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昭和歌謡にジェンダーを考えた

前回、初めてカラオケボランティアに行ったことを書いた。

貴重な経験をさせてもらったし、人前で歌わせてもらうには反省点も山ほどあったが、次回も一緒にと声をかけてもらうことができた。

というわけで、次に歌う曲を選ぶべくカラオケボックスに行った。
部屋や機械によってリモコンパネルも微妙に違ったりして、カラオケボックスではまだまだ初心者(;^_^A

前回ステージから施設の利用者さんを拝見して、私の両親かその少し下くらいの年齢層の方が多いように思った。そして、演歌でも昭和歌謡でも唱歌でも楽しんで聞いたり口ずさんだりされていて、聞いていた通りの幅の広さに驚き、楽しく感じた。
というわけで、次に歌う曲をどう選ぶか・・・
とりあえず私が子どもの頃に聞いたことのある曲にしてみようと、1960年代~1970年代の曲から選んでみた。いろんな選び方ができるようになっているのにもびっくり。便利な機械だ。

小一時間いろいろ歌ってみて、妙にストレスを感じていることに気づいた。
この日12~3曲歌ってみたのだけれど、それらの曲の多くの歌詞が、女性が「捧げます」「待ちます」「尽くします」といったものだったのだ。

 「恋の奴隷」奥村チヨ 1969年 より一部抜粋
  あなたに会ったその日から恋の奴隷になりました。
  だからいつもそばにおいてね 邪魔しないから
  悪いときはどうぞぶってね
  あなた好みの女になりたい

 「なみだの操」殿さまキングス 1973年 より一部抜粋
  あなたのために守り通した女の操
  あなたの決してお邪魔はしないから
  おそばに置いてほしいのよ
  お別れするより死にたいわ 女だから

 「骨まで愛して」城卓矢 1966年 より一部抜粋
  なんにもいらない 欲しくない
  あなたがあれば 幸せよ

 などなど・・・
これらの歌が歌えてしまう私も私だけど、そして子供の頃は意味も考えず普通に歌ってたけれど、次々歌っていくうちに「なんじゃこの歌詞は?」とイラっとしたのだった。

というのも、前回歌ったもう少し古い歌では女性の主体的で前向きな気持ちが描かれていて「対等な恋愛」というイメージだったし、曲も明るかった。

 「銀座カンカン娘」高峰秀子 1949年 より一部抜粋
  家がなくてもお金がなくても 男なんかにゃだまされまい

 「月がとっても青いから」菅原都々子 1955年 より一部抜粋
  腕をやさしく組み合って ふたりきりでさあ帰ろう
  夢をいとしく抱きしめて ふたりきりでさあ帰ろう
  もう今日限り会えぬとも 思い出は捨てずに・・・

対してこれらの曲は、男性の後ろについていき身も心も捧げますという女性ばかりが描かれている。

そのことを後日まりさんにボヤいたら
「男の人が書いた歌詞だからねえ・・・」と苦笑い。
そりゃそうだけど、「銀座カンカン娘」や「月が・・・」だって男性の作詞だ。
そう言ったら「きっと終戦後の復興期で、みんなが明るい未来をめざして進んでいた時代だったからだろうね」と。

私がモヤった曲たちは昭和30~40年代に作られていて、それはまさに高度成長期。「核家族化」と「専業主婦」が当たり前になった時代。
男性中心、男性主導の社会が歌にも表れている。
今でこそ、ただの歌だと思っても嫌な気持ちになったけれど、当時はそうした考え方を当たり前のこととして何の違和感ももたずにいたこともなんだか悔しかった。そうしてこの時期に育った私たちのジェンダー意識は、歪んで培われたんだと思った。

ちなみに、年金の第3号被保険者制度ができたのは1985年(昭和60年)で意外と遅くてびっくり。景気がよかったから安易に作ったのか・・・その後バブルになったし。ちなみに、今話題の103万円の壁は1995年(平成7年)バブル崩壊直後。
きっと関係があると思っていたのに、こんなに遅れてこんな制度が作られ、いまだ改正されないことにも驚く。

これは参加しているコミュニティで先日話題になったこと。
低用量ピルの承認に半世紀近くかかったのにバイアグラは半年で承認され、今度はED治療薬の処方箋なしでの購入を検討中とか。緊急避妊薬の方が先でしょう怒
それもこれも意思決定機関が男性ばかりだから?

は~・・・今の若い人たちのジェンダー意識は変わってきてるよね。
子どもたちは小さい頃から家でも学校でも、ジェンダー意識もちゃんと育てたいな。
もっともっと若い人たちに活躍してほしいし、そのためには政治に関心を持ってほしいな。とりあえずみんな、選挙に行こうよ。

なんかわからん愚痴で終わってしまった。
恥ずかしいから公開するのはやめておこうかな・・・。

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