それはなんて青春

「つまり、ここで横ベクトルの運動エネルギーと縦ベクトルの運動エネルギーが合わさってななめに運動エネルギーが加わるのです」

 カーテンがたなびいて机を覆う14時。僕の勉強もまたやわらかな日差しとそれに伴う睡魔に邪魔されていた。
 先生が一つ咳ばらいをした後、授業を続ける。
「ここはセンター試験ではほぼ毎年出てる基本的なことだから抑えておくように」
 センター試験(今はなくなったものの、当時はそう呼ばれていた。)はあと7か月に迫っている。それはつまり、高校生活最大の山場が迫っていることを意味する。
 それと同時に、僕の現実的な高校生活の終わりが迫っているということだ。僕の淡い色をした、誰にでもある青春が。

 そうした高校生活の中では、当然色恋も多少はあるわけである。もっとも、この青春を絵にかいたような情動を「色恋」なんて言い方しかできない時点で、どの程度のものだったか想像がつく。僕はその中で、自己完結した情動。ありていに言えば片思いをしていたわけである。

 眠気覚ましのために手の甲を強めにつまみながら頭は上下に揺れている。時々夢かどうかもわからない幻が入り込んでくる。そこには奇想天外な映像、すべてがうまくいった「色恋」が見える。

 僕らの世代は草食系なんていわれることもある。それが草食動物という意味ならば、僕は肉食系に近いだろう。草食動物を食らおうとする肉食獣なわけである。もっとも、その性格は極めて草食動物に近いわけだからたちが悪い。ゆっくり肉食と気が付かれないように迫っていく。しかし、そこでも僕は動かない。ひとたび肉食とばれれば、草食獣から一斉攻撃を受けて、居場所を失う。

 眠気が強まる中、先生の声がとぎれとぎれに聞こえる。
「じゃあ今日は・・・まで進んだから・・・をやります」
 どうやら終わったらしい。あくびを漏らしながら席を立つ。物理基礎の授業はいつも他クラスの教室で行われる。僕が入眠するのを必死で我慢する理由もここにある。少しよだれでも垂らしてしまえば、机の持ち主に迷惑をかける。今日もどうにかこの時間を乗り切った。

 教室を出ようとしたとき、他のクラスから出てくる人影に気が付いた。あの人である。ここ最近の季節外れの暑さから上着を脱いでいたあの人の背中からは、少しのくびれと日焼けした首が見える。いつも一緒にいる友達とでてきたあの人はそのグループの一番はじで笑っていた。

 このまま、すべてを告げようか。あの人を道連れにして青春を破壊してしまおうか。何もできない虚しさと恋に対する一般的な思慕との中に時々そうした破壊的で自暴自棄な精神が共存していた。そして、それと同時に、案外うまくいくのではないだろうか、青春は終わらないのではないだろうかというかすかな期待もあった。

 あの人が教室に戻る。僕と同じクラスの教室。僕たちの教室の窓からはプールが見えた。どこかのクラスがプールから上がり校舎に戻ってきている。昼ごはんのあと授業がプールというのは少しかわいそうな気もする。

 次の授業の準備をしているとあの人が声をかけてくる。

「今日って資料集必要だっけ?」

「いや、今日はいらないと思うよ」

 それだけ答えると「ありがと」といってあの人は自分のロッカーへと向かった。踵を返すときに足首が少しだけ見えた。

 政治・経済の準備をしながら友人と談笑する。他のクラスから回ってきた情報によると、今日は実際のセンター試験の問題の一部を解いてみるらしい。別に今更そんな情報にあたふたはしないが、少しだけ頭に高校生活の終わりのことが浮かんだ。

 卒業したらどうなるのだろう。たぶん大学へ行くんだろう。大学に行ったらどうなるのだろう。やはり青春を謳歌したい。講義を受けて、サークルに入って・・・それで・・・でも、これじゃああまり高校生活と変わらない。大学生らしいこととは何だろうか・・・学生運動?さすがに古いか。それに闘争というのは目的のあってやることだ。

 それなら・・・闘争をしよう。自分の気持ちと。誰にでもある青春と。そしてきっと・・・京都の竹林の小径を二人で歩こう。今までの青春を忘れて、新しい青春に泳いでいこう。そして天国のような時間を過ごそう。

・・・それってどうやるんだろう。Aはどう発音するのだろう。それを知らなすぎる。高校生活ですべきことをしていない。受験をして卒業証書を受け取るかもしれないけど、その実精神は中学生から何も変わっていない。なにも知らない。

あの人が再び声をかけてくる。

「今日あいつらとカラオケ行こうぜ」

「いいよ」

そう、あまりにも若すぎるのである。