夜勤についてのあれこれ
◆雑記 2020/9/21
真っ暗な部屋で目覚める。枕元のiphoneで時刻を確認すると20時過ぎ。
頭はぼんやりとしていて、あまり眠った感じがしない。夢か、とりとめのない思考か、判別のつかない言葉と映像がひっきりなしに脳内を駆け巡っていた気がする。気がするだけで、何一つ覚えていない。
身体が重い。手汗が止まらない。軽い動悸がして呼吸が普段よりも浅いリズムを刻んでいるのがわかる。胃がもったりしている。腸がのたうって変てこなうめき声をあげている。目が覚めた時、窓の外が真っ暗であることから生じる軽度の生理的絶望が襲う。
あなたは夜勤をしたことがあるだろうか?
上で書いたのが先ほど起床した夜勤明けのわたしの自己診断だ。
世間では4連休ということだが、しがないIT土方として働くわたしは、「ホワイト」な方々に対して若干鬱屈とした感情を抱きながらも、オフィスビルの一室にて夜通しブルーライトに己をさらし続ける倒錯的な勤行を遂行する。右手にはリポD、左手にはモンエナ。これ常識。
22:00に出勤し、9:00に退社すること3日目。常に自分の頭に靄がかかったような状態にも慣れてきた。
仕事の都合で今回の連休中に夜勤が避けられないとなった時、ネットで「夜勤 過ごし方」とか「夜勤 体調」など調べてみて対策は打とうとしたのだが、そのことごとくは実現不可能か、夜勤の圧倒的なデバフによって無効化されてしまった。
例えば、人間は光を浴びることによって体内時計がリセットされる自律神経システムを持っているため、その逆張り=光を浴びないことにより、リセット回路をだまし、夜勤明けにしっかりと睡眠を摂れるように促すというアドバイスがあった。だが、これは会社からの帰宅中、光に触れるなと言っているようなもので現実的ではない。会社から自宅までメトロが敷かれている人がいれば別だけど。。。
また「消化のよい食事をせよ」ていうのもあったけど、あんまりお腹が減らなくてチーカマばっかり食べていた。
チーカマ最強。消化にいいかは知らん。
レム睡眠とノンレム睡眠のサイクルを意識した90分間隔での睡眠のススメというのもあった。
睡眠時間を90分間隔にするのはいいけど、入眠に時間がかかり、アラームを適切な時間に設定するのが困難。
眠れたら眠れたで、ノンレム睡眠(深い眠り)なんてあったかと首をかしげたくなるほど、頭の中ではパソコンの黒い画面と白い文字が踊り、誰とは知れない顔のない誰かと曖昧な会話を無限ループする。脳髄のコンパートメントで五月の蠅がブンブンと飛び回る、そんな状態。ハエトリグモも一緒にぶち込めたらいいのに。
わたしの彼女は看護師をやっているため、夜勤には慣れていると思い相談もしてみた。
だが答えは満足のいくものではなかった。「とにかくたくさん寝ること」以上。
だからそれが出来ないからきいてるんじゃないか!?と思いつつも、よおく考えてみると夜勤後の彼女のすさんだ感じ、全身これ世紀末みたいなオーラを漂わせて、おもむろに『Last of Us』をやりだす姿を思い出した。
わたしの間違えだったのかもしれない。解決策なんてないのではないか?と諦めかけた時、昔からの友人でコンビニの夜勤業務をかれこれ数年こなしている奴がいることを思い出した。
何年も夜勤をこなし、完全に昼夜逆転した彼は、常人たちの生きる昼の世界とは別の理の中で生きているはず。夜の眷属、現代に生きる「あなたとコンビに」なドラキュラ。彼のライフスタイルの中に手掛かりがあるかもしれないので少し思いをはせてみる。
彼は『ひだまり×スケッチ』のアニメをーーそれがまるでヒーリングミュージックであるかのようにーー流す。己の日常の中に溶け込ます、サウンドトラックとしての『ひだまり×スケッチ』。食事をとったり、着替えをしたり、歯磨きをしている横で、ひだまり荘に暮らす女学生たちのゆるいやりとりが繰り広げられるというわけだ。
