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【テレビ番組】青ヶ島〜噴火から奇跡の復興
今までBSなんて滅多に観ることがなかった。
朝ドラを早い時間に観たり、オリンピック放送を観たりしていて最近は時々ついている。観たい番組の後にやっている番組が思いのほか興味深く、テレビの前から動けなくなることが最近はちょいちょいある。
この日観たのは「英雄たちの選択」という番組。
伊豆諸島の青ヶ島を取り上げていた。
青ヶ島は島自体が火山。
江戸時代の大噴火で、全島民が隣の八丈島に避難した。
何年か経ち、やっと噴火が落ち着いて帰島をめざすも、このあたりの海は黒潮の流れが速いうえ、度々の荒天に阻まれ、そのたびに船は遭難し、帰ることができなかったそうだ。
八丈島での暮らしは厳しいものだったが、多くの島民が帰島をあきらめ、長く離れて島のことも忘れそうになる中、佐々木次郎大夫という人が強い意思で「環住」をめざした。
佐々木二郎大夫は、長年かけて詳細に計画を練った。資金を集めて頑丈な船を作り、海流や気候のことを徹底的に調べて安全な時を選んで出港し、無事帰島を果たした。
懐かしい島に帰り着いたものの、50年ものあいだ人間が住んでいなかった島は、以前の豊かな様子とは全く変わり、田畑も家屋敷も荒れ果てていた。
それでも、島民は力を合わせて島をよみがえらせ、また、何度も海を渡って、ついに全島民が青ヶ島への「還住」を果たした。噴火から50年後のことだったそうだ。
その後、青ヶ島は昭和15年、村として独立。
日本で最も人口が少ない村だそう。
このサイトに詳しく載っていた。
番組では、青ヶ島村の教育委員会の方がいろいろ解説をされていた。
学校あるんだ…義務教育までだろうか。
子どもの数も少ないんだろうな。
この番組の進行をしていた歴史学者の磯田道史さんは岡山の出身。
青ヶ島に興味があり、ずっと行ってみたいと思っているが、海が荒れたらいつ帰れなくなるかわからず仕事に穴を開けるわけにはいかないので今は行くことができないと言われていた。
また、この日のゲストで来ていた篠原ともえさんは、この青ヶ島がお母さんの出身地で、曾祖母、祖母は巫女だったそうだ。おばあさんたちの写真も出てきた。
彼女が教えてくれた青ヶ島の印象的な言葉「おもうわな」
これは、別れの時に言われるそうで「さようなら。またね。」というような意味のようだ。
長く故郷に帰ることのできなかった島の人たちが故郷を思い、できた言葉だろうか。
「おもうわな」
離れてもあなたのことを思っているよ。どこにいても故郷を思うよ。
それにしても美しい、まさに絶海の孤島。
いつか行ってみたいな。
【追記】
昨日のこと。
たまたま「Youは何しに日本へ」(テレビ東京)を見ていたら、アメリカから来ていたYouが、「青ヶ島へ行きたい」と言っていた。友達から聞いたという素晴らしい青ヶ島へ行き、そこの焼酎「青酎」を飲みたいとのことだった。
番組で密着し、羽田から飛行機で八条島へ、そこから船で青ヶ島へ渡ろうとするも、船が荒れていて出港できず、もう一つの島への手段であるヘリコプターにも乗れなかった。次の船は数日後。仮にそれに乗れても帰国の便に間に合わないということで、彼は青ヶ島へは行かれなかった。(八丈島で食事をしたお店に奇跡的に「青酎」がおいてあり、飲むことができてご満悦だった)
現在でも、青ヶ島はいつでも行ける島ではないんだなあ、と思ったのだった。
「おもうわな。」
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