジーを想起させるものだ。ノスタルジーが過去の経験に由来するならば、あの曲は僕に何を思い出させているのだろう。いつかの喜び?いつかの夢?いつかのあきらめ?
あるいは、そういう決まったものではないのかもしれない。思い出のかけらたちが全く別々のところから集まってきて、それが一つの物体になる。全部がうまくはまるわけじゃないから、とてもいびつな形になる。そうしてできた抽象的な何かを表現するときに、人間はノスタルジーという言葉を選ぶのではないだろうか。
・・・3限の講義が終わり青年は帰路に就こうとしていた。しかし、ふと今週の課題の多さを思い出し、カフェで少し課題に取り組むことにした。
カフェラテを片手に席に着く。この季節にのむカフェラテは体に染みる。
ふと周りを見るとそこに紺色のコート、あの人がいた。しばらく見ていると目が合った。こちらに近づいてくる。
「あの・・・先ほどの・・・」
「ああ、そうです!偶然ですね」
「本当に。このカフェにいるということはもしかして○○大学の・・・」
「そうですそうです」
「えっ!僕もそうなんですよ!何年生ですか?」
「2年生です。何年生なんですか・・・えっと・・・」
「佐々木って言います。僕も二年生です。」
「えっ!同い年じゃん!学部は?」
「経済学部です」
「ああーおれは商学部。で・・・」
僕たちは会話を続けた。課題はまるで進まなかったが、そんなことはどうでもよかった。あの人・・・佐々木と友達になれたということがとてもうれしかった・・・
人間喜びよりも悲しみの方がよく覚えている。ノスタルジーが少し切ない気持ちにさせるのは、そこに必ず悲しみの記憶があるからだ。あるいは今この瞬間の悲しみを掘り起こすからなのか。
あの曲は後半に盛り上がりを見せる。僕はあそこがたまらなく好きでたまらなくつらい。たまに再生を止めたくなる。何か、いけないものが思い出される気がして。それでも結局は全て聞いてしまう。そのいけないものすら僕は欲しくなる。
映画の内容はわからないけど、これは別れの曲なんだろうか。あるいは穏やかな恋愛の曲だろうか。二人だけがそれを共有し、周りがそれを祝福する。そう思えるのは、おそらく僕がそのどちらにもノスタルジーを感じることが出来るからであろう。
・・・青年と佐々木は遊びに出かける仲となっていた。いろいろなところに出かけるが、たまに佐々木の家にも行ったりする。
「今日は僕んちでテレビ観ようか」
青年たちはそんな理由で集まれるほどの仲になっていた。
特に断る理由もないので、了承した。
佐々木の家に着く。何を見るのか聞いたところ
「僕がすごく好きなコント番組があるんだよ。録画してて。」
といった。佐々木がお笑い好きだということは知らなかった。しかし、その中でもコントが好きだというのはスタイリッシュな佐々木らしいとも、青年は納得した。
コントが始まった。映画のパロディらしい。なんか見たことあるなあ。あ、このセリフなんか聞いたことある・・・
すでにあの曲を5周ぐらいしている。こうすると最初とは少し違った発見がある。例えばバイオリンの後ろで静かにひかれているピアノの美しさとか。もっとも僕は音楽に精通しているわけでもないのでこれ以上詳しいことは言えない。
でも、あるいは、このピアノがあの曲の本音なのではないだろうかとも思う。バイオリンは素晴らしくきれいで、その盛り上がりも素晴らしいモノだが、それ同時に小さくなっているピアノが実は最も本性を表しているのではないだろうか。
後半になりピアノは激しくなる。そして再び穏やかに収束していく。たぶん、そういうものなんだろう。
・・・コントを見終わった。青年は普段特にお笑いを見るわけでもないが、久々に見たコントはとても面白かった。
一通り感想を佐々木に伝えた。佐々木は黙ってうなずいている。心ここにあらずという感じだ。間が気持ち悪くなって別の話題を持ちかける。
「そういや来週はハロウィンだな!なんか仮装とかする?そうだ、せっかくだし二人で仮装して渋谷とか乗り込もうぜ」
佐々木は黙っている。しばらく沈黙が続いたのち、佐々木が口を開いた。
「実は君に黙っていたことがある」
青年は少し驚いた。が、反論できるような空気でもないので黙っている。
「僕と君が出会った日あったでしょ?」
「ああ、俺が定期をひろった」
「実はあれよりも前から僕は君のことを知っていた」
「・・・!」
「他学部でもとれる授業で商学部の教室に行ったとき、君を見つけた」
「・・・」
「・・・僕は君のことをよく覚えていた。そしてあの日、振り返ったらたまたま君が僕の定期を拾ってくれていた。」
「そんな・・・」
「僕はとにかく今動くしかないと思った。お礼をした後、ホームに行くふりをして後ろの群衆に紛れて君を追った。」
「それでも僕は途中で君を見失った。仕方なくあのカフェで課題をやっていたら、たまたま君がいた。しかもこちらを見ている・・・本当に奇跡だと思った。」
「・・・」
「僕は意を決して声をかけたということ」
「・・・でも、なんで俺のことを覚えて・・・」
「・・・つまり、僕にとって君は・・・ごめん、気持ちの悪い話をした。今日はもうお開きにしよう。テレビも見終わったしさ・・・」
佐々木が青年の荷物を取るためと立ち上がろうとした。青年は佐々木の腕をつかんだ・・・
あの曲はあまり町中で流れているのを聞いたことがない。それは、たぶん聖夜の暖かさを引き立てる曲ではないからだろう。僕だってクリスマスにこの曲は思い出さない。おそらく世の中の人もそうではないだろうか。
けれども、この曲をきくと、僕はノスタルジックな世界と共にひとつのクリスマスを思い出す。
それはたぶん、僕がこの曲に圧倒されており、そして、あの言葉に引き付けられているからだろう。
・・・青年は白い息を吐きながら駅前で待つ。定期を拾ったあの駅で。
佐々木が走ってやってくる。
「ごめん、遅れた」
「いや、大丈夫」
「それじゃあ行こうか」
「うん」
「今日のために○○っていうレストラン予約してたんだ」
「えっ!○○!? あそこってものすごく人気のレストランだろ?こんな日によくとれたな・・・」
「うん、たまたまね」
「あそこのオムライスうまいらしいぞ・・・」
「そうだね笑 楽しみだ」
「何笑ってんだよ・・・」
「いや、なんでもない。行こうか。」
佐々木がそういうと青年たちは二人歩きだした。今日は誰もが浮かれてるから、きっと二人の手元を見たりしない。
「いやーおいしかった!オムライス最高だったな!」
「うん、本当においしかった。またこんど来ようね」
「絶対に来よう。・・・ところで・・・まだ帰るにはちょっと早いかな〜って思うんだけど・・・どうかなあ・・・?」
「じゃあ・・・僕んちくる?」
「よっしゃ!行くか!」
腹を満たした二人は佐々木の家へと向かった。
その道中、青年はふといつしかみたコントを思い出した。静かな住宅街、青年は少し小走りをして佐々木の前に出る。すうと息を吸うと、少しはにかみながら叫んだ
「メリークリスマス!メリークリスマス!・・・