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苦い春

新人の頃に受けた数々の教え
その時は仕事を覚えるのに精一杯であったが、
今になり、あの時の教えの意味を実感する。

今に至るまでの看護師人生の中で
あの時の記憶は全く色褪せず
強烈に残っている。

大学卒業後、
一念発起してやってきたのは
東京、
勤めたのは某大学病院

配属先は腎臓・高血圧内科病棟
腎疾患、透析患者がメインではあったが、
心疾患でカテーテル治療を受ける患者や
消化器、呼吸器疾患の患者もいて
内科全般を担っていた。

とにかく早く仕事を覚え、
夜勤自立を目指す
という目標で毎日毎日実に濃い一日を過ごしていた。

何度失敗し
何度怒られ
何度泣いたことか

どんな職種であれ
新人時代はみな同じような洗礼を受けるのであろう。

それがいつしか人を指導する立場へとなっていく。

指導する立場になって思うのは
やはり新人のときに受けた教えがベースになっているということである。

あの頃、とにかく山のように覚えることがあった。
国家試験のための勉強は
あくまでも看護師免許をとるための勉強であり
その知識を試験に生かすことはできても
実践に生かすとなると話は別である。

事実
血圧の正常値をわかっていながら
その患者の値が180以上を超えていたにもかかわらず
血圧、その他のバイタルサインを測ることに必死で
報告が遅れ、ひどく怒られた。

アセスメント能力ゼロである

膨大な薬の名前とその作用、副作用を覚えるのも苦労した。
何の薬であるか把握せずに患者に与薬してはいけないことになっていた。
与薬する前に先輩のチェックが入る

「これは降圧薬、これは胃薬、これは血糖降下薬、これは…」

「これは?わからない薬を患者さんに飲ませるの?患者さんに聞かれたらどうするの?わからないものを飲ませてその後何か起きたらどうするの?」

「…調べます!」

薬の名前でいっぱいの当時のメモ帳はいまだ手元に残っている。

また、夜勤の時
休憩に入る前に先輩に申し送りをする。
注意を要する患者のバイタルサインや心電図モニター監視、点滴残量などを報告し、コール対応を依頼する。

しかし、ただの報告であってはならない。
だからどうした、
だからどうするのか、というアセスメントのもとに報告、依頼をしなければならない。

例えば心電図モニターのアラームが鳴ったとする。
何のアラームなのか
そのアラームの意味するところまで含めアラームが鳴ったらどういう対応をするのか
ただ様子を見に行くだけでよいのか
何か対応しなければならないのか
そこまでアセスメントした上で申し送りと対応を依頼しなければならない。

それがうまくアセスメントできずにいると
「アラームが鳴っていても対応しないよ。そもそもなんでモニター付いているかわかっているの?」
と突き放すように言われる。
いや、最もであるのだが
追い打ちをかけるかのように
「何かあっても知らないよ。」

当然休憩には行かれない

行けるはずもない

見かねた他の先輩に声をかけられ休憩へ行くも
休めるはずもない

と、思い出せばきりがない数々の失敗と打ちのめされたエピソード


しかし、あの時の教えがあったからこそ
今がある


はじめはどうしても「点」の理解しかできず、
あらゆる「点」は「線」でつながっているということになかなか気付けない。

失敗と経験を重ねて
「点」は「線」になっていく

「点」のその先
だからどうするのか
どうなるのか
どうすべきなのか

「点」と「線」と「その先」
それらの視点を持てるような指導を心がけている。

そして、教えることで教わることも多々ある。
そもそも自分がわかっていないことを教えることはできないので、事前にマニュアルを見直したり、勉強し直したりする必要がある。
よって自分の知識や理解の振り返りにもなる。
(もっともらしいことを言っておきながら後で不安になり調べ直すなんてこともあるが…)



春、新入職員がやってくる。

教える、ということはかなりのエネルギーを使うことであり、
正直疲れる。

が、
双方にとってプラスになるような関係でありたい。

教え合い、学び合う

学びに終わりはない
学び続けることで人は成長し続ける

まっさらな新人には戻れないが
(もう戻りたくはないが…)
新入生や新人を目にするとあの頃を思い出し、懐かしくなる自分がいる。

束の間、15年前の自分にタイムスリップ
ちょっと切なくて
ちょっと胸がときめく
春は何だかほろ苦い

思い出も食べ物も
ちょっと苦い春

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