美味しさで感動することがある -ひつじそば 人と羊が閉店してしまうことについて-
「一流ショコラティエが作るチョコレートが『美味しい』よりも先に『コレすごいな!』と思わせるものだったりするように、アートや本当のプロっていうのはみんなが分かるもの以外に『これはこういうものだったんだ!』って驚かせるものだったりする」
とかつて師に言われた。
自分にとってひつじそば「人と羊」がそうであった。
ちなみに「ひととよう」と読む。
なかなかに挑戦的な店名だ。
出会いは確か限定メニュー、羊3乗ラーメンの感想がTwitterで流れてきた事だったと思う。
そのラーメンは「羊の脂身」に「羊の生姜煮」そしておまけに「羊のひき肉の麻婆豆腐」が乗るという世にも珍妙な形態だった。
が、流れてくる感想は絶賛の嵐で「羊なんてインドカレー屋のマトンしかロクに食べた事ないけど近場だし…」と食べに行った。
食べた瞬間に驚いた。
こんなにも煮干しと醤油ベースはそれとして残っているのにその全体を包むまろやかな脂が存在するのかと。
最初はなんの味か分からなかったのだ。
羊特有のくさみがなく、それが風味に変換されて羊の持つ旨みとコクのみが抽出されていたので。
生姜煮も小サイズながら羊の旨みとショウガッ!と聞こえんばかりのしっかりした生姜具合で、その箇所のスープとベースの魚介羊脂スープとで飽きない口の中でのループが組めた。
丼も終盤になりいつ食べようかと保留していた麻婆も溶けたスープを飲み干すと「これ以上に新しい旨味をくれるのか」ともうそりゃ大層満足したのであった。
店を出て「うまかった…!」と誰に対してでもなく自分に食べた味を反芻するかのように呟いた。
安堵のような驚きのようなため息をついて、
ともすれば『なんであんな味になるのか』とドン引きのような気持ちで荻窪の教会通りで一人「えぇ…?」とか「すげぇ〜…」とか感嘆の声をあげていた。
ここから3年ほど自分は稽古の隙を見つけては人と羊に通うことになる。
それはもちろん料理のおいしさあってのものだが、それ以上にもっと料理そのものに感動する喜びというものを味わいたかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上京しての俺の食の喜びは人と羊にあったと思う。
基本的にラーメンは好きだがどこのを食べても、どんな変わり種を食べても
「ここはこういう素材を使ってるけど、人と羊は羊だからあぁなってるのか」と比較する基準にはいつも人と羊がいたように思う。
そして「あー、また人と羊のあれ食べたいなぁ」と過去に食べた一杯を夢想する。
毎回でなくてもそういう事が多々あったと思う。
俺にとって残念なのは人と羊で羊のラーメンを食べられなくなることでもあるが、素材一つ一つ「ちゃんとこの素材はこういう味のするものなんですよ」「こう調理したらこういう味になるんですよ」と丁寧に食育されているようなあの体験がなくなってしまう事である。
廃棄弁当なりカップ麺なりある程度メシは口に入ればいいと思っていた自分に「料理のおいしさ」を教えてくれたお店がなくなってしまう事がとてもかなしい。
演劇と仕事しかしていなかった約3年間のほぼ唯一の娯楽が人と羊だった。
原料費の高騰で価格が上がりもしたが、自分にとっては小劇場、大劇場で手垢のついた芝居を見るよりも人と羊の一杯が自分を感動させた。
未知の新しいもの、いつも変わらないはずなのに新鮮さを味わえるもの、それが人と羊のメニュー達だった。
閉店の理由は建物の老朽化らしいが明らかにギリギリでやってる空気ぷんぷん(ひつじそばの原料高騰、お昼の『値段を抑えたメニュー』ですら明らかにいい素材を使っている)なので、これを機に生涯廃業と言われても納得するくらいだ。
一応、3月10日㈰までは「人と羊」の形態で営業は続くとのこと。
3月13日㈬からは「lamb meets ramen」として5月末まで形態を変えて営業するらしい。
なので「今までありがとうございました」とか「ごちそうさまでした」とか言って締めくくる気は無い。
みんなも残された最後の時間で人と羊を食べに行こう!
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?