ココロの中の優しさに。
今日は少し文章の切り口を少し変えて綴ろうかなぁと。ここ最近の僕のnoteは自分のメンタルコンディションの悪さもあってか、とてもネガティブなものであったと思う。
そんな中でもひとつ新しい光が刺したような感覚を得ることが出来た。それを受けての執筆だ。
今までは、自分は孤独だ、優しさに触れたい、そういった心境を言葉に映し出して何かに昇華しようとしていた。これで自己解決して前に進めたら良いのだけれどそうもいかず、やはり日常を生きる上での心の向きを変えなければ現状は打破出来ないなぁと。
そんなことを薄々感じながらも、ダラダラと悲観的に過ごしていた今日のこと。バイト中に障害を持ったひとりの常連客さんが来た。至って普通に接客をしたのだが、そのお客さんは物凄くありがとうございますありがとうございますって感謝してくれて。
至って普通と言ったって、相手は障害を持った方なので少し丁寧に言葉を発するように気を配りながら接客はした。もしかしたら自分のこの気遣いを感じ取ってくれたのかなって。そんな気になって、何だかこっちまで温かい気持ちになって。
今までは「何で自分に誰も優しさをかけてくれないんだろう」って考えていたし、そんな周りに期待して悲しくなっていた。でもやっぱり、自分が周りに優しさを与えるから、それが自分に還元されるかもしれない訳で、自分から発していかないと何も変わらないなと気がついた。
そして、何より僕は
優しさを配るのが好きだなぁ
と。ただの自己満足かもしれないし、独りよがりかもしれない。どんなに優しさを配っても、返してくれない人は居るだろうし、それがもしかしたら自分の大好きな人かもしれない。けど、やっぱり好きな人には優しくありたい。例え相手が自分を好いていなくとも。
こんな一方的なやり方で良いんでは無いかと思えてきた。いつか優しさを配りすぎて、ココロの温かさが空っぽになる、そんな時が来たとしても…
充足されない日々を
送り続ける羽目になるかもしれない。
けれど、そんなことに怯えて優しさの出し惜しみなんてしたくない。そのときある分を出せる分だけ配り続ける。お節介かもしれないし、ありがた迷惑かもしれない。でもいいじゃない。優しさは使えるときに使っておかないと、ココロの中で冷えて消えて無くなってしまう。
優しさは
人のココロからココロへと循環していく。
きっと、巡り巡って僕の元へ帰ってくるさ。
情けは人の為ならずとはよく言ったもんだね。
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