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文化とはなにか!現代、最もよく使われている言葉の起源は?

 *実は日本には「文化」という言葉はなかったのです
 
 明治に入る前の日本には「文化」という言葉は存在しませんでした。今日カルチャーcultureと総称する言葉の日本語に相当する単語はなかったのです。
 
 *文化の誕生

ところが、明治期になると欧米の見方、考え方、とらえ方が否応なく入ってきたため、翻訳に支障をきたすものは新しく言葉を作り出す必要がでてきます。「文明」も同じ理由からつくられた言葉でした。ヨーロッパのほとんどの言語で用いられているシビリゼーションを「文明」や「文明開化」と訳したのです。それだけでなく、その訳語からまったく異なる単語の訳語を造りだされたのです。「文明開化」から明開を抜いて、明快に「文化」としたのです。経国済民という政治用語から、両者はいにしえになるほど相容れないと思われる「経済」という語をつくったのとおなじやりかたです。

 *文明も文化も似たような言葉ではない

 文化はごぞんじのようにカルチャーcultureを日本語に訳する時の言葉です。このような成り立ちから、文明と文化はかなりの近似的言葉として日本語学習者に理解されているようです。実を言いますと「文明」も「文化」も私見から言いますと「文」に程遠い言葉のようにおもわれます。文明については先のエッセー「経験は誤りやすく、批評は難しい」で取り上げたので繰り返しません。興味ある読者は参照ください。
 
*文化と農業は同じ意味?

文化と訳されるカルチャーはラテン語のクルトゥスcultusからできたことばです。この語はもともと農業でいうところの「耕作」を意味していました。ですから、アグリカルチャーagricultureは「土地や土」と「耕作」の合成語ですので、日本語では「土を耕すこと」すなわち「農業」と訳されるわけです。略称で使われているJAの正式名称はJapan Agricultureです。

*文化も農業も土が肝心!

本来農業用語である言葉がどうして日本語でいうところの「文化」の意味をもつようになったのでしょうか。農業も文化も根本は同じということです。農業において重要なことは「土づくり」です。農地を丹念に耕し、栄養分を含んだ柔らかい土をつくることができれば大きな収穫物を得ることができるのです。ハウス栽培農家の人にいわせれば、土づくりに失敗すれば他のどんな条件が最適であっても豊かな収穫は期待できないそうです。それほど産物の母体になる「土」が大事なのだそうです。 

文化という土はある地域に住む人々の営みによって育まれた総体です。人々がその環境の中で生み出した言語、風俗習慣および派生した芸術、生活様式、学習の仕組みなどが渾然一体となって生まれたものなのです。そこに住む人々は、農地に例えると「土」を構成する総体なのです。個々の土片や塊となった土塊によって生み出されたその社会独自のものが、その人間社会のオリジナルな文化を構成するのです。しかしそれだけでは文化がさらなる深みをます発展を約束しません。

文化をはぐくむ大地は文化が花開くに不可欠なよく耕された土と栄養分をたっぷり含んだところがあってこそ豊かな産物を育て上げることができるのです。鍬が入らないような固い土地にいくら栄養分を含ませたからといって豊作を期待するのは間違いなのです。つまり、肥料やすぐれた種=知識や科学技術があっても、文化を育てるにはそれを受け入れる耕地や環境=人々の存在が必要だということです。明治時代に入って、日本がすんなり欧米の学問・技術・芸術を吸収することができたのは、前時代に藩校や寺子屋などによる教育がいきとどいていて、新しいものを吸収できるような素地があったからだといわれています。まさしく、日本は開国時に新しい種を立派な産物に育てることができる「豊かな耕地」があったのです。 

*大地をていねいに耕し、種が育ち、肥料が有効に働くことができる「土づくり」が文化ということ

もっとも大切なことは国の施策、社会の包容力、教育機関の充実、社会環境の整備などによって文化をはぐくむことができる余地をひろげることなのです。余地がひろがればひろがるほど、文化の担い手がのびのびと能力を発揮し、今までは考えられないような大きな花を咲かすことができるのです。
文化を振興するにはその基盤となる豊かなフィールドが必要なのです。それは一朝一夕でできるものではありません。人々が汗を流し、たっぷり手間暇をかけて、はぐくんだ大地から花開くのです。


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