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私だけを愛してくれる存在

昨晩、
菅田将暉さんに添い寝してもらう夢をみたw
起きてからもニヤニヤしてしまうw

そこで気がついた。

「私を愛してくれるイケメンがいたら最高だなぁ。
いつもどうやったら私が喜ぶか考えて行動してくれて、
目を見れば、
私のことが大好きなんだなぁと伝わってくる感じ。」

を私は求めていることに。

「私が若くて結婚もしていなかったら
恋愛して、近い感情が得られたかもしれないのに」
と外側に意識が向いていることに。

ハッピー理論を学んでいるから
私は知っている。
そんな24時間私だけを愛してくれる存在、
世界中探しても存在しない。

でも内側にはいつだって
世界一、宇宙一、私を愛してくれている存在がいる。
その存在は、源(ソース)。

源は、
菅田将暉さんの添い寝で気分よく起きる私のことだって
全肯定w
片時も目を離さず、24時間365日、
私にだけ愛を注いでくれている存在。
自分の内側の愛に依存して生きれば
人生はうまくいく。

学生時代の親友と1年ぶりに会ったのだが
「楽しかったぁ!」という感覚があまりなく
それがなんだか寂しい気持ちでモヤモヤしていた。

会う前日から
気分の設定はしていた。
「2人で楽しい時間を過ごして、
また会おうね!ってなる」と。

でも本当は、
「私と会って楽しいのかな?
忙しいのに時間の無駄じゃないかな?
でも!この間、家族で店に来てくれたから
私のこと嫌いなはずない!」と思っていた。

元々、彼女は「あなたと一緒にいると楽しい!」とか
「遊びたいんだけど、いつ会いてる?」と
自分から愛情表現するタイプではない。
でもきっと私は、彼女が楽しそうにすることを求めていた。
そしてその様子を見て、
「私といて楽しそう」とホッとしたかった。
つまり自分がホッとするために、安心するために
彼女を利用しようとしていたのかもしれない。

結局、彼女がどう思っているかはわからない。
でも、そこは私がどうこうできる問題ではない。

今の私が本当の意味でホッとする考えは?
(以下、エゴキンマンが出たり入ったりしているw)
私には今、一緒にいて楽しいと思える新たな友人が2人もいる。
彼女らには毎日でも会いたいし、大好きだ。
学生時代の親友とは、「今」は話が盛り上がらないだけ。
ずっと学生時代のように仲良くあり続ける必要はない。
今の自分のステージに合う仲間と
それぞれが楽しく過ごせばいい。
近くに住んでいるんだから、おばあちゃんになる頃に
またあの頃のようになれるかもしれないし、
そうじゃなくても良い。
別に喧嘩したわけじゃない。
またお店に来てくれるかもしれない。
今は彼女のことを考えるのはやめよう。
大好きな友人と遊ぶ計画を立てよう。
少し寂しい。
会うと、一緒にいると
寂しくなってしまう人といるのはやめよう。
私はやっぱり相手に愛情を求めてしまっている。
今の友人は愛情を感じる。気が合う。気が楽。
同じ年齢なんだから、また混じり合う時が来るかもしれない。
1人の友人に執着するのはやめよう。
今、仲良くしてくれる友人と楽しく過ごそう。
他人でも菅田将暉さんでもなく、
源からの愛情をたっぷり浴びていよう。


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