「好き」なことがあれば、この世は 「楽しい」
米津玄師さんを好きになったきっかけは「Lemon」である。
「Lemon」をはじめて聞いた時はいい曲だなとは思ったが、熱烈に聴くほどではなかった。
この曲はドラマの主題歌にもなっていたが、そのドラマも見たことはなく、内容も知らなかった。
しかし、その時読んでいた本の中で出会った詩と「Lemon」の歌詞が自分の中でリンクし、
米津さんはこの詩を知っていたのだろうか?
この詩を元に「Lemon」を作曲したのだろうか?
などと勝手な妄想が膨らみ、繰り返し繰り返しLemon中毒になったかのように聴くうちに、
米津さんてどんな人なんだ?という興味、好奇心がわいた。
それから過去のCD、米津さんのインタビュー記事が載っている雑誌などを買い、メディア露出が少ない米津さんが出演した貴重なラジオ番組を聞き…
結果、ファンになった。
つまりはじめから「好き」だったわけではないのだが、 「知りたい」という好奇心から「好き」になっていった、と言える。
自身の傾向として、自分がいいな、素敵だなと思った本や文章、音楽、写真などに出会うと、その作品を生み出した「人」のことを知りたくなり、その人のプロフィールや他の作品、インタビュー記事などを調べる。その人となり、なぜ、どうしてその作品が生れたのかを知って「なるほど、この文章、歌詞の意味はこうなのか」「こんなことを思っていたんだ」「こうしてこの作品は生れたのか」など、自分なりの解釈をしている。
その解釈が本当にそうなのかはわからないし、まったく見当違いということもあるかもしれないが、要は自己満足である。
自己満足だったとしても、自分が「知りたい」という好奇心をもって夢中になれることは「心地よい」と感じるし、「もっと知りたい」と没頭する感覚が「快感」になってくる。
そうやって「好きなもの・こと」にたくさんふれることで、「なぜそれが好きなのか」ということがわかり、「好き」の世界を広げて、さらに深めていけるのではないかと思う。
note の作品も詳しいプロフィールを載せている方や、日記やつぶやきを載せている方はその人となりを想像しやすい。しかし、そうではなくても、同じ方の作品を見続けていくうちに、この人はこういうのが好きなんだな、こういうことを考えているのだろうか、など想像しながら作品にふれる時間もまた楽しい。
また、普段は自分のことはあまり書いていない人が、自分の考えや思いを表出している文章に出会うと、「お、いいですね、自分が出てますね」などと勝手に盛り上がっている。
「好き」「楽しい」と思えることはたくさんあればあるほど「世界」は広がる。
しかし、たくさんはなくても「ひとつ」でもあればそれが生きていく原動力にもなるのではないか。
そんなことを考えながら今日を終え、明日も頑張ろうと思う。
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