なんでNOTEを書くのか(第二版)

(2021年12月5日)

今までの『なんでNOTEをかくのか』


最近いろいろと忙しくなってきました。その影響はNOTEにも表れてきました。書く頻度はかなり減ってきています。まあ、幸か不幸か読者が少ないので自分勝手になっています。

 こうした環境の変化の中で、改めてNOTEを書く理由を考えてみたいと思います。

 まず、現状の書き方について考えてみようと思います。初版の時は昔こっそりメモしてあったストックを下ろしながら、「NOTEに何書こう」と考え執筆していました。

 しかし、今はそれ以外にも考えることが多く、頭は年中無休で動いています。NOTEに割く時間も少なくなってきました。なのでNOTEに書く題材もふとした時に浮かんだことを大事にメモしそれを卸すという書き方に代わってきました。

 つまり、NOTEを書くということが、「自分の思考の出口」という側面が強くなってきたということです。こうした変化は、当初の目的を鑑みれば順当な変化といえます。(当初の目的については下記記事をどうぞ)

 また、NOTEと生活の関係を考えると、NOTEは生活の中で溶け込んだと考えられます。以前は「NOTEに何書こう」と考える時間が生まれました。これは生活が変化したといえます。しかし今NOTEは現在の生活の言語化にすぎません。こうした意味でNOTEが生活の中での役割を明確にし、生活そのものの変化の波は収まったということです。

 こうした中ではNOTEはツールとしての側面が強くなったといえます。しかし、それは新たなものを取り込まず、発展が停滞しているといわざるを得ません。

 ならばNOTEが自分の進歩の場とはなりえなくなってしまったのか。そうではないと思います。
 例えば、読む方は未開拓であるため、それを増やせればよいのではないかとも考えました。
 特に、最近は自分の記事を読み返すことが増えました。こうした動きはNOTEに書くことで言語化し、それを外的要素として再び読み返すことによって新たな考えを生むという循環であると考えています。
 長々と書きましたが、自分のNOTEを書く理由は「思考の出口の役割」と「循環の中における一要素」ということになります。
 さて、ここまでくると、書く意味としては一つの終着点であるようにも思えます。ここからどう変化していくのか、自分でも少し楽しみです。