言葉に重きを置く
最近自分は言葉に重きを置いて生きてきたんだなということを再確認したことがあったので書き留めておく。
以前友人と話していた際「今話してるこの結果が文豪の死へ繋がったのかもしれないね」と友人が言った。
文豪達は悲惨な死が多いのだが、物書きという特性から周囲と違ったものの見方が出来る(癖づいているが正しいかもしれない)が故に他人の言葉や挙動、世の理などを考え過ぎてしまい一種の生きづらさを感じてしまって自死を選んだのではないか?という考えだった。
元々は全然違う話をしていたのだが、その考えを聞いた時「この友人と出会えて良かった!」と喜びがぶわっっ!!!と溢れた。最高過ぎる。この友人と話している時はひとつの話題から色々な方向へ広がっていき、最終的に宇宙の話だとか、人間は何故生きるのかという話題になる。心配される前に言っておくが宗教的な話ではないし、スピリチュアルな話でも無い。大抵哲学とかそういう話だ。
話しながら雪だるまみたいだなあと思うことがあるものの、会話のスピードや密度が段々と上がっていくのがとても心地よい。
私は他人に「どう考えたのか」「その出来事で何を感じたのか」という質問をするのが好きなのだが、人の考えを聞いて自分にはない発想や新しい発見があったとき本当に心が弾む。新しい情報チップを脳にインプットしたみたいに、ヒトの考えをまたひとつ学べた!とうきうきする。
これを言うと「人間の心を学ぼうとするアンドロイドの思考で草」と言われたのだが、とにかく私は「考える人」や「考えを言語化出来る人」がとても好きなのだ。
逆に言うと何も考えずに思考を簡単に放棄する人や言葉を軽んじる人が苦手だ。先の文豪のような話をすると「(そんな暗い話して)病んでるの?」と言う人がいる。その発言自体が悪い訳では無いが、私はこれを言われるとその人と距離を置く選択肢が出てくる。
同じように自分の考えや感じたことを話した時に「考え過ぎだよ」と言う人も居る。考え過ぎである理由を踏まえた上での発言や、こちらに対する気遣いで言ってくれる人は勿論例外だが、私は「考え過ぎだよ」を軽はずみに使う人と出会うと本当にがっかりする。
「なぜそう思ったの?」に「何も考えていないよ」と返ってくると同じくがっかりする。
たった一言で、こちらの思考や紡いだ言葉を一瞬で吹き飛ばしてしまう。こちらからすると私が考え過ぎなのではなくて貴方が考えていないだけですけどね!!!!!!という気持ちになるが、まあこれを掘り下げた所で何も解決しないのでやめておく。
友人然り、言葉に重きを置く人=言語化の上手な人が多いと思う。当たり前と言われればそうなのだが、言葉に重きを置く人の話はとてもおもしろい。爆笑出来るということではなく、言葉に説得力があり聞き入ってしまう魅力がある。そしてそういう人たちは大抵考えていることもおもしろい。言葉に重きを置く人と関わるとおもしろい尽くしだ!最高だ。
なので、これからも言葉に重きを置く人たちの思考を少し覗かせて貰うことにする。「何を考えた?」「どう感じた?」と一旦インタビュアーになり、そこで得た新しい情報チップを脳にインプットして、うきうきした気持ちにさせてもらおう。
ありがとう、周りの言葉に重きを置く人達
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余談
2ヶ月以上前のメモが残ってたのでそのまま載せておく。この時はかしこい喋り方したい気分だったようでふ。
余談の余談
問題:上の文章で言葉に重きを置くと何回書いたでしょうか
文豪の気持ちが分かるなど大それたことは言わないが、言葉に重きを置く人間はきっと相手の何気無い言葉に凹んだり、無意識に放った言葉で詰問したくなったりしたんだろうと想像する。想像して、勝手に共感している。無駄な共感だが、あの時代のあの人はこう考えたのだろうか、と想像することも楽しい。
余談の余談だが私は三国志の太史慈がとても好きなので、太史慈が援軍を要請するために毎日籠城中の城から出て包囲した敵兵の前で弓矢の練習をするだけの時間をどういう気持ちだったんだろうなあと想像するだけで本当に2時間くらい経っている。