ゆるふわ日常系アニメ、特にきらら系作品に比類ないリラックス効果があるのはわたしも認める。ということはだ、日常系アニメ→リラックス→安眠のサイクルが生まれていて、これが夜勤の最大級の対策になるのかもしれない。
実際に彼に聞いてみると、『ネルノダ』を紹介された。普通に有益な情報で笑った。
わたしが初めて夜勤を体験したのは学生時代だった。当時19歳だったわたしを構成していたものと言えばブコウスキーの小説群、ジム・ジャームッシュ監督の諸作品『ストレンジャーザンパラダイス』や『ナイトオンプラネット』、同監督の映画の影響で音楽はトムウェイツなんかを聴いていた。
それらの影響からか、わたしの中で夜更かしに対して好奇心が生まれていた。それはナイトホークス、夜更かしの一員に加わりたいという抑えがたい欲求だった。
今思い返してみると恥ずかしい話だが、都会の夜じゃなきゃダメだったのだ。東京の夜じゃなきゃ。「東京の若者と言ったら渋谷でしょ」というわけで安直なわたしは『ファーストキッチン』SSS店の深夜勤務を始めた。
同じ深夜勤務の先輩はさる大学に通う元ラグビー部の細マッチョだった。
現ラグビー部ではないこと、萎んだのかマッチョではなく、細マッチョであることに彼の存在を容易に同定できない揺らぎのようなものがあった。仕事における基本的なことはほとんどすべて彼から教わった。
夜勤といっても店自体は深夜1時に閉まるため、実質わたしたちの仕事は、今にも吐きそうなお兄やん、お姉やんを追い出し、クローズ作業を進め、開店準備をすることがほぼすべてであって、忙しいと感じたことはほとんどない。
店を閉めた後、油の匂い立ち込める店内で、あまったフライドポテトをつまみながら、ソフトマシンを洗浄したり、先輩のパチンコ哲学に耳を傾けたり、お互い意味もなく「Fu*king・ファッキン」と口にし笑い合ったりする。
わたしが特に好きだったのは地下フロアの掃除だ。テーブルの下にはポテトやソフトクリームの残骸が転がっていて、べたべたになった床をモップを使って粛々とぬぐっていく。頭上の方からは遠く、夜の街の音が響いてくる。女の子の酔っ払ったキーキー声とよたよた歩きのヒールの音、男たちの下卑た歓声、低重音で鳴るビート、狂ったように繰り返される「マンボウ、マンボウ、みんなのマンボウ」。
こうやって、深夜2時、渋谷の地下で黙々とモップ掛けをしていると、ちゃんと深夜2時なりの妄想が降って湧いてくる。「ここは世界のハラワタだ!!」「おれは大都市のハラワタを洗浄する腸内細菌だ!!」
こんな奇想に襲われてからわたしはこの仕事がさらに好きになった。自分だけが世界の裏側を知っているような奇妙な高揚感がそこにはあった。
それはいいが、大学の単位はボロボロだった。夜勤を始めて最初の頃は、仕事後、マンボウで仮眠をとり、そのまま大学に行けばオールオッケーだと考えていたのだが、1か月と立たないうちに大学とは逆方向の山手線に乗るのが平常運転となっていた。結局、その年は通年で4単位しか摂れなかった。それもレポートさえ出していれば単位をくれる西洋美術史と近代哲学概論だけ。
バイト先か自宅かカフェかでわたしの生活は成り立っていた。あれは自分の人生である意味、一番幸福かつ堕落していた時期だったと思う。自分が地べたを這いまわる渋谷特有のまるまると肥えたドブネズミになったような気分。ナパーム弾頭みたいな灰色の奴らが店の前をビュンビュン走り去っていく。そのうちの一匹がわたしだ。
今でも「マンボウ、マンボウ」を聞くとあの頃のことを思い出す。霞がかったようなぼんやりとした視界で世界を眺めていたあの頃のことを。
もし悪魔が「あの頃に戻れるけどどうする?」と聞いてきたとしたら、一瞬迷った後「とっとと失せろ!!」と言ってやる。率直な所、あの頃はすでにずいぶん遠い、今ではもう夜の重力に耐えられそうにない。というか耐えられたことなんてなかった。落ちるところまで落ちれただけだ。今は落ちることさえ許されていない。これがわたしの持っているなけなしの社会人意識だ。『ネルノダ』を飲んで速やかに寝ること。今言えることはこれに尽きる。