「今日の牛乳、ジョアだぜ」
モノマネ
七歳ほど年の離れた私と妹は、本も服も部屋もシェアしている。二段ベッドで私は上の段である。
大学生と中学生という生活リズムが合うわけのない我々だが、毎日いっしょに過ごせば寝るタイミングが合う日もあるわけで、そういう日のルーティーンが二人の間に存在している。給食のモノマネである。
給食のモノマネとは、学校給食の好きなメニューを全身を使ってマネするというもので、これを二段ベッドの上段と下段、電気が消された部屋で行う。
もちろん、そんな状態で相手の姿が見えるわけはなくわざわざ見るほどのもんでもないので、相手が今考えている給食のメニューを当てるだけのエスパーゲームになっているのだが、生産性も低ければ意図も見えないこの遊戯において、双方モノマネは真面目にやっているという奇妙な状態となっている。
給食ガチ勢
妹は、自他ともに認める給食ガチ勢である。
月はじめに配布されるメニュー表をほぼ暗記しており、二週間後の揚げパンをモチベーションに登校、余りのおかずやデザートを獲得するためのジャンケンは紅一点にも物怖じせず絶対参加。いちばん好きなおかずでジャンケンが見込まれるときは一週間前から部屋を片付け神社に参拝し、「当日はグーを出したいので今日からどのジャンケンでもグーだけは出さない」などとセルフ封じ手をしている。
普段は字も薄く文章量も少ない、誰が見てもやる気0な学校提出の日記には、好きな給食の日のみ巧みな表現による食レポがびっしりと書かれ、いつもは給食を残してばかりの女子がデザート獲得ジャンケンに参加してきて自分が負けたという一年前の出来事を、ことあるごとにネチネチ語る。
妹の中学校では、給食の配膳をする班が名簿順に振り分けられており、A班、B班のように週ごとで配膳係が変わるので、クラス全員にその役目が回ってくる仕組みになっている。
妹は、その配膳班の構成メンバーとチームワークをチェックしている。彼女いわく、A班は遅い、B班は盛り付けが下手、C班は二人ほど素晴らしい人材がいるもののあとはゴミカスだそうである。各班で誰が遅く、誰の盛り付けがどのように下手かまで名指しで教えてくれたがプライバシーのためここでは控える。ちなみにD班は本人所属でほぼ全てひとりでやってしまうので完璧らしい。
私もかつて同じ中学校に通学しており、そのシステムは当時から変わっていないのだが、これほどまでに配膳班の構成メンバーを意識していた生徒など、後にも先にもいないのではないか。姉は正直、妹にちゃんと友だちがいるか心配である。「給食の話するとき、クラスの人に怖いって言われるんだよね」と本人が笑って語ったとき、さりげなく友だちがいるか聞いてみたら真顔で「いないよ」と言われた。大丈夫か。
全国給食費ランキングで毎年トップに食い込む自治体による食育は、高度すぎて孤独なモンスターを生む結果になってしまったようだ。姉は普通に妹が心配である。
給食カテゴライズ
話は戻って、奇妙な姉妹の給食モノマネである。
お互い姿が見えない状態でモノマネしているので、膨大な給食メニューの選択肢を前にして当てずっぽうな回答は無謀である(見えていたとしても無謀なのだが)。したがって、ある程度のヒントを提示することになる。
「揚げ物です」「これが出るときの主食はパン」「人気度は低めだけど私は好きなやつ」「食べるの難しいやつ」など。
義務教育終了から五年以上経ちながらも、給食メニューがありありと浮かび、現役の妹と同じ土俵で戦いつつそれなりの正答率を叩きだしてしまう私もかつてはモンスターだったのかもしれない。
しかし、やはり私は忘れている。大人になってしまっている。まさに今を給食と共に生きる者とは視点が違ってしまっている。それをはっきり認識したのが、給食における「野菜」という言葉の立ち位置である。
妹のモノマネヒントは「野菜」であった。
野菜と言われたので、くし切りのトマトや揚げナスなど、ダイレクトに植物を感じられるものたちを回答し続けたがいっこうに当たらない。ついに降参して解答を求めたところ、そのこたえはきんぴらごぼうであった。
私は抗議した。ヒントが不親切すぎると。たしかにごぼうは野菜、しかしきんぴらごぼうとなれば、野菜という言葉から連想するには加工されすぎているし油っぽさも多すぎやしないか。せめて「副菜」とか、「おかず」とかの方がヒントとして適切ではないか。
姉の必死の抗議を、妹は鼻で笑った。
「あのね、中学生のガキは副菜なんて言葉使わないんだよ」
ガキは偉そうに続ける。
「給食ってさ、どのメニューでもほぼ配置が一緒なんだよ。ごはんかパンか麺の場所、汁物の場所、牛乳の場所、デザートの場所。で、おかずの場所だとお皿はひとつだけど、肉とか魚のガッツリ系のおかずと、野菜とかサラダのサッパリ系のおかずで2種類あるでしょ」
「給食の時間が近くなると、今日のメニュー聞くわけじゃん。でも『今日の給食何?』って聞くとだいたい肉魚系のおかずの話になるわけ。からあげとかハンバーグとか。でも、副菜が知りたいこともあるでしょ。そういうとき、『今日の野菜何?』って聞くじゃん。それが野菜じゃなかったとしても。料理の分類じゃなくて、あの配置、あの位置に置かれる料理のことを私たちは『野菜』って呼んでんの。『おかず』って言ったらハンバーグとかの話になっちゃうから」
……たしかに、たしかにそうだったかもしれない。
「その日の給食のスープがコーンポタージュでも、『今日の味噌汁なに?』って聞くじゃん。麺かパンか米か知りたいときは『今日のごはんなに?』って聞くじゃん。普通の質問だったらおかしいよね、味噌汁はコーンポタージュじゃないし、ごはんは麺じゃないし。でも給食なら成立する。給食メニューの料理の立ち位置が毎日同じだから。みんながその前提で話をしているから」
今日の牛乳、ジョアだぜ
世間一般の例にもれず我々の地域の学校給食でも毎食必ず牛乳がついてくるのだが、まれに牛乳でない場合がある。そういう日は、ミルメーク、ヤクルト、ヨーグルト系飲料――ジョアなどが牛乳に代わって登場する。どんな和食メニューの日でも頑固に毎日登場する牛乳が甘い飲み物に変更されるのは、学校生活においてちょっとしたイベントと言えよう。
そして、中学生たちの給食における料理のカテゴライズは、そのポジションによるものである。左にごはん、右にみそしる、中央上におかずと野菜、左上にデザート、右上には牛乳。これを基準とした会話が積み上げられた結果、通常なら成立しない単語どうしの連結が行われ、学校という特殊空間でのみ通じる会話文ができあがる。
かつて私も、なんの疑問もなく聞いていたであろう、今思えばおかしいセリフが誕生するのである。
「だからジョアが出る日の男子とかが言うじゃん」
「今日の牛乳、ジョアだぜって」
もちろん牛乳はジョアではない。ジョアは牛乳ではない。しかし、この文章は成立する。
そこまでの分析ができている妹に感心し、なんとなく懐かしい気持ちになったが、それ以上に妹のセンスの尖り具合が鋭すぎることへの心配の方が勝ったのであった。
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